これは未来に続く婚約破棄

茂栖 もす

文字の大きさ
上 下
6 / 114

1日目③

しおりを挟む
 このまま一生震えていろ、と心の中で吐き捨てて、私は口元だけ笑みを浮かべながら、彼に向かって口を開いた。

「偽装婚約………ものの見事に貴方様にとって、都合の良いシナリオでございますね」
「………その自覚はある」

 震えながらも、私の言葉に返事をする彼の勇気は褒めるところだ。
 
「で、貴方様にとって都合の良いシナリオの為に、わたくしは公爵家に弄ばれた可哀そうな男爵令嬢を演じろと?インチキ令嬢という何とも嬉しくない肩書に、傷モノという看板まで背負わす気ですか?」
「………ああ。だが、タダでとは言わない」

 ん?ちょっと、待て。最後の言葉が引っかかる。

「タダではないと?」
「ああ。報酬は言い値で払う。いや、金だけではなく、そこは誠意を持って対応する」

 ………どうしよう。ものっすごく、この話が魅力的に思えてきた。

 実は私、今回のお見合いを断られたのを口実に傷心旅行と題して、異国の旧友に会いに行くつもりだった。いや嘘を付いた。旧友が居る地に、帰国めどがない旅行、つまり永住するつもりでいた。

 ぶっちゃけ私、もうこの腐った階級制度の貴族社会はうんざりしているのだ。

 ちなみに旧友であり親友であり唯一の友人である彼女の名前は、ナナリー。母の実家の隣にある菓子屋の娘さんで、現在彼女は医者の若奥様として海を挟んだ大陸で、階級社会ではなく実力社会の中、新婚生活を楽しんでいるのだ。

 そんな蜜月のお二人の元にお邪魔する私は、まごうこと無きお邪魔虫なのだが、もちろんナナリーとその旦那様からは承諾は得ているし、商家から嫁いだ母さまに鍛えられた、会計能力で事業を手伝って欲しいというお願いまで受けている。

 ただ、渡航費に、海を渡ってからの当面の生活費、その他諸々出費は避けられない状態で、費用を工面するのが目下私の悩みだったりもする。

 その悩みが、レオナードのこの言葉で解決されようとしているのだ。

「………期間はいつまでですか?」

 探るように問うた私の声音に、レオナードは脈ありと判断したのだろう。きりっと居ずまいを正した。

「1ヶ月。もしかしたら、もっと短くなるかもしれない。ただ、延長は絶対に無い」

 長すぎることのない期間に、心の天秤がものすごい音を立ててグラグラと揺れる。しかし、決心するのにはまだ足りない。というか、ここでちょっと気になることがある。

「で、この1ヶ月後、あなたはまた別の女性とお見合いでもして、偽装婚約をするのですか?」

 ふと胸に沸いた疑問をそのまま口にすれば、レオナードは静かに首を横に振った。

「いいや、一ヶ月後、駆け落ちをする。だから今後、お見合いもしなければ、君との契約に延長もない」

 ………………思わず、咽てしまった。

 そして、再び湧いた疑問も遠慮なく、ぶつけてみる。

「なんで今すぐ駆け落ちしないのでしょうか?こういうのって、善は急げ又は思い立ったが吉日で、ぐわぁーっと感情のまま突っ走るもんだと思うんだですけど」

 小首を傾げながら問うた私に、レオナードはちょっと寂しそうな笑みを浮かべた。

「ああ、君の言う通りだ。本音を言うならば私も今すぐにでも、駆け落ちを結構したい。だが」
「だが?」
「彼女が同意していない。というか、現状として僕の気持ちに彼女が応えてくれない、云わば私は片思いをしている状態なんだ」
「………………はぁ?」

 付き合ってもいないのに、駆け落ちすると豪語しているが、この人大丈夫なのだろうか。思わず眉間に皺を寄せてしまう。隠すつもりはないので、それはレオナードの視界に入るのも当然で、彼は何故か気を悪くするところが、乱れた襟元を直しながら、不敵な笑みを浮かべた。

「彼女の心も射止めることもしないまま、駆け落ちするなんて愚の骨頂だと笑いたいんだね。いいさ、笑えば。っておい、本当に笑うな。いいか、今までは、私は本気を出していなかっただけだ。だが、これからは本気で彼女を口説く。そして、駆け落ちして身分など捕らわれない穏やかな地で彼女とささやかだが、平穏な日々を過ごすつもりだ」

 要約すれば、自分はやればできる子と言いたいのだろう。

 でも、このお坊ちゃまは知らないのだ。やればできる子とは、まだまだ伸びしろがある人を刺す言葉だと思っているが、本当は、傍から見たら痛々しい人間に使う言葉。まぁぶっちゃけ、相手をけなす趣旨のこめられた言葉であるのだ。

 だが、さすがにそれは口に出すべきことではないだろう。いろいろ思うところはあるが、グッジョブと親指を立ててエールを贈ることにする。

 そうすれば、彼は素直に受け取ったのだろう。少し身を前に乗り出しながら、揚々と口を開いた。

「まぁ、君に求めるのは、簡単なこと。私の婚約者として毎日ここに来てくれればいい。それ以上は何も求めない」

 めっちゃ仕事内容、楽!天秤がイイ感じに傾いていく。そしてその気持ちは思いっきり顔に出てしまっていたのだろう。レオナードはこの期を逃がさんばかりに、すかさず口を開いた。

「契約期間は我が家のシェフの菓子が食べ放題だ。言っておくが、ここに並べられている菓子は氷山の一角にしか過ぎない。ふっ、ほんの序の口だ。どうだ、ミリア嬢、本気のシェフのスウィーツを食べてみたくないか?」

 悔しいけれど、レオナードの抗えない一手に私は、頷くことしかできなかった。
しおりを挟む
初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
感想 44

あなたにおすすめの小説

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

悪役令嬢のビフォーアフター

すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。 腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ! とりあえずダイエットしなきゃ! そんな中、 あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・ そんな私に新たに出会いが!! 婚約者さん何気に嫉妬してない?

あなたのおかげで吹っ切れました〜私のお金目当てならお望み通りに。ただし利子付きです

じじ
恋愛
「あんな女、金だけのためさ」 アリアナ=ゾーイはその日、初めて婚約者のハンゼ公爵の本音を知った。 金銭だけが目的の結婚。それを知った私が泣いて暮らすとでも?おあいにくさま。あなたに恋した少女は、あなたの本音を聞いた瞬間消え去ったわ。 私が金づるにしか見えないのなら、お望み通りあなたのためにお金を用意しますわ…ただし、利子付きで。

側近女性は迷わない

中田カナ
恋愛
第二王子殿下の側近の中でただ1人の女性である私は、思いがけず自分の陰口を耳にしてしまった。 ※ 小説家になろう、カクヨムでも掲載しています

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

処理中です...