これは未来に続く婚約破棄

茂栖 もす

文字の大きさ
上 下
49 / 114

13日目④

しおりを挟む
「………………まだ、あるのか?」
「ええ、あるわよ。もう一回契約書出してちょうだい。あと、ペン持ってる?」

 照れ臭い気持ちを切り替えて、私は居住まいを正してレオナードに向けて手を伸ばす。先ほどの一件で懲りたのだろう、レオナードは今回は渋らずに契約書をテーブルに戻すと、愛用のペンをを懐から出してくれた。

 けれど、その顔は少々不服そうだ。でも、私だってさらりと契約内容の見直しを終わらそうとした彼に不満を持っている。だから、おあいこということで、そのことは口に出さずに、本題を切り出すことにする。

「この金額、元の数字に戻すわよ」

 とんとんと契約書の一番下に書いてある数字を指で叩いて、そう宣言する。これは相談ではなく、決定事項だ。けれどペンを握った途端、レオナードの眉がぴくりと跳ねた。

「なぜだ?」

 その声音は今まで聞いたことが無いほど、尖ったものだった。普段の低く品の良い声とは真逆で、別人のようだった。

「も、貰い過ぎるからよ」

 不覚にも怯んでしまった私は、言い返す口調も弱々しいものになってしまう。でも、眼力だけは負けるものかと、ぎろりと睨み付ければ、レオナードはしばらくの間をおいてこう言った。

「…………………………嫌だ」
「あ゛ぁ?」

 すかさず問うた私だったけれど、咄嗟のことで言葉にできず唸るような声をあげてしまう。けれどレオナードはむっとした表情を変えることはなかった。いつもだったら、この辺りで子犬のように震えるというのに。

「貰えるのなら、貰っておけば良いではないか。それに、これは私の気持ちでもある。相手からの気持ちを無下にするのは、如何かと思うぞ」

 しかも公爵家のお坊ちゃまからは到底想像もできない大衆的な発言を吐いたかと思ったら、一方的な意見を押し付けてきやがった。

「あのねぇ、レオナード」

 そこで一旦私は言葉を止めて、喉を潤しておいたほうが良いと判断して、ポットからお茶を追加する。そして一口、いや二口お茶を口に含んでから口を開いた。

「過ぎたるものを求めれば、身を滅ぼすというものよ。それに言い値を書けと言ったのはあなたでしょレオナード?なのに後からケチ付けて、こんな金額にしたのもあなたよ?今回、一番に話し合いたかったのは、ここなの。金額修正の件に関しては、私、一歩も譲る気は無いわ」
「私だって譲る気はない」

 一気に言い切った私の言葉を被せるように、レオナードは言葉を重ねた。その口調はつい今しがたの尖ったものではないが、絶対に譲らないという強い意志を秘めたものだった。

 …………しばし悩む。ここでいつも通り、勢いで押し切ろうかと。

 でもせっかく信頼しあっていることを確認できたのだ。秒速でその結束にひびが入ってしまうのは避けたいのが本音。ここはほんの少し彼に歩み寄ったほうがよさそうだ。

「じゃあ、せめてここにして」
「………………わかった」

 ここというのは、二番目に消された数字。レオナードと契約を交わした初日、私が書いた金額に彼が憤慨して書き直した数字でもある。

「あ、ちゃんと渡航のチケット代を引いた金額にしといて」
「君は少々細か…………いや、なんでもない」

 悪態を付くレオナードを睨んで黙らせる。そして修正された金額を見て私は思わず胸のうちの言葉が零れてしまった。

「それにしても、随分くたくたね。この契約書。一度書き直したら?」
「ああ、そう思ったけれど、残念ながら今は紙が無い」

 ここはボールルーム。ぐるりと見渡しても、紙類を仕舞えそうな家具はない。そしてわざわざアルバードを呼びつけて用意してもらうのも、いささか気が引ける。

「ま、時間を見付けて書き直しておいて」

 一応この議題はお互い納得して幕を閉じることができたので、後の細かいことはレオナードに任せることにしよう。それに彼のほうが字が綺麗だし、上質な紙で作成してくれるだろう。

「ああ。そうさせてもらう」

 レオナードも納得してくれたようで、噛み締めるように頷いてから、壊れ物を扱うような手つきで契約書を懐に戻した。

 それを見届けた私は、気持ちを切り替えるために、カップに残っていたお茶を飲み干してから、口を開いた。

「じゃ、ダンスの仕上げといきますか」
「そうだな」

 なんだかんだ言っても、もう夜会まで日数が無い。ステップをマスターすることはできたけれど、やはり入念な仕上げが必要なのだ。

 それはもちろんレオナードもわかっているようで、私達は自然な流れで互いの手を取り、部屋の中央へと進み出た。
しおりを挟む
初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
感想 44

あなたにおすすめの小説

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

あなたのおかげで吹っ切れました〜私のお金目当てならお望み通りに。ただし利子付きです

じじ
恋愛
「あんな女、金だけのためさ」 アリアナ=ゾーイはその日、初めて婚約者のハンゼ公爵の本音を知った。 金銭だけが目的の結婚。それを知った私が泣いて暮らすとでも?おあいにくさま。あなたに恋した少女は、あなたの本音を聞いた瞬間消え去ったわ。 私が金づるにしか見えないのなら、お望み通りあなたのためにお金を用意しますわ…ただし、利子付きで。

大きくなったら結婚しようと誓った幼馴染が幸せな家庭を築いていた

黒うさぎ
恋愛
「おおきくなったら、ぼくとけっこんしよう!」 幼い頃にした彼との約束。私は彼に相応しい強く、優しい女性になるために己を鍛え磨きぬいた。そして十六年たったある日。私は約束を果たそうと彼の家を訪れた。だが家の中から姿を現したのは、幼女とその母親らしき女性、そして優しく微笑む彼だった。 小説家になろう、カクヨム、ノベルアップ+にも投稿しています。

夫から「用済み」と言われ追い出されましたけれども

神々廻
恋愛
2人でいつも通り朝食をとっていたら、「お前はもう用済みだ。門の前に最低限の荷物をまとめさせた。朝食をとったら出ていけ」 と言われてしまいました。夫とは恋愛結婚だと思っていたのですが違ったようです。 大人しく出ていきますが、後悔しないで下さいね。 文字数が少ないのでサクッと読めます。お気に入り登録、コメントください!

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

処理中です...