これは未来に続く婚約破棄

茂栖 もす

文字の大きさ
上 下
23 / 114

6日目②

しおりを挟む
 うっかり胸の内を零した私と、まるで産まれてから一度も表情筋を動かしたことがないかのように無機質な顔になってしまったレオナード。

 微かな鳥の鳴き声さえ煩く感じるほどの静寂の中、二人とも無言のまま、互いの顔をじっと見つめている。

「───……………ふふっ、冗談よ、レオナードさま」

 沈黙を破ったのは私の方だった。

 けれど、レオナードの表情筋は死んだままだ。きっと彼の身代わりになって、死んだのだろう。これは名誉の死だ。冥福を祈ろう。そんなことを思って、ふっと視線を空へと移そうとしたその時───。

「………………か?」

 一瞬、鶏が絞殺された時の呻き声かと思ったけれど、これはレオナードの口から出たもので、そしてどうやら何か言葉を発しているようだ。

「え?何?聞こえないわ。もう一度ちゃんと言ってレオナード」

 身体を捻って、レオナードに耳を傾ければ少しの間の後、絞り出すような小さな声が聞こえてきた。

「……足りなかったか?」

 何が、そう聞き返えそうと思ったけれど、一拍遅れて一拍遅れて彼はどうやら契約書に記入した報奨金について問うていることに気付く。そして私は理解した途端、椅子から崩れ落ちそうになってしまった。

 このお坊ちゃん、お優しいことに、私に憐れみをくれているようだ。あー有難い…………んなわけあるか。コイツを、この噴水に沈めても良いだろうか。それが駄目なら本気でぶっ飛ばしたい。

 殺気全開で指の関節を鳴らした瞬間、こちらの様子を伺う執事のアルバードの姿がちらりと見えた。ちなみその眼は笑っていない。静かな殺気を孕んでいる。駄目だ、レオナードにをぶっ飛ばす前に、私がアルバードに返り討ちに合いそうだ。

 そういう訳で、私は気合でレオナードへの殺気を押しとどめ、静かに口を開いた。

「あのね、レオナード。我が家は別に財政難じゃないわよ」
「そうなのか?なら、なぜ文具なんか………いや、今のは失言だった。すまない。ただ、私の理解の範疇を超えているので、今後の為にも是非とも教えて欲しい。この通りだ」

 あら私、いつから王族?と錯覚する程、レオナードはへりくだった態度で問うてきた。

 まぁ、別にやましい事情があるわけでもないし、未だにアルバードがチラチラこちらを伺っているので、こちらはいたって平和ですアピールの為に、私はさらりと購入事情を説明することにした。

「この文具は、普段使い用じゃないの。来月、渡航してから使おうと思って選んだやつなのよ」
「渡航?君、旅行が趣味だったのか?」
「んなわけないでしょ。私、来月っていうか、あなたのこのクソのような依頼が終わったら、海を渡った大陸で、親友の事業を手伝う予定なの」

 偽装婚約をクソ呼ばわりした瞬間、レオナードはむっとしたけれど、その後に続く私の言葉に、本気で驚いた。

「ミリア嬢、君、まさか、移住する気なのか!?」
「あら?言ってなかったっけ」

 そう言いながら、記憶を辿ってみれば、確かに彼に伝えてないことを思い出した。チラリとレオナードを見れば、彼は信じられないと言わんばかりに、眼をひん剥いている。

 ちょっとその態度が苛つくけれど、一般常識からかけ離れた行動をする自覚は一応ある。でも、頷いた後のレオナードのリアクションは絶対に癪に障るものだと思う。

「なによ。世間知らずの小娘が、移住なんて身の程知らずって言いたいわけ?」

 不貞腐れた口調でギロリと睨めば、レオナードは食い気味に首を横に振った。

「いや、とんでもない」

 急に表情を引き締め、真顔になった。そんな彼に、思わず息を呑む。てっきり、いかがわしい要求を拒否したときみたいに、爆笑されると思っていた。この人、意外に理解がある人なのだろうか。

 ───けれど、その後に彼の口からでたものは、やっぱりというか何というか、兎にも角にも微妙なものだった。

「私は君のことを、全てにおいて規格外の暴君だと思っていた。が、どうやら君は素晴らしい人物のようだ」

 どうしよう。上の句の悪態で、でぶん殴ったほうが良いのか、下の句の賛辞を素直に受け止めれば良いのかわからない。
しおりを挟む
初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
感想 44

あなたにおすすめの小説

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

あなたのおかげで吹っ切れました〜私のお金目当てならお望み通りに。ただし利子付きです

じじ
恋愛
「あんな女、金だけのためさ」 アリアナ=ゾーイはその日、初めて婚約者のハンゼ公爵の本音を知った。 金銭だけが目的の結婚。それを知った私が泣いて暮らすとでも?おあいにくさま。あなたに恋した少女は、あなたの本音を聞いた瞬間消え去ったわ。 私が金づるにしか見えないのなら、お望み通りあなたのためにお金を用意しますわ…ただし、利子付きで。

真実の愛は、誰のもの?

ふまさ
恋愛
「……悪いと思っているのなら、く、口付け、してください」  妹のコーリーばかり優先する婚約者のエディに、ミアは震える声で、思い切って願いを口に出してみた。顔を赤くし、目をぎゅっと閉じる。  だが、温かいそれがそっと触れたのは、ミアの額だった。  ミアがまぶたを開け、自分の額に触れた。しゅんと肩を落とし「……また、額」と、ぼやいた。エディはそんなミアの頭を撫でながら、柔やかに笑った。 「はじめての口付けは、もっと、ロマンチックなところでしたいんだ」 「……ロマンチック、ですか……?」 「そう。二人ともに、想い出に残るような」  それは、二人が婚約してから、六年が経とうとしていたときのことだった。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです

秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。 そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。 いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが── 他サイト様でも掲載しております。

処理中です...