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不完全な婚約
★真夜中の報告と決断※レイディック視点
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「ふぅーん、そんなことがあったんだね」
王都にある本宅から届いた分厚い報告書を手にしたまま、ティシャに向かって口を開く。そうすれば、彼女はびくりと身を強張らせたのが気配で伝わってきた。
どうやら自分は、余程怖い顔をしているのだろう。
けれど、それを隠すつもりはない。自分はかなり怒りを覚えているからだ。
今日の昼間、自分はアスティアの外出を認め馬車を用意した。もちろん何かあった時の為に信頼できるシルヴァを警護に付けて。
そして自分も念の為にと少し前から計画していたことを早め、アスティアの叔母一家をここへ呼びつけておいた。それが唯一の救いだった。
彼女との結婚において、計画は滞りなく進めたい。だから今、愛しい彼女には村の誰にも会って欲しくない。
だからティシャには、アスティアを屋敷に留めるように命じていた。
なのに、ついつい情交の後に、彼女から甘えた声でおねだりをされ、それを自分が聞き入れてしまったのだ。そして、その結果が───これだ。
「やっぱアイツ、不慮の事故で死んでもらおっかな?」
彼女に余分なことを吹き込んだ、忌々しい男の末路を口にしてみる。
それは思い付きで口にしたものだった。けれど、本気でそうしたいと思う自分がいる。
にこりと笑ってティシャに同意を求めてみれば、部下は青ざめた顔のまま、ふるふると首を横に振った。とても残念だ。
「………恐れながら、ここはネルヴァ卿のご領地であります。あまり事を荒立ててしまえば、もともとの計画に障りが出てしまうと思います」
「うーん。確かに、そうだね」
もっともな意見を部下に言われ、自分は苦笑を浮かべるほかなかった。
自分が婚約者を連れてさっさと王都に戻らないのは、それなりにの理由がある。
一つは、長年アスティアを虐げてきた叔母一家に、ある程度苦しんでもらう為。この件に関しては、部下に命ずるだけでは物足りない。徹底的に自分の手でやりたいのだ。
もう一つは、アスティアとの結婚に華を添える為。今手にしている分厚い報告書も、その件について記されている。そして、それを実行する為には、花祭りまでここに滞在する必要がある。
けれど、村長の馬鹿息子に対しては、計算外だった。これから、どう処罰を与えるか少々頭を悩ましている。
なにせここは、自分の領地ではない。父の代で懇意にしていた侯爵家の好意で譲ってもらった別宅なのだ。
ただ、その侯爵家とは父の代までの関係。今は疎遠になってしまっている。
貴族社会とはなかなか厄介なもの。とくに他の領地で揉め事を起こすとなると、後々のアスティアとの生活に害を及ぼすことになってしまうかもしれない。
そこまで考えて、やっぱりアイツは存在そのものが厄介なものだという結論に落ち着いた。
「ねえ、ティシャ、成人男性が心不全で死ぬ確率ってどれくらいかな?嫌な奴ほど長生きするっていうけど、それって単なる戯言だよね?」
そう言いながら部屋をぐるりと見渡す。
この部屋には、王都にある本宅ほどではないが、数種類の毒がある。
そしてこの毒を使えば、人一人を不慮の事故に見せかけて殺すことなど簡単なこと。それに自分は、そうするのは初めてではない。
きっと前回より、上手にできるだろう。
「…………お言葉ですが、アスティア様は薬師を志すものです。ある程度の毒の知識はお持ちです」
「そっかぁ。残念だね。じゃあ、これを使うのは諦めよっかな」
肩を竦めてそう言えば、ティシャはあからさまにほっとした表情を浮かべた。
「でもさ、僕、結構、怒ってるんだ」
報告書を音がする程乱暴に机に叩きつけ、すっと目を細めてそう言えば、ティシャは小さく息を呑んだ。そして青ざめていた顔は、とうとう紙のような色になってしまった。
それを横目で見ながら、自分は深い溜息を付いた。
大好きな彼女が自分に嘘を付いたことや、やっと彼女が自分の婚約者になることを受け入れた矢先、他の男と会っていたことなどどうでも良い。
アスティアが自分の知らないところで、辛い目にあっていたことがどうしても許せなかった。きっとジャンからその叔母の話を聞いた時、少なからず彼女は傷付いていただろう。
それを想像するだけで、胸が苦しくなる。
そして彼女がいつまで経っても自分を頼ろうとしてくれないことが、たまらなく不快で、遣る瀬無くて、怒りを抑えることができない。
もう病弱だった幼い頃の自分ではないとあれ程伝えたというのに。彼女にとったら、まだ自分は頼るに値する存在ではないのだろうか。
何とかしてと言われれば、彼女の為ならどんなことだってできるというのに。
「いっそ、アスティアの部屋に鍵をかけて閉じ込めちゃおっかな?そうすれば、嫌なことも辛いことも彼女の身に降りかかることはないからね。うん、結構名案だ」
これもまた思い付きで口にしてみた。けれど、いっそ、そうしてしまいたくなる衝動に駆られる。
「お願いですっ。アスティア様に無体なことは…………どうか、おやめください。今回はわたくしの判断ミスです。罰なら…………どうか、わたくしにお与えください」
悲痛な声で必死に懇願するティシャが、今日は無性に神経を逆なでする。
けれど、ここで声を荒げたり、含みのある態度を見せるのは得策ではない。
「いやだなぁー、ティシャ。君を罰したりなんかするわけないじゃん。それに、約束したでしょ?。僕はもう、アスティアに薬を盛ったりしないよ」
あえて無邪気な笑みを浮かべ、さも可笑しそうに笑ってみる。
感情を殺すには、真逆の表情を浮かべるのが自分にとって一番楽だというのは、かなり前に気付いた。
ただ今日の自分は、冷静さに欠けている。こういう時は独りになるのが一番だ。
「ティシャ、報告ありがとう。今後のことについては、また指示を出すから。今日はもう休んでね」
にこりと笑って、退出を促せば、部下は言い足りない言葉をぐっと飲み込んで深々と一礼し部屋を後にした。
独りになった自分は、執務机に頬杖を付く。
「アスティア、僕は寂しいよ………」
大勢の人間に必要とされたいなど、思ったことは一度もなかった。必要とされたいのも、頼りにして欲しいのも、たった一人だけ。
そして、どれだけ権力を手に入れようとも、どれだけ身体を鍛えようとも、求められなければ虚しいだけだ。
軽く頭を振って執務机から離れ、窓辺に足を向ける。
この別宅はコの字型になっているので、この部屋から彼女の部屋が良く見える。灯りが消えているということは、もう、彼女は夢の中なのだろう。
そんな彼女を想いながら、自分はうっとりとした笑みを浮かべて独り言を呟いた。
「君のことは一生大事にする。でもね、僕をちっとも頼ってくれないにアスティアには、ちょっとくらいのお仕置きは必要だね」
王都にある本宅から届いた分厚い報告書を手にしたまま、ティシャに向かって口を開く。そうすれば、彼女はびくりと身を強張らせたのが気配で伝わってきた。
どうやら自分は、余程怖い顔をしているのだろう。
けれど、それを隠すつもりはない。自分はかなり怒りを覚えているからだ。
今日の昼間、自分はアスティアの外出を認め馬車を用意した。もちろん何かあった時の為に信頼できるシルヴァを警護に付けて。
そして自分も念の為にと少し前から計画していたことを早め、アスティアの叔母一家をここへ呼びつけておいた。それが唯一の救いだった。
彼女との結婚において、計画は滞りなく進めたい。だから今、愛しい彼女には村の誰にも会って欲しくない。
だからティシャには、アスティアを屋敷に留めるように命じていた。
なのに、ついつい情交の後に、彼女から甘えた声でおねだりをされ、それを自分が聞き入れてしまったのだ。そして、その結果が───これだ。
「やっぱアイツ、不慮の事故で死んでもらおっかな?」
彼女に余分なことを吹き込んだ、忌々しい男の末路を口にしてみる。
それは思い付きで口にしたものだった。けれど、本気でそうしたいと思う自分がいる。
にこりと笑ってティシャに同意を求めてみれば、部下は青ざめた顔のまま、ふるふると首を横に振った。とても残念だ。
「………恐れながら、ここはネルヴァ卿のご領地であります。あまり事を荒立ててしまえば、もともとの計画に障りが出てしまうと思います」
「うーん。確かに、そうだね」
もっともな意見を部下に言われ、自分は苦笑を浮かべるほかなかった。
自分が婚約者を連れてさっさと王都に戻らないのは、それなりにの理由がある。
一つは、長年アスティアを虐げてきた叔母一家に、ある程度苦しんでもらう為。この件に関しては、部下に命ずるだけでは物足りない。徹底的に自分の手でやりたいのだ。
もう一つは、アスティアとの結婚に華を添える為。今手にしている分厚い報告書も、その件について記されている。そして、それを実行する為には、花祭りまでここに滞在する必要がある。
けれど、村長の馬鹿息子に対しては、計算外だった。これから、どう処罰を与えるか少々頭を悩ましている。
なにせここは、自分の領地ではない。父の代で懇意にしていた侯爵家の好意で譲ってもらった別宅なのだ。
ただ、その侯爵家とは父の代までの関係。今は疎遠になってしまっている。
貴族社会とはなかなか厄介なもの。とくに他の領地で揉め事を起こすとなると、後々のアスティアとの生活に害を及ぼすことになってしまうかもしれない。
そこまで考えて、やっぱりアイツは存在そのものが厄介なものだという結論に落ち着いた。
「ねえ、ティシャ、成人男性が心不全で死ぬ確率ってどれくらいかな?嫌な奴ほど長生きするっていうけど、それって単なる戯言だよね?」
そう言いながら部屋をぐるりと見渡す。
この部屋には、王都にある本宅ほどではないが、数種類の毒がある。
そしてこの毒を使えば、人一人を不慮の事故に見せかけて殺すことなど簡単なこと。それに自分は、そうするのは初めてではない。
きっと前回より、上手にできるだろう。
「…………お言葉ですが、アスティア様は薬師を志すものです。ある程度の毒の知識はお持ちです」
「そっかぁ。残念だね。じゃあ、これを使うのは諦めよっかな」
肩を竦めてそう言えば、ティシャはあからさまにほっとした表情を浮かべた。
「でもさ、僕、結構、怒ってるんだ」
報告書を音がする程乱暴に机に叩きつけ、すっと目を細めてそう言えば、ティシャは小さく息を呑んだ。そして青ざめていた顔は、とうとう紙のような色になってしまった。
それを横目で見ながら、自分は深い溜息を付いた。
大好きな彼女が自分に嘘を付いたことや、やっと彼女が自分の婚約者になることを受け入れた矢先、他の男と会っていたことなどどうでも良い。
アスティアが自分の知らないところで、辛い目にあっていたことがどうしても許せなかった。きっとジャンからその叔母の話を聞いた時、少なからず彼女は傷付いていただろう。
それを想像するだけで、胸が苦しくなる。
そして彼女がいつまで経っても自分を頼ろうとしてくれないことが、たまらなく不快で、遣る瀬無くて、怒りを抑えることができない。
もう病弱だった幼い頃の自分ではないとあれ程伝えたというのに。彼女にとったら、まだ自分は頼るに値する存在ではないのだろうか。
何とかしてと言われれば、彼女の為ならどんなことだってできるというのに。
「いっそ、アスティアの部屋に鍵をかけて閉じ込めちゃおっかな?そうすれば、嫌なことも辛いことも彼女の身に降りかかることはないからね。うん、結構名案だ」
これもまた思い付きで口にしてみた。けれど、いっそ、そうしてしまいたくなる衝動に駆られる。
「お願いですっ。アスティア様に無体なことは…………どうか、おやめください。今回はわたくしの判断ミスです。罰なら…………どうか、わたくしにお与えください」
悲痛な声で必死に懇願するティシャが、今日は無性に神経を逆なでする。
けれど、ここで声を荒げたり、含みのある態度を見せるのは得策ではない。
「いやだなぁー、ティシャ。君を罰したりなんかするわけないじゃん。それに、約束したでしょ?。僕はもう、アスティアに薬を盛ったりしないよ」
あえて無邪気な笑みを浮かべ、さも可笑しそうに笑ってみる。
感情を殺すには、真逆の表情を浮かべるのが自分にとって一番楽だというのは、かなり前に気付いた。
ただ今日の自分は、冷静さに欠けている。こういう時は独りになるのが一番だ。
「ティシャ、報告ありがとう。今後のことについては、また指示を出すから。今日はもう休んでね」
にこりと笑って、退出を促せば、部下は言い足りない言葉をぐっと飲み込んで深々と一礼し部屋を後にした。
独りになった自分は、執務机に頬杖を付く。
「アスティア、僕は寂しいよ………」
大勢の人間に必要とされたいなど、思ったことは一度もなかった。必要とされたいのも、頼りにして欲しいのも、たった一人だけ。
そして、どれだけ権力を手に入れようとも、どれだけ身体を鍛えようとも、求められなければ虚しいだけだ。
軽く頭を振って執務机から離れ、窓辺に足を向ける。
この別宅はコの字型になっているので、この部屋から彼女の部屋が良く見える。灯りが消えているということは、もう、彼女は夢の中なのだろう。
そんな彼女を想いながら、自分はうっとりとした笑みを浮かべて独り言を呟いた。
「君のことは一生大事にする。でもね、僕をちっとも頼ってくれないにアスティアには、ちょっとくらいのお仕置きは必要だね」
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