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私と司令官さまの攻防戦

夕方の薬草園③

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 切り株から立ち上がって、スカートの皺をぱんっぱんっとはたいて躊躇いがちに近づいた私に、司令官さまは遅いと叱ることはしない。

 ただ、私の顔を見つめ無言で手を伸ばし、拭いきれなかった涙を、そっと拭きとってくれた。

「では、行こう」
「はい」

 ただ、こくりと頷いてみたものの、どうして良いのかわからない。

 案内しろと言われても、だだっ広い敷地にありったけの薬草を植えているだけのこのお庭、一体何を案内すれば良いのだろう。

 そんな気持ちでまごまごする私に、司令官さまは的確な指示を出してくれる。

「君の親御さんには挨拶を終えているので、後は帰るだけだ。君は何か実家に用事はあるか?───……そうか、ないか。では、薬草園を一通り見てそのまま馬車に乗りたい。最短ルートでの道案内を頼む」
「では、こっちです。あ、2代目ノラに会いたいなら、反対の道の方が良いですけど……」
「いや、ノラ嬢と会うのは別の機会にしよう」
「っぷ……は、はぁい」

 メスヤギに【嬢】を付けるのが、妙にツボに入った。 

 うっかり吹き出してしまった私は、怒られるのが怖くて、すぐに、じゃあこっちですと手のひらで道を示して歩こうとした。途端に、司令官さまに腕を掴まれてしまった。

「まちなさい。私が前を歩く。君は後ろを歩きたまえ。道順は口頭で説明してくれ」
「………はぁ、じゃあコレ使って下さい」

 吹き出してしまったことを咎められたわけではないようで、ほっと胸を撫で下ろす。

 あと、気遣いから手に持っていたランプを差し出してみたけれど、司令官さまは首を横に振った。

「気遣いは感謝する。だが、不要だ。私は夜目は利く方だから、君が持ちなさい」

 そうだろうか。やっぱり先頭を歩く人が持つべきだと思う。

 あと、後ろから司令官さまに、あっちだこっちだと指図するのも何だか失礼な気がしてしまう。

「あの………やっぱり私が前を歩きます。道案内するなら、その方が良いですし……」
「まったく、呆れたものだ。君は、なにもわかっていないな」
「はぁ?」

 急に小馬鹿にされて、ちょっとカチンとなる。

 立場を弁えずムッとした表情を作る私に、司令官さまは肩を竦める。

「今日一日で、私は君に手袋越しとはいえ、どれだけ触れたかわかっているのか?そして一度触れてしまえば、抑えが利かなくなる私の気持ちをわかっているのか?しかも君の涙を見てしまった後だ。前を歩かれては、いつ君を抱きしめてしまうかわからない」
「………っ!?」

 瞬間、私は、ずささささっーと砂埃を立てて後退した。

 そんなあからさまな警戒心マックスアピールをする私に、司令官さまは、やれやれといった感じで苦笑を浮かべる。

「安心したまえ。私が前を歩いていれば、君を視界に入れることはないから、なんとか衝動を抑えることができる。ただ、私が振り返ってしまった時は、そのランプで私を殴りたまえ。遠慮はいらない。では、行こう」

 そう言って司令官さまは、てくてくと歩き出す。つられて私もてくてくと歩く。

 施設で働き出して知ったことだけれど、軍人さんは剣の稽古をしているので、とても姿勢が良い。

 ご多分に漏れず前を歩く司令官さまも、ただ歩いているだけなのに、大変お美しい。片側に剣をぶら下げているのに、引っ張られることもない。まっすぐ歩かれておられる。

 あっ、そういえば、司令官さまの後姿を見るのは初めてだ。私は何度も見せたことがあるけれど。

 それにしても大きな背中だ。少し長い髪は、歩くたびに肩に当たり、軽く揺れる。それくらい、さらっさらだ。ちょっとムカつく。

 一瞬、舌打ちしたい衝動に襲われる。けれど、ふと思い出す。夕闇の中、強い色彩を放つその白い手袋を嵌めた手が、あの時、世界なんか滅んじゃえと願った私を救い上げてくれたのだと。

 それから、次々と思い出される。あの時、なんでかわからないけれど、保護者のように駆けつけてくれたこと。私の為に怒ってくれたこと。私の涙を拭ってくれたこと。

 そしてついさっきまで、消えてまいたいと思って泣いていたのに、イケメンの後姿に悪態を付けるくらい、今、私の心が平常になっているのは、司令官さまとこうして一緒に居るからで……。

 その時、私は今更なことに気づいてしまった。

 ずっと、ただイケメンという理由だけで、私は司令官さまのことをちゃんと見ていなかったことを。

 とても恥ずかしいけれど、私はマーカスと同じように、相手の気持ちなんてこれっぽちも考えていなかったんだ。

 それって、とっても失礼だし、もしかして司令官さまは傷付いていたかもしれない。

 ……でも、司令官さまは、一度だってそのことで私を責めたりしなかった。ああ、司令官さまはもしかして、とっても優しい人なのかもしれない。

「───………今日は、色々ありがとうございました。司令官さま」

 足音に紛れてそんなことを口にした途端、司令官さまの足がピタリと止まった。

「あの………どうされたんですか?」
「……………」

 おずおずと背後から声を掛けても、司令官さまはピクリとも動かない。

 思わず先程の忠告をうっかり忘れて、司令官さまの前に立つ。そして、そぉっと顔を覗き込む。

「あのぉー」
「な、なぜこっちに来た。私は警告をしたはずだ」
「あ、あれは冗談だと……」
「馬鹿を言うなっ。本気だっ」
「嘘!?」
「嘘なものかっ。今すぐ離れたまえっ」

 くわっと目を見開いてそう叫んだ司令官さまは、すぐに慌てたように顔を片手で覆ってしまった。

 そして本気と聞いて、私が秒で身体を移動させたことは、責めないでほしい。

「あの、司令官さまは、私、横に移動しました。前じゃなくって横なら良いですよね?………で、大丈夫ですか?」

 双方問題ない状態だと主張した私に、何故か司令官さまは、ジト目で私を睨みつける。

「ったく、不意打ちにも程がある」
「はぁ?」
「シンシア殿、無自覚に私を翻弄してくれるな。こっちは子供相手に四苦八苦しているんだ」
「……はぁ」

 理解不能な司令官さまの訴えに、私は間の抜けた返事しかできない。

 ちなみにランプに照らされた司令官さまの顔は、夕闇でもわかるくらい真っ赤だった。

 えっとぉ……風邪でもこじらせたのでしょうか。お大事に。
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