上 下
1 / 37
プロローグ

恋の始まりと、終焉

しおりを挟む
 ───……ざあざあと雨が降り注ぐ。

 かつて誰かが、雨の滴を銀色だと例えたのを覚えている。

 けれど、実際には雨の滴は透明でしかない。私の髪に落ちれば、すみれ色に染まり、あなたの髪に落ちればそれはやっと銀色になる。

 ───……ざあざあと雨が降り注ぐ。

 全て雨に流されてしまえば良いと願う古い歌があったのを私は覚えている。

 でも、消えゆくあなたの命を消さないでと必死に祈らずにはいられない。どうか、傷付いたあなたの身体から、これ以上血を流させないでいてと。どうか、体温を奪わないでと懇願せずにはいられない。

 なのに、あなたは笑う。満ち足りた表情で。

 仰向けに倒れたまま、起き上がる気力も体力もないくせに。

「……姫さま、ご無事で何よりです」

 人を寄せ付けないアイスブルーの瞳を柔らかく細めたあなたは、青白くなった唇で嬉しそうにそんな言葉を紡ぐ。そして───
 
「私はですね、ずっとあなたのことが好きだったんですよ、姫さま」

 そう言ったあなたの吐息まじりの掠れた声は、体温とは違う熱を孕んていた。

 ねぇ。なんで、こんなときに、あなたはそんなことを言うの?

 もう最後だから言ってしまえという気持ちなのだろうか。もしそうなら、そんな言葉いらない。

 ……いらないから、死なないで。どうか、ずっと傍に居て。

 聖騎士のあなたは高潔、献身、慈悲そんな言葉が服を着て歩いているような人だった。

 そして私が、どれだけ遠回しに想いを伝えてみても、あなたは私との身分差を言い訳にして、決して応えてはくれなかった。

 そんなあなたを私は、ずっと想いが届かない相手だと思った。
 それでも私は、あなたに恋をしていた。
 実らないとわかっていても、あなたと過ごす日々を大切にしたいと思っていた。

 なのに深手を負って、血まみれで、生きるか死ぬかの瀬戸際っていう時に、こんな言葉を紡ぐなんて………場違いにも程がある。

 だから私は、この場でもっとも相応しい言葉を口にする。

「…………お願い、死なないで」

 差し出された手を掴んだ私は、この大きな手を強く握りしめる。そうすることで、消えゆくあなたの命を留めることができるかのように。

 けれど、その手はとても冷たい。ついさっきまであんなに暖かかったというのに。

 ああ、この雨のせいだ。この雨が、あなたの体温を、そして血を奪っていくのだ。
 
 ………嫌だ。お願い。どうか、この人を私から奪わないで。

 雨が止んだらあなたは生きながらえる。

 根拠など何処にもないけれど、必死に雨が止むのを祈る。そして私は、更にあなたの手に力を込める。

「お願い、私をおいて行かないで。独りにしないで」

 それが叶うなら、この想いが届かなくてもいい。何と引き換えにしてもいい。だから、どうか、どうか……。

 そう必死に言葉を紡ぐ。でも、やっぱりあなたの口から紡がれた言葉は私の望むものではなかった。

「私は、誰よりもあなたを愛していました」

 ねえ、何度もいうけれど、どうして今、そんなことを言うの?

 そして私の口から出た言葉も、あなたの気持ちに応えるものじゃなかった。

「……お願い。姫じゃなくって、私の名前を呼んで」

 雨粒が私のほほを濡らす。

 この雫が瞳から溢れたものなのか、空から降ってきたものなのか自分でもわからない。

「リエノーラさま」
「違う。そっちじゃないっ」

 まるで子供が癇癪を起したかのように、私は強く頭を振った。

「………利恵」
「うん」
「利恵」
「うん」
「利恵、好きです」
「…………………」

 ずっと名前で呼んでって言っても、叶えてくれなかったのに。
 
 やっと呼んでくれた。嬉しい……嬉しけど、悲しい。

「利恵、愛してます」

 独りで完結してしまいそうなあなたの声を聞いたら、もう我慢の限界だった。

「私もっ、私も、ディルが好きっ」

 終始穏やかな表情を浮かべていたあなたは、ここで信じられないといった感じで目を見開いた。

 そして堪らないといった感じで私の頭を抱え込み、私の耳朶に口元を寄せそっと囁いた。

「嬉しいです。利恵……ずっとあなただけを見つめていました。愛していました。私のこの気持ちは永遠にあなたのものです」

 身も心も蕩けてしまうような言葉を私の耳元に落とし、あなたは私の顎に手を添える。アイスブルーの瞳を揺らめかせて。

「だからどうか…………」

 ───幸せになってください。

 最後の言葉は、雨音とあなたからの口付けで掻き消されてしまった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

不倫をしている私ですが、妻を愛しています。

ふまさ
恋愛
「──それをあなたが言うの?」

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

処理中です...