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終焉の始まり

朝焼け雲の迎え人

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【スラリス、お迎えが来たわ】

 そう呟いた少女の視線の先には一人の青年がいた。片手に剣を握りしめ、朝焼け雲のような紫がかった静かな朱色の髪を瞳をもつその人は、初めて見るはずなのに、直感であの人だとわかる。

 てっきり、私は少女が言っていたお迎えとは、バイドライル国の者だと思っていた。でも、違った。少女が待ち望んでいた人物は、髪と瞳の色を夜明けの色に変えたレナザードだったのだ。

 それに気付いた途端、レナザードはあっという間に姿を消し、瞬きをした瞬間、私の目の前に居た。しかもなぜか私に刃を向けていた。

「えええ!?」

 ちょっと待って!とか、何するの!?とか言う前に、とりあえず、絶叫してみた。けれどレナザードは表情を変えることなく、剣を振りかざす。

 ぎゃっと悲鳴を上げ堅く目を瞑った私の耳朶に、ひゅんと空気を切り裂く音が響く。そしてその音が聞こえた途端、私の身体に巻き付いていた糸が消え、全身を蝕んでいた痛みが嘘のように消えていった。
 
 数拍遅れて、彼が私の身体に巻き付いていた見えない糸を断ち切ってくれたことに気付く。

 ただ、突然のことで支えを失った私の身体は、くらりと傾きよろめいてしまう。けれどレナザードは、それも予期していたのだろう。片腕で難なく受け止めてくれた。そして加減なく抱きしめられた私は、そのまま持ち上げられ、つま先が宙に浮いてしまう。

「………間に合って良かった」

 姿が変わっても、他の誰とも聞き間違いようのない、愛しい人の声がする。

 絞り出すように呟いたレナザードの声は、震えていた。そして片腕で抱きしめているだけなのに、その力はとんでもなく強い。あまりの苦しさに喘ぐように息を漏らしても、緩めてくれる気配はない。

 あれだけ軍勢に囲まれても、大怪我をしても、余裕綽々としていた彼なのに、まるで別人のようだ。

 そんなレナザードに大丈夫と伝えたい。少女は私に殺意がなかったと伝えたい。でも、その前にどうして伝えたいことがある。

「レ、レナザードさま……苦しいです。離して下さい」
 
 再会した恋人に向ける最初の言葉がこれとは.........。けれど、レナザードは私の訴えを無視して更に力を込める。緩む気配は一向になさそうだ。

 さて困った、どうしたもんだろう、などと流暢に考えている暇はない。多分あと3秒で私はボキリと折れてしまう。感動の再会が、別の意味で涙に濡れそうだ。

 そんな私の危機を救ってくれたのは、呆れと怒りが混ざった少女の声だった。

「随分遅かったわね、お兄様」
「お兄様ですか!?」

 思わず叫んだ私だったけれど、二人は私の方に視線すら向けてくれない。どうやらスルーされる流れのようだ。音量とリアクションが反比例して切ない。

 だからといって、もう一度声を掛ける勇気のない私はこっそり、レナザードと少女の顔を交互に見つめる。少女は灰色がかった紫色の瞳で、レナザードは紫紅色の瞳。大雑把だけれど、二人には紫色の瞳という共通点がある。

 そして、ついさっき少女は【ユズリは決してレナザードと結ばれることはない】と言っていた。つまり、少女の言葉が本当なら、ユズリは実の兄に想いを寄せていたことになる。

 けれど混乱を極めた今の私は、それ以上深く考えることができず【あーそうなんだぁ】と、ぼんやりとその事実を受け止めることしかできない。

 ただレナザードが少女に向ける視線は、妹に向けるそれではない。兄弟喧嘩の険悪な空気を通り越して、敵対心剥きだしだ。反対に少女は腰に手を当て、柳眉を吊り上げているが、絶対に怒られることはないという自信からくる甘えを含んでいる。

「お兄様ともあろうお方が、あれぐらいの軍勢に何を手こずっていたの?まったく情けないわ。あのね、バイドライル国は、近々私達の故郷に奇襲をかけるつもりだったのよ。だから、私が先に屋敷に呼んでおきましたの。手間が省けたでしょ?褒めてくださいな。………でも、お兄様がもたもたしてくれたおかげで、こうしてスラリスと最後にお喋りすることができて、私、嬉しかったわ」

 えええ?もう何が何だかわからない。

 二転三転する展開について行けず、私はレザナードの腕に抱かれたまま、あんぐりと口を開けて少女を見つめることしかできない。

 そんな間抜け顔の私を無視して、話はどんどん進んでいく。

「お兄様、私、ちょっとお節介かもしれませんが、ヘタレなお兄様に替わって、私達の一族の事、彼女に全部お伝えしちゃいました。ふふっ、お兄様、そんな怖い顔をなさらないで。安心してください、スラリスは怯えるどころか、私とユズリが喧嘩しないの?なんて馬鹿なことを聞いてくれたわ。だからお兄様の本当の姿を見ても、スラリスは動揺一つしないでしょ?」

 いや、若干動揺しています。なんて素直に言える空気ではなさそうだ。

 あらぬ方へ視線を泳がす私に、少女は気付いていないのか悔しそうに口を尖らせながら言葉を続けた。

「本当は、ちょっとでも怯えたりしたら、屋敷から追い出そうと思っていたし、軽蔑したらすぐさま殺して差し上げようと思っていたんですけれど……やっぱりお兄様が選んだ女性だけあるわ。素敵な女性ね」

 少女の語る言葉に、ちゃんと考えなければいけないと思いつつも、私は既に絶賛キャパオーバー中だ。そんな私は、現在進行形で半径5メートルの基準でしか物事を考えられず【あー、ユズリは重度のブラコンだったんだ。ちょっと以外だなぁ】と、どうでもいいことを考えてしまう。

 けれど、これまた現在進行形で私を軽々と片腕で抱えているその人は、少女の話を理解しているようで、静かに口を開いた。

「そうか......お前の言うことが全部本当だとしたら、なぜ、ユズリは闇に堕ちた?」

 自分に問い掛けられた訳じゃないのに、身体が強張ってしまう。そして、いや、それ聞いちゃうの!?と、思わずぎょっと目をむいた私だったけれど、少女はレナザードの問いに、人差し指をぴんと立てて唇に押し当てながら、いたずらっ子のような笑みを浮かべ、くすくすと肩を揺らしてこう言った。

「内緒ですわ」
「ふざけるなっ」

 噛みつくように叫んだレナザードに、少女は飄々とした笑みを浮かべた。

「あいにく、その事情はユズリと私の秘密なので、大好きなお兄様でも教えることはできませんわ。ごめんなさい」

 そしてものすごい速さでこちらを向いた少女は【いらんことを喋ったら、ぶっ殺す】と目で訴える。………本気の殺意と共に。

 もちろんそんなつもりはない私は、高速で何度も頷いた。そして、レナザードからも視線を逸らす。

 チェス盤をひっくり返したような訳のわからない状況だけれど、今、絶対にレナザードと目を合わせてはいけないことぐらいはわかるから。
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