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寄り道の章
★シュウトの回想
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どの世界でも、見た目の愛らしい小動物といえども鋭い爪を持つものだ。
そしてそれに、ひっかかれれば皮膚を切り裂かれ血がにじみミミズ腫れとなる。ミミズ腫れは表面上の傷は小さくても、皮膚内部まで切れ込み、時間がたつにつれ痛みと痒みを伴うもの。
瑠璃の言葉は、まさにシュウトにとってひっかき傷のようなものだった。
瑠璃から【大嫌い宣言】を受けたシュウトはというと、自室に戻り、武具の手入れを始めていた。普段ならこうしていると、ささくれ立った気持ちは、ゆっくりと凪いでいく。無心になろうと、しばらく手を動かしていたが───
「……………………ダメだ」
シュウトは、太刀を傍らに置き、ため息をついた。
全く集中できない。いくら雑念を振り払おうとしても、瑠璃の言葉を思い出してしまう。
『あなたのこと、大っ嫌いです!』
そんな言葉を吐かれたのは、生まれて始めてだった。その衝撃を受け留めるよりも早く、暴言を吐いた当の本人は自室に閉じこもってしまったのだ。
言い捨てされた自分は怒りをぶつけても良いはずだが、そんなことはできないし、もとよりするつもりもない。今は、やるせない気持ちをどうしていいものか、途方に暮れている。
「どうして、こうなった…………」
再開を喜んでいるのは自分だけだったのだろうか。いや、その前に彼女は全く自分のことも、10年前の約束すら覚えていない様子だ。
シュウトは深いため息をついて、瑠璃の部屋に視線を移すと否が応でも庭の桜木が視界に入る。庭の桜木は今が見頃とばかりに満開である。
しかしあの晩は、まだ庭の桜は蕾のままだった─────。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あの日、突然、庭に迷い込んできた薄紅色の花びら。それは、まごうことなき、桜の花びらであった。
思わず庭に飛び出したが、庭の桜はまだ蕾のままであった。シュウトが訝しげに辺りを見回したのは一瞬だけ。再び、桜の花びらがシュウトへと風に乗って舞い降りたのだ。
その花びらに予感を感じ、シュウトは居ても立ってもいられず、ナギが止めるのも無視して、カザハに飛び乗り、屋敷を飛び出した。
抜き差しならない事情により、二人は世捨て人のような暮らしを強いられていた。そんな自分が軽率に外に飛び出すなど自殺行為であった。そして、予想通りシュウトは刺客に追われる羽目になった。なんとか、追っ手を処分し、行き着いた先は、とある丘。そこにはの満開の桜。幾たびもここへ足を運んだが、この桜木が花を咲かすのは二度目であった。
自分にとって、この桜は特別な意味がある。シュウトだけが、この桜木を『約束の桜』と呼んでいることを誰も知らない。
その満開の桜を目にしたときに、シュウトの予感は確信へと変わった。一歩一歩、カザハが脚を進めるごとに、胸の高鳴りは激しさを増していく。
そして、カザハが脚を止めたとき、シュウトの求め続けたものがそこにはあった。
だが、最初は夢かと思った。または、狐狸妖怪が見せた幻かとも。
願って、願って───心が軋むほどに待ち望んだ少女が───そこに居た。
朝もやの中でも、キラキラと輝く亜麻色の髪は、とても美しく、触れただけで壊れてしまいそうなほどに儚かった。
少女は、崩れるように倒れていた。が、少女は傷を負っていた。袖は無残にも破れて血がにじんでいた───そう、少女は間違いなく生身の人間だった。そして間違いなく、10年前にある約束を交わした少女だった。
また、会えたのだ。シュウトは、心の底から嬉しかった。生まれて初めて、天に感謝した。シュウトの待つだけだった、孤独な世界が一変したのだ。
気を失っている少女に声をかけると、少女は数拍おいて眼を開けた。その瞳は角度によって色彩が変わる不思議なものだった。
再びシュウトが言葉を掛けるよりも早く、少女はカザハに優しく語りかけた。
その口調は投げやりなのに、どこか淋しげなものだった。
傷で意識が朦朧としていた少女は短い会話の後、再び意識を失ってしまった。だが、シュウトの問いには間違いなく答えた。
『一緒に行く』と。
そして、その言葉どおり屋敷に連れて帰った。
少女が目を覚ますまでは、シュウトは不安で胸が潰されそうだった。寝食を忘れ、片時も離れず、ずっと側にいた。心配もあった。けれど、何より少女の瞳に最初に映るものは自分でありたかったから。
そして、寒いと震える少女に寄り添い暖めた。
何か、悲しい夢でも見ているのか、時々呟く寝言は、どれも悲しい言葉ばかりだった。だから、何度も手を握り、零れる涙をぬぐって、『大丈夫だ』と、言葉をかけた。
そうすると、少女は安心して、再び、深い眠りに落ちていった。
そして、少女が目を覚ましたときに、本当の二人の出会いとなる───と、思ったはずなのに。
「ったく、瑠璃殿は、なぜこうも私につれないのか…」
知らず知らずのうちに眉間に皺が寄る。
目覚めた少女は、見慣れない世界に飛び込んだせいなのか、警戒心をむき出しにしていた。その姿は、まるで毛を逆立てた子猫のようで、ひたすらに可愛いだけ。思わず愛らしさゆえに本気半分、冗談半分で戯れてみたら、本気で彼女を怒らせてしまったようだ。
そして、彼女に乞われるまま思いの丈を伝えた途端、彼女の表情は一変した。皮肉げに顔を歪め、運命なんか信じないと吐き捨てたのだ。
「……そもそも、瑠璃殿のほうから手を伸ばしたというのに」
シュウトは自分の小指を見つめ、唇を噛んだ。
桜木の下で、子供らしい小さくて愛らしい手を伸ばしていた幼い彼女の姿を思い出す。必死に自分を引き止める声も姿も今なお色あせない。
なのに、いざ触れる距離に現れてくれた少女は、自分の手を思いっきり振り払ったのだ。
10年という歳月は長い。人一人の性格を変えることぐらい、不可能ではない。彼女の身に何があったのだろうか。
シュウトにとっても、この10年は一言では言い表せない程、さまざまなことが身に降りかかった。全てを捨てて、異国へ移ることもできた。
けれどシュウトは頑なにこの地にとどまり続けた。それは、桜の木の下で交わした少女との約束を守るために。
「今更、大っ嫌いはないだろう」
そんなことを言われてももう遅い。シュウトにとって、瑠璃は唯一無二の存在であり、既に彼を形成する一部であるのだから。
瑠璃は世界で一人しかいない。他の誰でも代わりはできない。だから、どんなに嫌われても鬱陶しいと思われても絶対に手放すつもりはない。
そしてそれに、ひっかかれれば皮膚を切り裂かれ血がにじみミミズ腫れとなる。ミミズ腫れは表面上の傷は小さくても、皮膚内部まで切れ込み、時間がたつにつれ痛みと痒みを伴うもの。
瑠璃の言葉は、まさにシュウトにとってひっかき傷のようなものだった。
瑠璃から【大嫌い宣言】を受けたシュウトはというと、自室に戻り、武具の手入れを始めていた。普段ならこうしていると、ささくれ立った気持ちは、ゆっくりと凪いでいく。無心になろうと、しばらく手を動かしていたが───
「……………………ダメだ」
シュウトは、太刀を傍らに置き、ため息をついた。
全く集中できない。いくら雑念を振り払おうとしても、瑠璃の言葉を思い出してしまう。
『あなたのこと、大っ嫌いです!』
そんな言葉を吐かれたのは、生まれて始めてだった。その衝撃を受け留めるよりも早く、暴言を吐いた当の本人は自室に閉じこもってしまったのだ。
言い捨てされた自分は怒りをぶつけても良いはずだが、そんなことはできないし、もとよりするつもりもない。今は、やるせない気持ちをどうしていいものか、途方に暮れている。
「どうして、こうなった…………」
再開を喜んでいるのは自分だけだったのだろうか。いや、その前に彼女は全く自分のことも、10年前の約束すら覚えていない様子だ。
シュウトは深いため息をついて、瑠璃の部屋に視線を移すと否が応でも庭の桜木が視界に入る。庭の桜木は今が見頃とばかりに満開である。
しかしあの晩は、まだ庭の桜は蕾のままだった─────。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あの日、突然、庭に迷い込んできた薄紅色の花びら。それは、まごうことなき、桜の花びらであった。
思わず庭に飛び出したが、庭の桜はまだ蕾のままであった。シュウトが訝しげに辺りを見回したのは一瞬だけ。再び、桜の花びらがシュウトへと風に乗って舞い降りたのだ。
その花びらに予感を感じ、シュウトは居ても立ってもいられず、ナギが止めるのも無視して、カザハに飛び乗り、屋敷を飛び出した。
抜き差しならない事情により、二人は世捨て人のような暮らしを強いられていた。そんな自分が軽率に外に飛び出すなど自殺行為であった。そして、予想通りシュウトは刺客に追われる羽目になった。なんとか、追っ手を処分し、行き着いた先は、とある丘。そこにはの満開の桜。幾たびもここへ足を運んだが、この桜木が花を咲かすのは二度目であった。
自分にとって、この桜は特別な意味がある。シュウトだけが、この桜木を『約束の桜』と呼んでいることを誰も知らない。
その満開の桜を目にしたときに、シュウトの予感は確信へと変わった。一歩一歩、カザハが脚を進めるごとに、胸の高鳴りは激しさを増していく。
そして、カザハが脚を止めたとき、シュウトの求め続けたものがそこにはあった。
だが、最初は夢かと思った。または、狐狸妖怪が見せた幻かとも。
願って、願って───心が軋むほどに待ち望んだ少女が───そこに居た。
朝もやの中でも、キラキラと輝く亜麻色の髪は、とても美しく、触れただけで壊れてしまいそうなほどに儚かった。
少女は、崩れるように倒れていた。が、少女は傷を負っていた。袖は無残にも破れて血がにじんでいた───そう、少女は間違いなく生身の人間だった。そして間違いなく、10年前にある約束を交わした少女だった。
また、会えたのだ。シュウトは、心の底から嬉しかった。生まれて初めて、天に感謝した。シュウトの待つだけだった、孤独な世界が一変したのだ。
気を失っている少女に声をかけると、少女は数拍おいて眼を開けた。その瞳は角度によって色彩が変わる不思議なものだった。
再びシュウトが言葉を掛けるよりも早く、少女はカザハに優しく語りかけた。
その口調は投げやりなのに、どこか淋しげなものだった。
傷で意識が朦朧としていた少女は短い会話の後、再び意識を失ってしまった。だが、シュウトの問いには間違いなく答えた。
『一緒に行く』と。
そして、その言葉どおり屋敷に連れて帰った。
少女が目を覚ますまでは、シュウトは不安で胸が潰されそうだった。寝食を忘れ、片時も離れず、ずっと側にいた。心配もあった。けれど、何より少女の瞳に最初に映るものは自分でありたかったから。
そして、寒いと震える少女に寄り添い暖めた。
何か、悲しい夢でも見ているのか、時々呟く寝言は、どれも悲しい言葉ばかりだった。だから、何度も手を握り、零れる涙をぬぐって、『大丈夫だ』と、言葉をかけた。
そうすると、少女は安心して、再び、深い眠りに落ちていった。
そして、少女が目を覚ましたときに、本当の二人の出会いとなる───と、思ったはずなのに。
「ったく、瑠璃殿は、なぜこうも私につれないのか…」
知らず知らずのうちに眉間に皺が寄る。
目覚めた少女は、見慣れない世界に飛び込んだせいなのか、警戒心をむき出しにしていた。その姿は、まるで毛を逆立てた子猫のようで、ひたすらに可愛いだけ。思わず愛らしさゆえに本気半分、冗談半分で戯れてみたら、本気で彼女を怒らせてしまったようだ。
そして、彼女に乞われるまま思いの丈を伝えた途端、彼女の表情は一変した。皮肉げに顔を歪め、運命なんか信じないと吐き捨てたのだ。
「……そもそも、瑠璃殿のほうから手を伸ばしたというのに」
シュウトは自分の小指を見つめ、唇を噛んだ。
桜木の下で、子供らしい小さくて愛らしい手を伸ばしていた幼い彼女の姿を思い出す。必死に自分を引き止める声も姿も今なお色あせない。
なのに、いざ触れる距離に現れてくれた少女は、自分の手を思いっきり振り払ったのだ。
10年という歳月は長い。人一人の性格を変えることぐらい、不可能ではない。彼女の身に何があったのだろうか。
シュウトにとっても、この10年は一言では言い表せない程、さまざまなことが身に降りかかった。全てを捨てて、異国へ移ることもできた。
けれどシュウトは頑なにこの地にとどまり続けた。それは、桜の木の下で交わした少女との約束を守るために。
「今更、大っ嫌いはないだろう」
そんなことを言われてももう遅い。シュウトにとって、瑠璃は唯一無二の存在であり、既に彼を形成する一部であるのだから。
瑠璃は世界で一人しかいない。他の誰でも代わりはできない。だから、どんなに嫌われても鬱陶しいと思われても絶対に手放すつもりはない。
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