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あの日の約束をもう一度

もう一人の肉親と対面して思うこと

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 ヴェルフィア卿が投げ捨てた小切手を両手に抱え込んだ叔母は、それを更に強く握りしめる。

 これは自分のもの。誰にも奪われてなるものかと言わんばかりに。

 その姿はやっぱり醜悪で、とてもとても見苦しいもので………気付けば私はレイディックの上着を握りそれで顔を隠してしまっていた。

 そんな中、心地よい響きを持つテノールの声が私の耳に言葉を落とす。

「アスティア、ヴェルフィア卿と向こうの部屋に行ってて。僕はこの人と少し話があるから」
「え?」

 その発言が信じられなくて、短い問いを吐いてしまう。そしてすぐに彼の上着を離さないまま、今度は顔を上げて再び問い掛けた。

「…………レイは、一緒に居てくれないの?」
「うん。ごめんね。でも、すぐに行くから。ね?」
「…………」

 そう言われても、素直に頷くことはできない。

 でも視界の端に映るヴェルフィア卿は、扉を開けたまま私を待っている。

「さ、ヴェルフィア卿を待たせてはいけないよ」

 聞き分けのない子供を諭すようなレイディックの口調に唇を噛む。

 自分が彼を困らせているのはわかってる。それに、平民が貴族を待たすなどあってはならないこと。そして私はもう、感情論だけで動いて良い子供ではない。

「…………ええ、わかったわ」

 そう頷き、自分からレイディックの腕を離れ、扉に向かう。

 でも内心、こんな大人ぶった言い訳をしないと、足を動かすことができない自分が、とても情けなかった。






 廊下に出た私は、使用人の後に続き、ヴェルファイア卿と並んで歩く。会話は一切ない。それが、とても気まずい。とはいえ、何か声を掛けて欲しいとも思わないけれど。

 でも、移動距離はそれほどではなく、二度ほど気まずさから小さく息を吐けば、すぐに到着した。

 そして使用人の手で開けられた扉の先には、既に先客がいた。

「おかえりなさい。あなた」

 ピンクがかった見事な金髪を緩く結い上げ、優雅にティーカップを傾けるその人は、貴婦人と呼ぶべき品の良い初老の女性。

 そしてティーカップをソーサーに戻したその人は、ほんの少しだけ不満げに口元を歪めた。

「わたくしも、カロリーナさんに挨拶したかったのに、ここで待たないといけなかったのは、とても残念ですわ………。今からでも、少しだけご挨拶するのは、いけないかしら?」

 頬に手を当てながら、拗ねたような口調になるその婦人は、まるで少女のような可憐な仕草であった。

 そしてこの言葉は私ではなく、もう一人の人に向けたものであり、二人だけの特別な絆を感じさせるもの。

 ───そっか。この人は間違いなくヴェルフィア卿の奥方なのだ。

 それに気付いた途端、夫であるヴェルフィア卿は、小さく咳払いをすると、妻に向かい口を開いた。

「話は済んだ。それに、ああいうものは婦女子に見せるものではない…………っと、失礼」

 最後の謝罪は、始終叔母とのやり取りを目にしていた私に気遣ってくれたものなのだろう。でも、私は当事者なのだから、そこまで気を遣われる必要なないのだけれど…………。

 ということをぼんやりと考えていたら、自然と婦人と目が合った。

「初めまして、アスティア。わたくしの名前は、フローレンスというのよ」

 立ち上がってそう自己紹介をした婦人は、ゆっくりと私の元に近づき、にっこりと微笑んだ。

「さ、こんなところに立っていないで、こちらにお座りなさい」

 そう言って、ふっくらしたその手で私の手を取り、再びソファへと戻る。そして並んで座った私を覗き込むと、突然、くすっと………ではなく、柔らかく声を上げて笑った。

「フローレンス…………何事だ?」

 渋面を作りながらそう問うたヴェルファイア卿に、婦人はくすくすと口元に手を当てながら答える。

「ふふっ、ごめんなさい。あなたと同じ瞳の色なのに、アスティアの瞳は、どうしてこんなに柔らかく見えるのかしらと思ったら可笑しくて…………あなたって、やっぱり地顔が怖いのね。ふふっ」
「は?」
「……………自分では良くわからんな」

 貴婦人の言葉に、短い言葉を返したのは私、そして少しの間の後、口を開いたのはヴェルファイア卿。

 そんな私と公爵様を交互に見つめた婦人は再び可笑しそうに声を上げて笑う。

 けれど、すぐに小さく息を付く。次いで、少し俯きながら呟いた。それは、とても寂しそうな口調だった。

「アスティア、急にわたくしたちが押しかけてしまって…………やっぱり、気まずいわよね。そうよね…………どんな顔をすれば良いのかわからないわよね。ええ、わたくしも、戸惑っているわ」
「……………………」
 
 そう言われて、素直に是と頷いて良いのだろうか。

 無言のまま困惑した表情を浮かべる私に、婦人は、恐る恐るといった感じに私の手に触れた。

 そして、私がその手を振り払わなったことに、安堵の表情を見せる。次いで反対の手も私の手に重ね、再び口を開いた。

「でもね、アスティア。わたくしはあなたに会えて嬉しいわ。…………そして、ごめんなさい」

 そう謝罪の言葉を紡いだ母と同じ髪色の婦人は、ゆっくりと母の過去を語りだした。
 
 といっても、クリスティーナの娘である私は、ある程度は知っている。

 私の母、クリスティーナは、揺るがない地位と財力を持った公爵家の一人娘として生まれたけれど、とても身体が弱かった。

 季節の変わり目には必ず風邪を引き、日常でも少し無理をすれば必ず熱を出していた。

 そんな娘を持ったヴェルフィア卿は、各地の名医を自宅に呼び寄せ、治療にあたらせたらしい。そして、とある名医の助手として屋敷を訪れた父と知り合い、母は恋に落ちたのだ。

 もちろんヴェルフィア卿は二人の交際に大反対をした。ありとあらゆる手を使い、二人の仲を引き裂こうとした。

 けれどそれは益々、二人の絆を深めることとなり…………その結果、母は駆け落ちすることを選んだ。その後、この村に流れ、私を生んだ。それがとある公爵家の一人娘の過去の話。

「───…………当時はわからなかったけれどね、あの時の私達は、娘に自分の考えを否定されたような気持ちになってしまっていたの………。クリスティーナの幸せは、私達が決めるものだと信じて疑わなかったの…………でも、それは間違いだったわ」

 最後にそんな言葉を紡いだ婦人は、深い深い溜息を落とし口を閉ざしてしまった。

 今、このしんとした部屋には、悔しさと切なさと淋しさが充満している。そしてそれらを消し去ることができるのは、私の両親だけ。

 でも、二人はもうここにはいない。それがとても遣る瀬無かった。
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