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十六夜に願うのは
十六夜に願うのは
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【俺の前では、飾らなくていい。弱いままでいい】
………どうして。
なぜレナザードは、メイドでしかない私に、こんなにも優しい言葉をかけてくれるのだろう。そして、彼のたった一言が、こんなにも心をかき乱すのだろう。
そして、堪えきれなくなった気持ちは、もう止まらない。子供のように顔を歪め、瞳からはとめどなく涙が零れ落ちる。
この屋敷に来てから私は随分と泣き虫になってしまったようだ。
子供の頃は感情のまま泣いたりしていたけれど、少し大人になってからは、後悔や懺悔で泣いたり、切なくて泣いたり、そんなこと滅多になかったはずなのに。
泣いても仕方がないということを覚えてしまえば涙を流すことはぐっと減った。泣かないこと全てが正しいとは思っていないけれど、身体が成長するように心だって成長する。痛みや辛さに耐性が付いて、それを回避する術だって覚えた。
ただ国が滅んでしまったことはどんな術を持ってしても痛みや辛さを回避できるものではない。でもアスラリア国の皆を思い出して、泣きたくなんかなかった。泣いてしまったら現実を受け止めないといけないような気がして。
もうアスラリアという国がなくなってしまったということも、お城の仲間の安否が今でもわからないことも。そしてもしかして、私だけが生き延びてしまっているかもしれないということを認めるのが怖かった。
もちろん、全てを諦めたわけではない。ずっとずっと願っている。再会は叶わなくても、皆無事に生きていて欲しいと。
そして、明日をも知れない状況で不安に苛まれている人々がいる中で、生き延びて恋慕におぼれている私をどうか許してほしいとも。暖かい部屋で大好きな人の腕の中で泣くことができる私を、どうが許して欲しい。
「………大丈夫だ、スラリス」
声に出した訳ではないのに、ここに居ない人たちに向けて許しを請うた瞬間、レナザードがそう私に囁いてくれた。
腕の中で聞く彼の声はどこまでも優しい。そして私を抱きしめてくれるレナザードの腕は逞しくて、包み込む胸は広くて、見上げれば私の涙を拭ってくれるその手はとても大きい。
初めてレナザードと出会って手を繋いだ時、私達の手は同じ大きさだった。なのに、今は私の頬をすっぽりと包んでくれる。そう、彼は大人になったのだ。
薄く華奢な体の持ち主だった儚い少年はもうどこにもいないのだ。その代わり、遥かに身分の低いものにも躊躇することなく優しさを与えられる大人がここにいる。ただ年相応の意地悪さも、兼ね備えているけれど。
そしてそんなことを考えられるようになった私は、いつの間にか涙が止まっていた。
悲しみではない涙は、すぐに渇くもの。けれども、思いっきり泣いた後の心は驚くほど軽くなっていた。
「ありがとうございます」
本来ならメイドが屋敷の主の腕の中で泣くなど無作法に当たるので【失礼いたしました】か【申し訳ございません】が正しいのだろう。でも、もうちょっとだけレナザードの言葉に甘えてみる。
「これで、おあいこだな」
予想通りレナザードからの言葉は咎めるものではなかった。
そして、そう言いながら、くるりと瞳をこちらに向け、口の端を持ち上げるレナザードの笑みが、何だか悪戯の共犯者に向けるそれのようで可笑しくなり声に出して笑ってしまう。つられて彼も薄く笑ってくれた。
それから、レナザードは直ぐに深い眠りに落ちた。熱も高く、傷が痛むのに私が泣き止むまでずっと抱きしめていてくれた彼の優しさに胸がいっぱいになる。
「…………かなわないなぁ」
そう呟いても少レナザードは規則正しい寝息を立てている。眠りを妨げないように気を付けながら掛布を整え、窓へと移動する。それから音を立てないようにそっと窓を少し開けて夜空を仰ぐ。
しっとりと夜露を孕んだ草の香りがふんわりと漂う。見上げれば、夜空にぽっかり浮かんだ月。
不思議な気持ちだ。去年までは私は呑気にメイドをしていた。今もメイドをしているけれど、取り巻く環境はまるで違う。
決して今の生活に不満があるわけではない。ただ時折嵐のように訪れる虚無感に襲われてしまう。お城の皆も私と同じ気持ちを抱いて、この月を見上げているのだろうか。願わくば、虚無感に苛まれていても、絶望だけはしないでいてほしい。
「まるで、十六夜みたいな月みたい」
そんなことを考えながら見上げる今宵の月は満月。けれども、十六夜はまだ先のこと。それでも進みそうで進まない、躊躇う自分の心は十六夜のよう。
「─────────…………」 、
不意に熱にうなされたレナザードが何かを呟いた。けれどその声があまりに小さすぎて拾い上げることができなかった。
けれど、きっと彼が呟く言葉は一つだけだろう。愛しい女性の名前。それはかつての私だけれど、決して私の名前ではない。
そのことが、今の私達の関係を表しているような気がする。
振り返ればあっという間だけれど、実際には8年という月日は長いものだ。その時間の中で私はあの頃のままではいられなかった。でも、彼が今も大切に抱えているティリア王女という幻影は、気高く美しい女性なのだろう。
開けていない窓に視線を移せば、そこにはメイドの制服を着るために生まれてきたような私がいる。
幼い頃はティリア王女と並んでも遜色なかった黒髪も、いつの間にか色素の薄い橡色になってしまった。そして箒とバケツが手に馴染んでいる私は、逆立ちしたって彼の理想とする女性にはなれそうにない。
お互いが大切にしている思い出は同じなのに、レナザードが私のことを好きになってくれる…それは永遠に叶わないような気がしてくる。
だからといって、彼に真実を告げないまま側にいるのは、あまりに自分勝手過ぎるのもわかっている。レナザードの傷が癒えたら、きちんと彼に伝えよう。それがどんな結果となるとしても。
こつんと窓に額を付けて、目を閉じる。
神様、教えてください。
自分から失恋に向かう恐怖と、それでも未練がましく想いを抱えて生きていくのと……どっちが苦しいのですか?
でも今宵は、もう少しこのままズルい私でいさせてください。私は、月に向かってそっと祈った。
………どうして。
なぜレナザードは、メイドでしかない私に、こんなにも優しい言葉をかけてくれるのだろう。そして、彼のたった一言が、こんなにも心をかき乱すのだろう。
そして、堪えきれなくなった気持ちは、もう止まらない。子供のように顔を歪め、瞳からはとめどなく涙が零れ落ちる。
この屋敷に来てから私は随分と泣き虫になってしまったようだ。
子供の頃は感情のまま泣いたりしていたけれど、少し大人になってからは、後悔や懺悔で泣いたり、切なくて泣いたり、そんなこと滅多になかったはずなのに。
泣いても仕方がないということを覚えてしまえば涙を流すことはぐっと減った。泣かないこと全てが正しいとは思っていないけれど、身体が成長するように心だって成長する。痛みや辛さに耐性が付いて、それを回避する術だって覚えた。
ただ国が滅んでしまったことはどんな術を持ってしても痛みや辛さを回避できるものではない。でもアスラリア国の皆を思い出して、泣きたくなんかなかった。泣いてしまったら現実を受け止めないといけないような気がして。
もうアスラリアという国がなくなってしまったということも、お城の仲間の安否が今でもわからないことも。そしてもしかして、私だけが生き延びてしまっているかもしれないということを認めるのが怖かった。
もちろん、全てを諦めたわけではない。ずっとずっと願っている。再会は叶わなくても、皆無事に生きていて欲しいと。
そして、明日をも知れない状況で不安に苛まれている人々がいる中で、生き延びて恋慕におぼれている私をどうか許してほしいとも。暖かい部屋で大好きな人の腕の中で泣くことができる私を、どうが許して欲しい。
「………大丈夫だ、スラリス」
声に出した訳ではないのに、ここに居ない人たちに向けて許しを請うた瞬間、レナザードがそう私に囁いてくれた。
腕の中で聞く彼の声はどこまでも優しい。そして私を抱きしめてくれるレナザードの腕は逞しくて、包み込む胸は広くて、見上げれば私の涙を拭ってくれるその手はとても大きい。
初めてレナザードと出会って手を繋いだ時、私達の手は同じ大きさだった。なのに、今は私の頬をすっぽりと包んでくれる。そう、彼は大人になったのだ。
薄く華奢な体の持ち主だった儚い少年はもうどこにもいないのだ。その代わり、遥かに身分の低いものにも躊躇することなく優しさを与えられる大人がここにいる。ただ年相応の意地悪さも、兼ね備えているけれど。
そしてそんなことを考えられるようになった私は、いつの間にか涙が止まっていた。
悲しみではない涙は、すぐに渇くもの。けれども、思いっきり泣いた後の心は驚くほど軽くなっていた。
「ありがとうございます」
本来ならメイドが屋敷の主の腕の中で泣くなど無作法に当たるので【失礼いたしました】か【申し訳ございません】が正しいのだろう。でも、もうちょっとだけレナザードの言葉に甘えてみる。
「これで、おあいこだな」
予想通りレナザードからの言葉は咎めるものではなかった。
そして、そう言いながら、くるりと瞳をこちらに向け、口の端を持ち上げるレナザードの笑みが、何だか悪戯の共犯者に向けるそれのようで可笑しくなり声に出して笑ってしまう。つられて彼も薄く笑ってくれた。
それから、レナザードは直ぐに深い眠りに落ちた。熱も高く、傷が痛むのに私が泣き止むまでずっと抱きしめていてくれた彼の優しさに胸がいっぱいになる。
「…………かなわないなぁ」
そう呟いても少レナザードは規則正しい寝息を立てている。眠りを妨げないように気を付けながら掛布を整え、窓へと移動する。それから音を立てないようにそっと窓を少し開けて夜空を仰ぐ。
しっとりと夜露を孕んだ草の香りがふんわりと漂う。見上げれば、夜空にぽっかり浮かんだ月。
不思議な気持ちだ。去年までは私は呑気にメイドをしていた。今もメイドをしているけれど、取り巻く環境はまるで違う。
決して今の生活に不満があるわけではない。ただ時折嵐のように訪れる虚無感に襲われてしまう。お城の皆も私と同じ気持ちを抱いて、この月を見上げているのだろうか。願わくば、虚無感に苛まれていても、絶望だけはしないでいてほしい。
「まるで、十六夜みたいな月みたい」
そんなことを考えながら見上げる今宵の月は満月。けれども、十六夜はまだ先のこと。それでも進みそうで進まない、躊躇う自分の心は十六夜のよう。
「─────────…………」 、
不意に熱にうなされたレナザードが何かを呟いた。けれどその声があまりに小さすぎて拾い上げることができなかった。
けれど、きっと彼が呟く言葉は一つだけだろう。愛しい女性の名前。それはかつての私だけれど、決して私の名前ではない。
そのことが、今の私達の関係を表しているような気がする。
振り返ればあっという間だけれど、実際には8年という月日は長いものだ。その時間の中で私はあの頃のままではいられなかった。でも、彼が今も大切に抱えているティリア王女という幻影は、気高く美しい女性なのだろう。
開けていない窓に視線を移せば、そこにはメイドの制服を着るために生まれてきたような私がいる。
幼い頃はティリア王女と並んでも遜色なかった黒髪も、いつの間にか色素の薄い橡色になってしまった。そして箒とバケツが手に馴染んでいる私は、逆立ちしたって彼の理想とする女性にはなれそうにない。
お互いが大切にしている思い出は同じなのに、レナザードが私のことを好きになってくれる…それは永遠に叶わないような気がしてくる。
だからといって、彼に真実を告げないまま側にいるのは、あまりに自分勝手過ぎるのもわかっている。レナザードの傷が癒えたら、きちんと彼に伝えよう。それがどんな結果となるとしても。
こつんと窓に額を付けて、目を閉じる。
神様、教えてください。
自分から失恋に向かう恐怖と、それでも未練がましく想いを抱えて生きていくのと……どっちが苦しいのですか?
でも今宵は、もう少しこのままズルい私でいさせてください。私は、月に向かってそっと祈った。
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