これは未来に続く婚約破棄

茂栖 もす

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11日目④

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 ────それから5分後、私はボールルームに向かう為に廊下を歩いていた。辛うじて、左右の足を交互に出しているという状態で。

 レオナードのお母様の元で過ごした滞在時間は、結局、何分だったのだろう。いや何時間だったのだろうか。あの部屋で行われた出来事が衝撃過ぎて、私は時間という概念がぶっ飛んでしまっていた。

 もちろん、アルバードに5分だけと宣言したけれど、その通りになるはずもなかった。あの後、私はあれよあれよという間にドレスを脱がされ採寸され、靴を脱がされ足を掴まれ型取りをされ、自己主張の強い宝石を見せられ………ぅう………思い出すだけで、えずきそうになる。

 しかしここで吐くなど、絶対に駄目だ。色んな意味でアウトだ。そう自分に言い聞かせて片手を口元に当てて、何とかそれを押しとどめながら歩く。そうすれば、やっとレオナードがいるボールルームに到着した。

「ミリア様どうぞお入りください。先ほどはお疲れ様でございました。すぐにお茶をお持ちいたします」

 アルバードが慇懃に一礼して部屋の扉を開ける。そして扉の先には、窓に向かって祈りを捧げるレオナードが居た。

 本日も晴天に恵まれて、窓から差し込む陽の光で、膝をついて組んだ両手を胸に当てている彼の姿は、まるで天使のように美しかった。金色の髪も、すっと伸びた背筋も、前髪で少し隠れた横顔も。

 そして私はその姿を見た途端、一歩も動けなくなってしまった。

 それは彼の美しさに見惚れていたからではなく、私をこんなにも疲労困憊にさせた張本人を目にしてほっとしている自分がいるから。
 
 ………………おかしい。本当に、おかしい。今日の私はどうかしているのかもしれない。

「………………レオナード」

 ポツリと呟けば、名を呼ばれたその人は弾かれたように立ち上がり、私の方へ身体を向けた。

「な、なんだろうかミリア嬢」

 ぎこちない笑みを浮かべるレオナードに向かって私はふらふらと吸い寄せられるように近づく。そして、彼の上着をぎゅっと掴んで、つい先ほどの諸々を報告した。

「あのね、あなたのお母様、あなたと同じ髪色だったわ」
「そうか」
「それとね、あなたのエスコートで私が夜会に出席すること、とても喜んでいたわ」
「そ、そうか」
「ロフィ家の令嬢との婚約を破棄する為に私をダシに使ったと疑っていたみたいだけれど、これも、誤魔化すことができそうだわ」
「そうか」
「あとね、お母様にお会いする為の取引として、夜会のドレス一式と言っていたけれど、それいらないわ」
「な、なぜだ?」
「あなたのお母様がプレゼントしてくれるそうなの」
「………………」

 最後の報告をすれば、レオナードは片手で顔を覆って、長い息を吐いた。そして、私に向かって、すまなかったと謝罪の言葉を紡ぐ。その言葉を私は、ゆっくり首を左右に振ることで否定した。

 そうすれば、レオナードははっと驚いたかのように、目を瞠った。そんな瞬きすら忘れたかのように、私を見つめる彼に向かい、私は小首を倒して問いかけた。

「最後にね、レオナード………………凌遅刑って知ってる?」
「……………申し訳ない。それは初めて聞く言葉だ」

 とはいえ、言葉のニュアンスでそれがどういうカテゴリに含まれているかは察したのだろう。レオナードの顔色は見る見るうちに青白くなった。そして一歩身を引こうとした彼を引き戻すように、上着の裾を掴んでいる力を強めて私は言葉を重ねた。

「東洋に伝わるもっとも残酷な処刑方法なんだけどね、存命中の人間の肉体を少しずつ切り落とし、長時間にわたり激しい苦痛を与えて死に至らすものなの」
「………………ほう」
「それをね、部屋に戻ったら実刑しようと思ったの……………でも、やめたわ。だって、あなたのお母様とお会いして、あなたの大変さが何となくわかってしまったから。…………ふふっ。駄目ね。私甘いかしら?」

 やられたら千倍返しが我が家の家訓なのに、私はどうやっても、レオナードにそれができない。情けないなと責める自分がいる。けれど、それでも良いと肯定してくれる自分もいる。そして、レオナードも後者のようだった。

「ミリア嬢。君は駄目な人間なんかじゃない。寛大な心の持ち主なだけだ」
「優しいのね、レオナード」

 にこりと笑みを向けてそう言えば、レオナードも柔らかく微笑んで頷いてくれた。そんな優しい彼に、ちょっとだけ甘えてみよう。

「一つワガママを言っても良いかしら?」

 レオナードの上着の裾を軽く引っ張って、上目遣いで彼を見つめる。心なしかレオナードの笑みが急に強張ったように見えるけれど、気のせいだろう。

「ダンスのレッスンをしなければならないのはわかっているわ。でも、ごめんなさい。私、今、胸がムカムカして眩暈が酷くて、踊れそうにないの。もし仮に踊ったら…………このボールルームが阿鼻叫喚の図となるわ」
「そうか」
「だからごめんなさい、今日はこのまま、失礼しても良いかしら?」
「もちろんだ。今日もゆっくり休みたまえ」
「………………ありがとう、レオナード」

 ほっと安堵の息を吐いた私は、やっとレオナードの上着から手を離し、数歩後ろに下がる。柄にもなく甘えてしまった手前、なんとなく気恥ずかしい。

 ちらりとレオナードに視線を向けると、彼は何故かとても優しい表情をして、私を見つめていた。
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初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
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