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10日目④
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………………といっても、この状況もあまり良いとは言えないものだ。いや、ある意味こっちの方がヤバイ。だって私達、傍から見たら床の上で抱き合っているようにしか見えない。
一応、婚約者同士とはいえ、女性側が男性を押し倒しているこの状況はまさに痴女という名に相応しい行為だ。勘違いであっても、こんな不名誉なもの願い下げだ。
そんなことを一瞬のうちに考えて、レオナードの腕から抜け出そうともがくが、予想以上に彼の腕が強くて身じろぐことすらできない。しかも動くなと言わんばかりにレオナードは更に腕に力を込める。けれど、アルバードにかける声は普段通りのそれだった。
「アルバード、そんなに大きな音がしたか?」
「はい。不躾ではありますが、少々心配になりました」
「ははっ。驚かせてしまったな」
レオナードの胸板に顔を押し付けられているので、私の視界は真っ暗闇だ。なので二人がどんな顔をしているかわからない。ただ声音だけ聞いている限りでは、緊迫した様子は微塵もない。
「実は、私のリードが悪くて、ミリア嬢がよろめいてしまったんだ。咄嗟に体制を立て直そうとしたんだが…………見ての通り、この様だ」
「さようでございましたか。出過ぎたことを言うようですが、少々、レッスンのお時間が長すぎたのでしょう。ご休憩を取られたらいかがでしょうか?」
「ああ、そうしよう。では、すまないアルバード。喉が渇いたから、何か喉ごしの良いものを用意してくれ」
「かしこまりました」
至って穏やかな日常のひとこまのような会話を終了して、アルバードの気配が消えたと同時に、私もレオナードの腕から解放された。
「………………危なかった」
床に転がったまま、片手を額に乗せ安堵の息を吐くレオナードから身を起こした私は、一先ずこの一件について礼を述べることにする。
「ありがとうレオナード。助かったわ」
殊勝な態度と言葉を言ったはずなのに、レオナードは無言で身を起こして神妙な顔をした。
「すまない。咄嗟のこととはいえ、何の断りもなく君に過度な接触をしてしまった」
「あらそんなこと気に無くて良いわよ」
なんだそんなことかと笑って首を横に振った私に、レオナードは信じられないといった表情を浮かべた。
「…………君も女性だったのだな?」
「は?」
意味が分からず瞬きする私に、彼は真顔でこう言った。
「この流れで言ったら、私は締めあげられるか、殴り飛ばされるか、この大理石に力任せに叩きつけられるはずだ。なのに、想像より斜め上の回答が来たということは、君が疲れている何よりの証拠だ」
「……………………」
「本当にすまなかった。目的を達成しようと焦るあまり、君の体力についての配慮が欠けていた。…………今日はここまでにしよう。帰ったらゆっくり休みたまえ」
さて、私は目の前で申し訳なさそうに眉を下げる美丈夫に、どういう対処をすれば良いのだろうか。誰か教えてほしい。
前半の淡々と語られた私を怪物扱いする物言いに対して、その通りにして差し上げれば良いのだろうか。はたまた、後半の一般的な婦女子の扱いに対して、ありがとうと頷けば良いのだろうか。
いやいや、その前に、私がレオナードに抱きしめられたという事実に対して、まったく怒りを覚えていないことが不思議でならない。
あの時はああする他なかったというのもあるけれど、見た目より厚い胸板とか、もがいてもびくともしない力強い腕とか、彼が普段から身体を鍛えているのを容易に想像できて、私は妙に鼓動が早くなってしまう。そして、その感情はそのまま口に出てしまった。
「レオナード、ちょっと今から真剣に手合わせしてみない?」
「絶対に断るっ」
準備運動がてら軽く肩を回して指の関節をぽきりと鳴らしてそう言えば、レオナードから剥き出しの感情で断られてしまった。本気で肩を落としてしまう。兄以外と手合わせはできる機会は滅多にないというのに。とても残念だ。
そんな感情から思わずレオナードをジト目で睨んだ途端、彼は床に額をこすりつけるような勢いで頭を下げた。
「ミリア嬢、本当に今日はすまなかった。だが、命だけは取らないでくれ」
どうやらレオナードは勘違いをしているようだけれど、がっかり感で心が埋め尽くされている私は、雑音にしか聞こえなくて、彼を放置することにした。
そして、そんな一方的な謝罪を聞いているうちにアルバードがお茶とスウィーツを運んできてくれた。
ちなみに本日は爽やかなミントティーと、二種類の果実のジュレ。グレープフルーツとハチミツ味は多分疲労回復用。そしてもう一つは沢山のベリーを使ったもの。どちらも最高に美味しかった。
そして、何故か催促する前にレオナードが自分の分を差し出してきたので、私はそれを有難く頂き、本日の勤務を終了したのであった。
一応、婚約者同士とはいえ、女性側が男性を押し倒しているこの状況はまさに痴女という名に相応しい行為だ。勘違いであっても、こんな不名誉なもの願い下げだ。
そんなことを一瞬のうちに考えて、レオナードの腕から抜け出そうともがくが、予想以上に彼の腕が強くて身じろぐことすらできない。しかも動くなと言わんばかりにレオナードは更に腕に力を込める。けれど、アルバードにかける声は普段通りのそれだった。
「アルバード、そんなに大きな音がしたか?」
「はい。不躾ではありますが、少々心配になりました」
「ははっ。驚かせてしまったな」
レオナードの胸板に顔を押し付けられているので、私の視界は真っ暗闇だ。なので二人がどんな顔をしているかわからない。ただ声音だけ聞いている限りでは、緊迫した様子は微塵もない。
「実は、私のリードが悪くて、ミリア嬢がよろめいてしまったんだ。咄嗟に体制を立て直そうとしたんだが…………見ての通り、この様だ」
「さようでございましたか。出過ぎたことを言うようですが、少々、レッスンのお時間が長すぎたのでしょう。ご休憩を取られたらいかがでしょうか?」
「ああ、そうしよう。では、すまないアルバード。喉が渇いたから、何か喉ごしの良いものを用意してくれ」
「かしこまりました」
至って穏やかな日常のひとこまのような会話を終了して、アルバードの気配が消えたと同時に、私もレオナードの腕から解放された。
「………………危なかった」
床に転がったまま、片手を額に乗せ安堵の息を吐くレオナードから身を起こした私は、一先ずこの一件について礼を述べることにする。
「ありがとうレオナード。助かったわ」
殊勝な態度と言葉を言ったはずなのに、レオナードは無言で身を起こして神妙な顔をした。
「すまない。咄嗟のこととはいえ、何の断りもなく君に過度な接触をしてしまった」
「あらそんなこと気に無くて良いわよ」
なんだそんなことかと笑って首を横に振った私に、レオナードは信じられないといった表情を浮かべた。
「…………君も女性だったのだな?」
「は?」
意味が分からず瞬きする私に、彼は真顔でこう言った。
「この流れで言ったら、私は締めあげられるか、殴り飛ばされるか、この大理石に力任せに叩きつけられるはずだ。なのに、想像より斜め上の回答が来たということは、君が疲れている何よりの証拠だ」
「……………………」
「本当にすまなかった。目的を達成しようと焦るあまり、君の体力についての配慮が欠けていた。…………今日はここまでにしよう。帰ったらゆっくり休みたまえ」
さて、私は目の前で申し訳なさそうに眉を下げる美丈夫に、どういう対処をすれば良いのだろうか。誰か教えてほしい。
前半の淡々と語られた私を怪物扱いする物言いに対して、その通りにして差し上げれば良いのだろうか。はたまた、後半の一般的な婦女子の扱いに対して、ありがとうと頷けば良いのだろうか。
いやいや、その前に、私がレオナードに抱きしめられたという事実に対して、まったく怒りを覚えていないことが不思議でならない。
あの時はああする他なかったというのもあるけれど、見た目より厚い胸板とか、もがいてもびくともしない力強い腕とか、彼が普段から身体を鍛えているのを容易に想像できて、私は妙に鼓動が早くなってしまう。そして、その感情はそのまま口に出てしまった。
「レオナード、ちょっと今から真剣に手合わせしてみない?」
「絶対に断るっ」
準備運動がてら軽く肩を回して指の関節をぽきりと鳴らしてそう言えば、レオナードから剥き出しの感情で断られてしまった。本気で肩を落としてしまう。兄以外と手合わせはできる機会は滅多にないというのに。とても残念だ。
そんな感情から思わずレオナードをジト目で睨んだ途端、彼は床に額をこすりつけるような勢いで頭を下げた。
「ミリア嬢、本当に今日はすまなかった。だが、命だけは取らないでくれ」
どうやらレオナードは勘違いをしているようだけれど、がっかり感で心が埋め尽くされている私は、雑音にしか聞こえなくて、彼を放置することにした。
そして、そんな一方的な謝罪を聞いているうちにアルバードがお茶とスウィーツを運んできてくれた。
ちなみに本日は爽やかなミントティーと、二種類の果実のジュレ。グレープフルーツとハチミツ味は多分疲労回復用。そしてもう一つは沢山のベリーを使ったもの。どちらも最高に美味しかった。
そして、何故か催促する前にレオナードが自分の分を差し出してきたので、私はそれを有難く頂き、本日の勤務を終了したのであった。
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初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
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