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あの日の約束をもう一度

叔母の主張とレイディックの策謀②

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 叔母は食い入るように誓約書を見つめている。

 細い瞳を更に細め、どこか間違いがないか、些細な見落としすら逃さないというように、何度も何度も読み直している。

 けれど、その誓約書は非の打ち所が一切なかったのだろう。堪り兼ねた叔母は、奇声を発しながら、首を横に降った。

 そして、もうこんなもの見たくはないといった感じで顔を背けながら叫んだ。

「アスティアが、公爵家の孫娘ですって!?そんなの、信じられないわっ」

 ───私が公爵家の孫娘?

 叔母の金切り声に驚くよりも、その言葉のほうに驚愕した。

 そしてひどく混乱した私は、レイディックに縋るように視線を向ける。けれど、私の視線に気づいた彼は、ちょっと眉を上げただけだった。………つまり、話は後で。ということなのだろう。

 でも、私は今すぐ知りたい。居ても立っても居られない。そんな気持ちで、彼の上着の裾をぎゅっと握った瞬間、再び叔母が金切り声を上げた。
 
「確かにクリスティーナと兄には身分差があったわ。でも、この娘がそんな高貴な血を引く人間だなんて、有り得ないでしょっ」

 隣にいるレイディックは、叔母の言葉に露骨に顔を顰めた。

 けれど、私としては叔母に同感だ。もちろんここで、そんなことを言うつもりはないけれど。

 そして、叔母の金切り声は、ますます過熱する。

「この娘は、泥まみれになりながら、畑を耕していたのよ!?両手に乗る程の小麦欲しさに、農家の手伝いをしていたのを知ってるわ。それに絹のドレスも、レースの手袋だって持っていない、こんなみすぼらしい娘が公爵家の孫娘ですって!?本当に本当に有り得ないわっ。私の娘の方がよっぽど────」
「黙りなさいっ!」

 叔母のけたましい発言を一層するような大声が部屋に響いた。

 でもそれはレイディックが発したものでもなければ、私でもない。その怒号を発した主は、ずっと私達の動向を傍観していた初老の…………私の祖父のものだった。

 驚いてその男性に目を向ければ、私にちらりと視線を移した。けれど、すぐにその人は叔母へと戻す。そして、ゆっくりとこちら近づきながら口を開いた。

「何故アスティアが泥にまみれる必要があった?何故、農家の手伝いをする必要があった?何故、他人から、みすぼらしいと言われるようになった?それは、全部あなたがそうさせたのでしょう」

 諭すというよりは、罪状を告げる執行官のような冷たい金属のような声だった。

 これが貴族の…………人の上に立つ者が発する声なのか。

 そんなことを頭の隅で思う。けれど私は、それよりも、別のことで頭がいっぱいだった。

 突然だけれど、いや、改めてといったほうが良いのだろうか。とにかく私は、公爵家の孫娘………………だったらしい。いや、だったというのは嘘で現在進行形で、公爵家の孫娘らしい。

 そうは言っても、やはり信じ切ることは難しい。そんな気持ちから、ずっとレイディックが手にしている誓約書にそっと視線を移す。

 私の父の名は、ルベーグ・オースティン。そして母の名前はクリスティーナ・オースティン。でも、私の記憶が確かならば、嫁ぐ前の母の名前は、クリスティーナ・ヴェルフィアだった。そして、この婚約誓約書の保証人の名前は、祖父であろうヴェルフィア卿の名と爵位の名前。それと高位の聖職者である司祭の名も記されている。

 ということは、母は公爵家の娘であったことは間違いないようだ。

 とはいえ突然現れたその人に、私はどんな顔をすれば良いのだろう。狼狽えてしまう私をよそに、ヴェルフィア卿は、何か言いたげに私にちらりと視線を移したけれど、すぐに叔母に向かって口を開いた。

「勘当した娘の代わりに、孫娘を育ててくれてありがとう。と、言いたいところだが、こんな仕打ちを目にしては、そんなことは口が裂けても言えませんな」

 叔母の目の前に立つヴェルフィア卿は、見た目は老いているけれど、その声音は張りがあり威厳に満ちていた。

 今、この部屋の支配者は間違いなくこの人であり、誰も口を開くことができなかった。そんな中、再び支配者は語りだす。

「娘夫婦の財産を乗っ取った挙句、孫娘を自分の借金の為に、村長の息子に売りつける。随分な仕打ちですね。………まぁ、つまらない意地を張り、一度も娘にも、孫娘にも手を差し伸べようとしなかった私が言えた義理ではありませんが」

 そこで一旦言葉を止めたヴェルフィア卿は、深く息を吐いた。

「どんな理由があれ、どんな経緯があったにせよ、傍から見れば、平民であるあなたは貴族の私に代わって孫娘の保護者でありました。そして、それに対し何の謝礼をしないというのは、貴族の名折れです」

 そう言ってヴェルフィア卿は、自分の上着の懐に手を入れ、小切手を差し出した。

 そこに書かれた金額は、私からは見えない。けれど、叔母の表情が一変したということは、かなりの額なのだろう。公爵家にとったらはした金なのかもしれないけれど。

「さぁ受け取りなさい」
「はっはいっ」

 嬉々として手を伸ばした叔母だけれど、その指先が小切手にふれようとした瞬間、ヴェルフィア卿はそれをぐしゃりと握りつぶした。そして、床に投げ捨てたのだ。

 そして同じ言葉を再び吐いた。

「受け取りなさい」

 ────受け取れるものなら。

 ついさっきと同じ言葉ではあるけれど、含みを持ったその言葉に、ぞわりと怖気が立つ。

 まるで家畜に与えるようなそれを見て、私は人を見下すとはこういうことなのかと初めて知った。

 叔母は私に対して酷い仕打ちをしてきたことは間違いない。そして、祖父という立場であるなら、叔母に対して憤りを感じるのは自然の感情なのかもしれない。

 けれど、平民として育った私は、そこまでするかという気持ちを持ってしまう。…………でも、そう思ったのは、私だけのようだった。

「あ、あ、ああ、ありがとうございます」

 そう言って叔母は、何のためらいもなく、床に転がった小切手を這いつくばりながら両手で拾い上げた。

 人間の尊厳を失ったその姿は、目を背けたくなるほど醜悪なものだった。
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