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私と司令官さまの始まり

本当の恋の始まりです

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 色々思うところがあっても、私のお腹は食事を再開しろと、せっついてくる。そして司令官さまも、早く食べろと目力で訴えてくる。

 いや、まぁ食べますけど。でも食べ終わったら、私、失恋するんですよ?

 そんなふうに素直に言えたら、どれだけ楽だろうか。

 でも結局、どうせ失恋したら、また食欲がなくなるのだから今のうちに栄養摂取しておこうという結論に達した私は、匙を取って食事を再開することにした。

 


「───……ごちそうさまでした」
「ああ」

 ぺこりと頭を下げて、食べ終えた食器をトレーに戻す。

 そして、これを食堂へ運んだほうが良いか少し悩んでいたら、司令官さまはなぜかここで、くすりと笑った。

「シア、ここにパンの欠片が付いてるぞ」

 そう言って司令官さまは、手を伸ばして私の頬についたパンくずを拭きとった。

 ………いやもう、だから、そういうのは、本当にやめてください。

 そんな複雑な私の気持ちなんて知らない司令官さまは、さっさと話を始めてしまった。

「では、地下牢で君に言えなかったことを、これから説明したいと思う。君も色々私に話したいことがあるだろうが、まずは私の話を聞いて欲しい」
「……はい」

 ごくりと唾を飲んで頷けば、司令官さまは両手を組んで静かに語り出した。

「君が公園で倒れた時、確かに私はマーカスに対し張り込み捜査中だった。ただ君の存在を利用しようとはこれっぽっちも思っていなかった」
「……じゃあ、どんなふうに思ってたんですか?」

 思わず口を挟んでしまったけれど、司令官さまは嫌な顔をせず答えてくれた。

「あのまま連れ去りたかった。嫌なことも辛いことも、全部忘れさせてやりたいと思った。それと君を採用したのは、前に言った通りだけれど、本当は君から私の手の内に来てくれたのだから、もう捕まえて、絶対に離さないと決めていた。………シア、君を採用するにあたり多少の私情があったことは認めよう」
「…………っ」
「あと、シア。補足がある。君のことを初めて知ったのは、公園ではない。もっと前だ」
「嘘!?」
「………ここで嘘をついてどうする」

 呆れた司令官さまの口調に、私はだってと短い言葉しか返せない。

「昨年の冬だ。赴任する前に、ここへ視察に来た際、たまたま君を見かけたんだ。君は真冬なのに井戸で洗い物をしていた。手を真っ赤にして、でも一つ一つ丁寧に。そんな君の手を温めてあげたいと思った。………まぁ、端的に言うならば一目惚れだった」
「…………………」

 それ、初めて知った。

 多分、このことは、司令官さま以外誰も知らないこと。私と司令官さまの関係は、すごく前から始まっていたんだ。

 なのに、私はあんなひどい言葉を司令官さまに投げつけてしまったんだ。すごく胸が苦しい。

 でも、なんだろう。それと同時に、とっても不思議な気持ちになっている。ついさっきまで、この恋が終わるのがとても嫌だったけれど、今は、清々しい程に満足している。

 それはきっと、この恋がとても素敵なものだったから。だから、もう充分だ。

 ちゃんとお礼を言って、謝って、綺麗な幕引きをしよう。

「えっと、ご説明ありがとうございました。惚れて貰って嬉しかったです。好きになってくれてありがとうございました。あと、知らなかったとはいえ、酷いこと言ってしまって、申し訳ありませんでした」
「…………シア」
「なんでしょう」
「それだけか?」
「…………は?」
「嬉しいと思うだけか?申し訳ないと思うだけなのか?」
「………………」

 この人は酷い人だ。私からそれ以上の言葉を言わせようとするなんて。思わずジト目で睨んでしまう。

 でもすぐに、アジェーレさんとのことを伝えようと口を開く。が、───なぜか司令官さまに止められてしまった。

「い、いや、やっぱり良いっ。すまない。今の言葉は撤回させてもらおう。………君に言われなくても、わかっている。私は、自分のことを知ってもらい、そして自分のことを好きになって欲しいと思った。が、よくよく考えてみれば、君を惹きつける魅力が私にまだないことは十分理解している。……私にはこの地位とそれによって得られる収入しかない。容姿に関しては、一部の女性には受けが良いようだが、君の求める基準には達していない」

 いや、イケメン、高収入、そしてこの若さでこの地位。三拍子揃ってますけど?

 なんてことを口にしたら、超がつくほどややこしい状況になりそうなので黙っておく。代わりに、今度こそちゃんと伝えることにする。

「いえ、そうじゃなくて、私、司令官さまとアジェーレさんが一緒にいるのを見ちゃったんです。……恋人どうしなんで───」
「待て待て、誰が誰の恋人だと言った?」

 私の言葉を遮った司令官さまは、とても怖い顔をしていた。そして、吐き捨てように続けてこう言った。

「最悪だ。人生最大の汚点だ。あいつとそんなふうに疑われるなんて……」
「あの、アジェーレさんと司令官さまは恋人同士ではないんですか?」
「違うっ。断じて違うっ」

 激しく頭を振る司令官さまは、本気で、全力で、否定する。まるでこの世の終わりのような表情を浮かべて。

「じゃあ、何で………」

 おずおずと問いかければ、司令官さまはなぜかここで口元に手を当てる。

 そして、大変言いにくそうに渋面を作りながら口を開いた。

「君が私を見かけたと言ったのは、多分、地下牢に避難してもらった日の事だろう。あの日、実はすでにマーカスを捕獲し、施設の納屋でアジトの居場所とトップの名前を吐けと問い詰めていたんだ。だからさっきも言ったけれど、多少なりとも軍に関わっている君に被害が及ばないとも限らないから……その……少し離れた場所で君を見守っていたんだ。その時、運悪くアジェーレに見つかってしまい、少々弄られていただけだ。それに、アジェーレの母親と私の母親は姉妹。つまりはいとこ同士だ。大変認めたくないし、消すことができない人生の汚点でもある。シア、これで納得したか?いや頼む。ここは納得してくれ」
「………はい」

 前半の部分も、後半の部分もどちらも驚きを通り越してしまう事実で……。でも、なんとか頷けば、司令官さまほっとした様子で再び口を開いた。

「なら話をつづけるが、こちらの希望としては、一先ず、私が真剣な気持ちでいることを知って欲しいと思っている」
「はい」
「まぁそして、最終的に私と結婚して、新婚旅行に10日ほど付き合ってもらい、最低でも子供は2人。願わくば3人。本音を言えば上限なしでお願いしたい。もちろん子育ては2人でするものなので私も協力は惜しまない。いや、率先して、参加させてもらう。……そ、そして……か、可能ならば君の淹れてくれた薬膳茶を……私は、その……毎日飲みたいと思っている」

 要求が多いっ。そして具体的すぎるっ。

 でも……最後のお願いは、一番簡単なものなのに、どうしてそんなに弱気になってしまうんだろう。

「淹れますよ。司令官さま」

 私はにこりと笑ってそう言った。

 本当はもっともっと伝えたいことがあったけれど、きっとこの言葉だけで司令官さまは気付いてくれるだろう。

 そして言い終えた私も気付く。恋をするってこういうことなんだと。好きな人が自分を好きでいることってこういうことなんだと。

 自然に笑顔がこぼれるものなのだ。そして、訳もなく胸がどきどきしてしまうものなのだ。

「私、毎日、司令官さまの為に薬膳茶を淹れます」
「シア、それは………」
「そ、そういう意味です」

 急に得も言われぬ恥ずかしさを覚えて、すっと目を逸らしてそう言えば、司令官さまは、くすりと笑った。  

「可愛いな」
「…………っ」
「シア、好きだ」

 その言葉に弾かれたように顔を戻せば、嬉しそうに司令官さまが目を細めた。

 そして自然に視線が絡み合えば、そのアメジスト色の瞳は今までにない程に艶めかしい輝きを放つ。

「なぁシア、今なら、君に触れても、怒らないか?」

 そう言いながら司令官さまは手袋を外した。そしておもむろに立ち上がり、私の隣に腰かける。

 ぎしっとソファが微かに揺れる。片側の身体だけ妙に熱を持ってしまう。もじっと身体を動かせば、すぐさま司令官さまの大きな手が、私の頬に触れた。

 そして触れたそこは、痛いくらい切なくて、火傷するほどに熱くて。何か言葉を紡ぎたくても唇がわなないて、じっと司令官さまを見つめることしかできない。

「嫌なら突き飛ばしてくれ」

 吐息交じりにそう言った司令官さまは、両腕を伸ばして、がっちがちになった私を抱え込んだ。

 視界が一気に暗闇に包まれても、もう何も怖くない。でもそう思ってしまう自分がちょっとだけ怖い。

「シア、こっちを見てくれ」
「無理です」
「なぜだ?」
「は、恥ずかしいから………です」

 司令官さまの目を見て言えない私は、その胸に縋りついて赤くなった顔を隠す。

 そうすれば、司令官さまは腕の力をもっと込めて私を掻き抱く。でも、すぐに私の耳朶にこんな言葉を落とした。 

「なら、目をつぶってくれたまえ」
「………はい」

 それがどういう意味なのか、気付いたけれど私は素直に目を閉じた。

 そうすれば、司令官さまは私の顎に手を添える。

「……シア」

 たったその二文字に、どれだけの感情が込められているのだろう。ふとそんな思いがよぎる。

 そして、心地よい温もりと、控えめなコロンの香りに包まれてクラクラになった私に、司令官さまは、そっと触れ合うだけの優しいキスをしてくれた。
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