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不完全な婚約

レイディックからの詰問

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 レイディックは何を、どこまで、どんなふうに知っているのだろう。

 そう思った途端、私はいたたまれない気持ちになる。そしてついさっきまで、眩暈がするほど幸せだった緑豊かなこの空間が、まったく別のものに変わった。

 そして、あまりの恐怖から、思わず彼から距離を取ろうとしてしまった。けれど───。

「逃がさないよ、アスティア」

 振りほどこうとした手を強く引かれ、結局私は、レイディックの胸に飛び込むかたちとなってしまった。

「ちょっと待って、レイ。私……………」

 強く抱きしめるレイディックから何とか離れ、彼と向き合う。そして緊張で乾いてしまった唇を湿らせて、口を開いた。

「私、村長の息子のジャンと、婚約する話がでているの」
「そう。それで?」

 話の続きを促すというよりは、突き放すレイディックの言い方に唇を噛む。

 けれど、彼の瞳は黙秘することは許さないと訴えている。

「………えっと、まだ正式な話じゃないの。叔母とジャンが一方的に決めたことで」
「いつ正式に婚約するの?」

 これも、質問というよりは、尋問に近い。けれど、ここで無言でいれば、更に酷い状況になってしまうだろう。

「しっ、しないわっ。私、ジャンと婚約なんてしないっ。私が結婚したいのは、レイだけよ!」

 あらん限りの声で、力いっぱい否定をすれば、レイディックの表情は僅かに緩んだ。

「そうなんだ。うん、はっきりそう言ってくれて嬉しいよ。でも、さ」

 一旦言葉を区切ったレイディックは、寂しそうな眼を私に向けた。

「どうしてすぐに言ってくれなかったの?どうして自分一人で解決しようと思ったの?」
「…………ごめんなさい」
 
 私はありきたりな謝罪の言葉を紡ぐことしかできなかった。

 ティシャが、ジャンとの婚約話なんかレイディックに話さなければ良いという言葉に甘えていたわけではない。

 私の意志で彼に伝えなかっただけだ。だって、名門貴族の彼に、困窮に瀕する生活を送っているなど、恥ずかしくて言えるわけがないし、そんな自分を知られたくなかった。

 それに、どうしてそんな惨めなことを自分から言えようか。

 そんな気持ちを伝えることすらできない私は、強く唇を噛み締めて、彼の視線から逃れるよう俯いた。

 そうすれば、レイディックはあからさまに溜息を付く。

「この前さぁ、アスティア。診療所の薬草園に行くって言ったけど、本当はどこに行きたかったの?…………叔母さんのところ?それともジャンのところ?」

 苦痛に耐えるように、つま先を見つめていた私に、今度は一番聞かれたくない問いが降ってきた。

 びくりと身体が撥ねてしまった私に、レイディックは冷たい声で問いを重ねた。

「ねえアスティア、君がどこに行きたかったかは知らないけれど、もしそこにジャンが待ち構えていたらどうする?君は一人で逃げ切れたかな?」
「………………っ」

 まったくそんな事態を考えていなかった私は、レイディックのその言葉に思わず息を呑んだ。
 
 そんな私の腕を、レイディックは突然、荒々しく掴んだ。それは骨が軋むほどの強さだった。

「…………痛っ、離して、レイ」
「細い腕だね。…………あれ?アスティア、振りほどけないの?おかしいな。僕は、全然力を入れてないよ?」

 ちょっと困ったように眉を下げながらも、レイディックは更に手に力を籠める。その度に、私の腕はぎちぎちと悲鳴を上げた。

 縋るように見つめれば、レイディックは喉の奥で笑った。

 ───ここでやっと気付いた。

 レイディックは軽率な行動を取った私に激昂しているのだ。とても静かに、深く。

「僕だから強く拒めないだけなら、嬉しいけどね。ジャンにそうされたら、君は振りほどくことができるのかな?」

 からかうような口調と共に、ぱっと掴まれていた手が離された。

「アスティア、あんまり男の力をなめない方が良いよ」
「………………」

 じんじんと痛む腕をそっと擦りながら、私は強く唇を噛みしてた。

 本当に、レイディックの言う通りだった。

 ジャンの言葉が本当なら、叔母は自分の姪の純潔すらも平気で売り渡せる人間なのだ。だから、あの日、私が叔母と会って婚約破棄の話をしていたら…………。

 それにあの時、薬草園でシルヴァが来てくれなかったらどうなっていたのだろう。

 そこまで考えて、自分がどれほど軽率なことをしてしまったのかに気付き、全身が氷水を被ったように震えだす。

「…………ごめんなさい」
「謝らなくて良いよ。ところで、さ」

 一旦言葉を区切ったレイディックは、赤く手形が付いてしまった私の手にそっと触れた。そして、労わるように撫でながら、言葉を続けた。

「僕はそんなに頼りにならない男かな?」
「…………ごめんなさい」
「あのね、ごめんなさいを聞きたい訳じゃないんだよ。アスティア、質問に答えてくれるかな?」

 レイディックは腕から手を離さず膝を折り、私を覗き込む。

 その口調は柔らかく、幼い子供を諭す親のようだった。けれど、その瞳の奥にある怒りの色は消えていない。

「あなたを頼りにしていないわけじゃないの。ただ…………あなたにジャンとの婚約の話を伝えたら、あなたが………」
「僕が君との婚約を解消するとでも思った?まさか僕が君の事を軽蔑するとでも思ったの?」
「………………」

 レイディックを失いたくないと思った気持ちは間違いない。そして、最悪の場合を考えて、レイディックに知られることなくジャンとの婚約話をなかったことにしようとしたことも。

 でも、それを直接本人の口から問いただされてしまうと、首を縦にも横にも振ることができない。

 そんな私をレイディックは探るように、じっと見つめる。そして、ふっと微笑んだ。

「ふぅーん………そっかぁ。僕は全然、信用されていなんだね」

 レイディックの言葉は最後は震えていた。長いまつ毛が、小刻みに震えている。まるで泣き出す寸前のようだった。
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