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15日目⑤
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私を茂みの中に連れ去ったのは、チェフ家の長男であるシェナンドだった。
そう、超が付くほどにバカ息子であり、私が鉄拳制裁を下して『二度と寄るな、触るな、話しかけるな』と吐き捨てた、あのシェナンドだ。
これは、まさかと言いうべきか、やはりと言うべきか悩むところだ。いや、そんなことは、とぢらでも良いし、どうでもいい。ただ、ついでに言えば、その前の文言に『性懲りもなく』という言葉が付く。いやこれこそ本当にどうでも良い。
ということは捨て置いて、私は悔しさで視界が真っ赤に染まった。
他事に気を取られていたとはいえ、こんな、馬鹿男に不意を突かれるなど、あってはならないこと。これは末代までの恥だ。いや、目の前にいるコイツを闇に葬れば、誰にも知られることはない。つまりノーカンとなる。なら………………やるか。
という防衛本能を働かせている私に、シェナンドは掴んでいる私の腕の力を更に強めて口を開いた。
「ミリア嬢、随分なマネをしてくれましたね」
「何を仰っているのか、良くわかりませんわ」
食い気味にとぼけてみせる。そして、辺りを伺いながら、どこにコイツの遺体を隠そうか必死に模索する。そんな完全犯罪を目論む私には気付いていないのだろう。シェナンドは口元をいやらしく歪め、顔を近づけてきた。
「誤魔化す気か?」
同じ空気すら吸いたくない私は無意識に顔を背ける。そして、無視をすることで、あなたとは会話すらしたくないという意思を前面にアピールする。けれど、それは逆効果だった。いきなりシェナンドに顎を掴まれてしまったのだ。
「そうやって私を焦らして、楽しんでいたのだろう?」
「いえ、違います」
自分でも驚くほど冷静な声が出た。そして気付けば私は、自分の顎を掴んでいたシェナンドの手を払い落とした。
けれど、チェフ家のご長男さまは、私の言葉にも動作にも耳に届いていない様子で、恍惚とした表情を浮かべて更に顔を近づけた。
「そう、これを待ち望んでいた」
「………………っ」
ぞわりと背中から悪寒が這い上がってくる。これは今まで遭遇したことのない恐怖だ。とても怖い。無意識に後退ってしまう。
けれど、シェナンドは離すものかと、空いている手も私に伸ばしてくる。そして痛い程に両腕を掴んだこの男は、とんでもないことを口にした。
「私を見下ろす、あなたの蔑んだ瞳がたまらないんだ」
「………………はぁ?」
私の間の抜けた声すらも、彼にとったら別のものに聞こえるのだろう。どんなふうに聞こえているのかは良くわからない。あと、なぜ急にシェナンドが跪くのかも良くわからない。
頭の中で『???』ばかりが、ぐるぐると廻る中、シェナンドは瞳を潤ませてこう言った。
「さあミリア嬢、あの日のように、私を詰ってくれ」
「ちょっ、ちょっと」
「肋骨の折れた音が今でも耳朶に残っている。あれは至極の瞬間だった」
かつて破損したであろうその箇所に手を当て、彼は満面の笑みを浮かべながら再び口を開いた。
「今日は、そんなものでは物足りない。もっと侮蔑のこもった眼差しをくれ。そして、犬畜生にも劣ると、罵倒してくれ」
「………………」
ああ………これぞ、うわさに聞くドМこと、マゾヒストと呼ばれる人種なのか。
言っておくけれど私は、そういう趣味は無い。そして、それに気付いた途端、ものすごい後悔が私を襲った。
母の代理として出席したあの夜会で、なぜこの変態野郎をフルボッコにしまったのだろうかと。あれは逆効果だったのだ。あの時は、淑女らしく涙の一つでも浮かべて『いやよ、やめて』ぐらい言っておけば良かったんだ。
何たる不覚。何ていう読み違いをしてしまったのだろう。
「ええっと…………ごめんなさい、わたくし、そういう趣味はないの。あなたの望むことは、わたくしできそうにもありませんわ」
「ああ、また、そんな言葉で私を焦らすのか…………君は天性の才能がある」
いや、ないし。っていうか、そんな才能いらない。っていうか、マジで死ね。
思わず素の言葉が喉までせり上がる。けれど、それを口にすれば、状況は更に悪化するだろう。
私の嫌味や罵倒は、この人にとって、最高のスウィーツなのだ。そして今彼はマゾヒストのスイッチが入ってしまって手の施しようがない。、
ぶっちゃけ言語が通用しない人種と化したコイツを対峙するなど、私一人では到底不可能だ。
……………どうしよう。誰か、助けて。
みっともなく、心の中で助けを呼んだ。次いで、とある人物の名前も紡ぐ。
そうしたら、本当にその人が助けに来てくれた。これは奇跡としか言いようがなかった。
そう、超が付くほどにバカ息子であり、私が鉄拳制裁を下して『二度と寄るな、触るな、話しかけるな』と吐き捨てた、あのシェナンドだ。
これは、まさかと言いうべきか、やはりと言うべきか悩むところだ。いや、そんなことは、とぢらでも良いし、どうでもいい。ただ、ついでに言えば、その前の文言に『性懲りもなく』という言葉が付く。いやこれこそ本当にどうでも良い。
ということは捨て置いて、私は悔しさで視界が真っ赤に染まった。
他事に気を取られていたとはいえ、こんな、馬鹿男に不意を突かれるなど、あってはならないこと。これは末代までの恥だ。いや、目の前にいるコイツを闇に葬れば、誰にも知られることはない。つまりノーカンとなる。なら………………やるか。
という防衛本能を働かせている私に、シェナンドは掴んでいる私の腕の力を更に強めて口を開いた。
「ミリア嬢、随分なマネをしてくれましたね」
「何を仰っているのか、良くわかりませんわ」
食い気味にとぼけてみせる。そして、辺りを伺いながら、どこにコイツの遺体を隠そうか必死に模索する。そんな完全犯罪を目論む私には気付いていないのだろう。シェナンドは口元をいやらしく歪め、顔を近づけてきた。
「誤魔化す気か?」
同じ空気すら吸いたくない私は無意識に顔を背ける。そして、無視をすることで、あなたとは会話すらしたくないという意思を前面にアピールする。けれど、それは逆効果だった。いきなりシェナンドに顎を掴まれてしまったのだ。
「そうやって私を焦らして、楽しんでいたのだろう?」
「いえ、違います」
自分でも驚くほど冷静な声が出た。そして気付けば私は、自分の顎を掴んでいたシェナンドの手を払い落とした。
けれど、チェフ家のご長男さまは、私の言葉にも動作にも耳に届いていない様子で、恍惚とした表情を浮かべて更に顔を近づけた。
「そう、これを待ち望んでいた」
「………………っ」
ぞわりと背中から悪寒が這い上がってくる。これは今まで遭遇したことのない恐怖だ。とても怖い。無意識に後退ってしまう。
けれど、シェナンドは離すものかと、空いている手も私に伸ばしてくる。そして痛い程に両腕を掴んだこの男は、とんでもないことを口にした。
「私を見下ろす、あなたの蔑んだ瞳がたまらないんだ」
「………………はぁ?」
私の間の抜けた声すらも、彼にとったら別のものに聞こえるのだろう。どんなふうに聞こえているのかは良くわからない。あと、なぜ急にシェナンドが跪くのかも良くわからない。
頭の中で『???』ばかりが、ぐるぐると廻る中、シェナンドは瞳を潤ませてこう言った。
「さあミリア嬢、あの日のように、私を詰ってくれ」
「ちょっ、ちょっと」
「肋骨の折れた音が今でも耳朶に残っている。あれは至極の瞬間だった」
かつて破損したであろうその箇所に手を当て、彼は満面の笑みを浮かべながら再び口を開いた。
「今日は、そんなものでは物足りない。もっと侮蔑のこもった眼差しをくれ。そして、犬畜生にも劣ると、罵倒してくれ」
「………………」
ああ………これぞ、うわさに聞くドМこと、マゾヒストと呼ばれる人種なのか。
言っておくけれど私は、そういう趣味は無い。そして、それに気付いた途端、ものすごい後悔が私を襲った。
母の代理として出席したあの夜会で、なぜこの変態野郎をフルボッコにしまったのだろうかと。あれは逆効果だったのだ。あの時は、淑女らしく涙の一つでも浮かべて『いやよ、やめて』ぐらい言っておけば良かったんだ。
何たる不覚。何ていう読み違いをしてしまったのだろう。
「ええっと…………ごめんなさい、わたくし、そういう趣味はないの。あなたの望むことは、わたくしできそうにもありませんわ」
「ああ、また、そんな言葉で私を焦らすのか…………君は天性の才能がある」
いや、ないし。っていうか、そんな才能いらない。っていうか、マジで死ね。
思わず素の言葉が喉までせり上がる。けれど、それを口にすれば、状況は更に悪化するだろう。
私の嫌味や罵倒は、この人にとって、最高のスウィーツなのだ。そして今彼はマゾヒストのスイッチが入ってしまって手の施しようがない。、
ぶっちゃけ言語が通用しない人種と化したコイツを対峙するなど、私一人では到底不可能だ。
……………どうしよう。誰か、助けて。
みっともなく、心の中で助けを呼んだ。次いで、とある人物の名前も紡ぐ。
そうしたら、本当にその人が助けに来てくれた。これは奇跡としか言いようがなかった。
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初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
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