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不完全な婚約
レイディックからの断罪
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ほんの少し前、私はとても幸福だった。
大好きな人が、私の両親の墓前で将来を誓ってくれたのだ。美しいテノールの声が澱みなく最も欲しい言葉を紡いでくれたのだ。
それを目にした私は、喜びがどんどん心の底から溢れてきて、心と身体をを満たした後、涙となって外に溢れ出た。
でも、涙が乾いても、その幸福な気持ちはずっと続いていて、それがこれから永遠に続くと思っていた。
なのに今、目の前にいる大好きな人は、今にも泣きそうな顔で私を見つめている。…………まるで色の無い世界に落ちてしまったようだ。
「レイ、あの、私───」
「僕さぁ、君のこと、大好きって言ったよね?」
咄嗟に呼び掛けた私の言葉を遮って、レイディックは感情を押し殺した声でそう問うた。そして、私が質問に答える間もなく、再び口を開いた。
「ずっと離さないって言ったよね?何も心配いらないって言ったよね?君のこと守るって言ったよね?」
矢継ぎ早に質問を投げかけられ、何をどう答えて良いのかわからなくなる。
そして、問いを一つ口にするたびにレイディックは一歩ずつ、私に近付く。それに押されるように、私も後退する。
後ろを確認せず、ただただ足を動かしていれば、ふいに背中に何かが当たった。驚いて振り向けば、それは墓地に植えられた木の幹だった。
「あれ、どんな気持ちで聞いてたの?答えてよ、アスティア」
ただ背後を確認しただけだったのに、レイディックは私が顔を背けたと勘違いしたのだろう。乱暴に私の顎を掴み、無理矢理、視線を合わせる。
「………………っ」
レイディックの瞳は狂気を帯びていた。
ああ、人は深く傷つけられると、こんなふうな色をするのかと初めて知った。けれど、その色は吸い込まれる程に美しい。
その瞳の持ち主は、表情を凪いだものに変え、静かに口を開いた。
「アスティア、酷い人だね、君は。僕をこんなに傷付けて」
「………………ごめんなさい」
哀しげに目を細めるレイディックを見つめれば、罪悪感で胸が押しつぶされそうになる。
「アスティア、謝らなくて良いよ。でもね………そう簡単に許すことはできないや」
困り果てた表情を浮かべたレイディックだったけれど、すぐに手を伸ばして私を抱きしめた。いや、拘束したと言った方が正しいだろう。
すぐに私に、こんな言葉を囁いたのだから。
「だから、帰ったら、お仕置きだね」と。
屋敷に戻った途端、投げ込まれるように部屋に連れ戻された私は、どうしていいのかわからず、ただただ震えることしかできなかった。
今、レイディックはここには居ない。
私を部屋に押し込んだ後、すぐに戻るという言葉を残して去ってしまった。
いつ開けられるかわからない扉を見つめ、私はぎゅっと両手を握りしめた。
レイディックが激昂したのは、私が軽率な行動をしたからではなかったのだ。いや、それもある。けれど、それだけではない。
何度も繰り返してくれたレイディックの言葉を私が信じきれていなかったことに、怒りを露わにしたのだ。そして彼は、深く傷付いてしまったのだ。
でも、この後に及んで、仕方がないと言い訳する自分がいる。
だってレイディックは、私が一番大切にしていた、あの約束を忘れていたのだ。
それを拠り所にしてきた私にとって、それがどうしても心の底でしこりとなっている。夜這いをかけたことなど、些末なことを思えるくらいに。
だからもしかしたら、この婚約も、彼の中でなかったことにされるかもしれない。その恐怖がずっと私を取り巻いている。
辛いことも、悲しいことも年を取るたびに、経験を重ねるごとに、少しずつ耐久が付く。そして、それを回避する術も身に付けていくもの。
深く傷付かないようにするためには、期待をしなければ良い。そう思ってしまっていたのだ。
───でも、その弱さが、結果として彼を傷付けてしまった。
その罪悪感に耐え切れず、両手で顔を覆た瞬間、扉が静かに開いた。
「お待たせ。良い子にしてたかな?」
カチャリと扉が閉まる音とともに、穏やかなレイディックの声が部屋に響いた。
両手を離してゆるゆると顔を上げれば、片手に箱を持った彼がいた。けれど、ジャケットも脱いでいるし、タイも外している。それがどういうことなのか………。
「アスティア、ねえ知ってる?」
彼の服装から、お仕置きがどういうものなのかを想像していたけれど、その問いで思考が遮られてしまった。
慌てて首を横に振れば、レイディックは軽く眉を上げてこちらに近づいて来る。
「この村では初夜がうまくいかない時は、張り型を使って、花嫁のそこに路を作るんだよ」
「………え?」
まるで天気の話をしているかのような軽い口調と、その内容が一致しなくて、間の抜けた声を出してしまう。
そんな私に、レイディックは気を悪く素振りは見せない。けれど、手にしていた箱を一旦、ベッドに置き、蓋を開けた。
「アスティアは、見たことないのかな?これ。ま、僕も初めて見たけどね」
箱の中身を手にしたレイディックは、新しい玩具を手にした子供のように無邪気に笑った。
彼が手にしているものは、張り型───それは男性器の形を象った淫具。
もうこれ以上、聞かなくてもわかる。これがレイディックの言っていたお仕置きなのだろう。
大好きな人が、私の両親の墓前で将来を誓ってくれたのだ。美しいテノールの声が澱みなく最も欲しい言葉を紡いでくれたのだ。
それを目にした私は、喜びがどんどん心の底から溢れてきて、心と身体をを満たした後、涙となって外に溢れ出た。
でも、涙が乾いても、その幸福な気持ちはずっと続いていて、それがこれから永遠に続くと思っていた。
なのに今、目の前にいる大好きな人は、今にも泣きそうな顔で私を見つめている。…………まるで色の無い世界に落ちてしまったようだ。
「レイ、あの、私───」
「僕さぁ、君のこと、大好きって言ったよね?」
咄嗟に呼び掛けた私の言葉を遮って、レイディックは感情を押し殺した声でそう問うた。そして、私が質問に答える間もなく、再び口を開いた。
「ずっと離さないって言ったよね?何も心配いらないって言ったよね?君のこと守るって言ったよね?」
矢継ぎ早に質問を投げかけられ、何をどう答えて良いのかわからなくなる。
そして、問いを一つ口にするたびにレイディックは一歩ずつ、私に近付く。それに押されるように、私も後退する。
後ろを確認せず、ただただ足を動かしていれば、ふいに背中に何かが当たった。驚いて振り向けば、それは墓地に植えられた木の幹だった。
「あれ、どんな気持ちで聞いてたの?答えてよ、アスティア」
ただ背後を確認しただけだったのに、レイディックは私が顔を背けたと勘違いしたのだろう。乱暴に私の顎を掴み、無理矢理、視線を合わせる。
「………………っ」
レイディックの瞳は狂気を帯びていた。
ああ、人は深く傷つけられると、こんなふうな色をするのかと初めて知った。けれど、その色は吸い込まれる程に美しい。
その瞳の持ち主は、表情を凪いだものに変え、静かに口を開いた。
「アスティア、酷い人だね、君は。僕をこんなに傷付けて」
「………………ごめんなさい」
哀しげに目を細めるレイディックを見つめれば、罪悪感で胸が押しつぶされそうになる。
「アスティア、謝らなくて良いよ。でもね………そう簡単に許すことはできないや」
困り果てた表情を浮かべたレイディックだったけれど、すぐに手を伸ばして私を抱きしめた。いや、拘束したと言った方が正しいだろう。
すぐに私に、こんな言葉を囁いたのだから。
「だから、帰ったら、お仕置きだね」と。
屋敷に戻った途端、投げ込まれるように部屋に連れ戻された私は、どうしていいのかわからず、ただただ震えることしかできなかった。
今、レイディックはここには居ない。
私を部屋に押し込んだ後、すぐに戻るという言葉を残して去ってしまった。
いつ開けられるかわからない扉を見つめ、私はぎゅっと両手を握りしめた。
レイディックが激昂したのは、私が軽率な行動をしたからではなかったのだ。いや、それもある。けれど、それだけではない。
何度も繰り返してくれたレイディックの言葉を私が信じきれていなかったことに、怒りを露わにしたのだ。そして彼は、深く傷付いてしまったのだ。
でも、この後に及んで、仕方がないと言い訳する自分がいる。
だってレイディックは、私が一番大切にしていた、あの約束を忘れていたのだ。
それを拠り所にしてきた私にとって、それがどうしても心の底でしこりとなっている。夜這いをかけたことなど、些末なことを思えるくらいに。
だからもしかしたら、この婚約も、彼の中でなかったことにされるかもしれない。その恐怖がずっと私を取り巻いている。
辛いことも、悲しいことも年を取るたびに、経験を重ねるごとに、少しずつ耐久が付く。そして、それを回避する術も身に付けていくもの。
深く傷付かないようにするためには、期待をしなければ良い。そう思ってしまっていたのだ。
───でも、その弱さが、結果として彼を傷付けてしまった。
その罪悪感に耐え切れず、両手で顔を覆た瞬間、扉が静かに開いた。
「お待たせ。良い子にしてたかな?」
カチャリと扉が閉まる音とともに、穏やかなレイディックの声が部屋に響いた。
両手を離してゆるゆると顔を上げれば、片手に箱を持った彼がいた。けれど、ジャケットも脱いでいるし、タイも外している。それがどういうことなのか………。
「アスティア、ねえ知ってる?」
彼の服装から、お仕置きがどういうものなのかを想像していたけれど、その問いで思考が遮られてしまった。
慌てて首を横に振れば、レイディックは軽く眉を上げてこちらに近づいて来る。
「この村では初夜がうまくいかない時は、張り型を使って、花嫁のそこに路を作るんだよ」
「………え?」
まるで天気の話をしているかのような軽い口調と、その内容が一致しなくて、間の抜けた声を出してしまう。
そんな私に、レイディックは気を悪く素振りは見せない。けれど、手にしていた箱を一旦、ベッドに置き、蓋を開けた。
「アスティアは、見たことないのかな?これ。ま、僕も初めて見たけどね」
箱の中身を手にしたレイディックは、新しい玩具を手にした子供のように無邪気に笑った。
彼が手にしているものは、張り型───それは男性器の形を象った淫具。
もうこれ以上、聞かなくてもわかる。これがレイディックの言っていたお仕置きなのだろう。
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