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あの日の約束をもう一度
両親の願い
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この部屋は未だに沈黙が続いている。まるで深い水の底で黙祷を捧げているかのように、静かで物悲しい。
そんな中、私は首を動かさず、ちらりと視線を横に向ける。
私の隣に座るその人の表情は俯いていて見ることができない。でも、母より少し淡い色のピンクがかった金髪が視界に映りこむ。一拍置いて気付く。母より柔らかい色だと思ったそれは、白いものが混ざっているからだと。
母も流行り病で命を落さなければ、いつかこの人と同じ髪色になっていたのだろうか。
そんなことも考えてみる。けれど、それを口にすることはしない。
いまこの部屋にいる私達は、きっと言葉にすることができない同じ気持ちを抱えている。でもそれを口にしないのは、敢えてのことなのだろうと。そして、この沈黙を消す最初の言葉を発するのは誰なのだろうかとも。
────でもそうしてくれたのは、この部屋にいる者ではなく、あなただった。
「あれ?お茶の用意を頼んでいたつもりだったのですが……………申し訳ありません。すぐに用意させます」
カチャリと扉を開けた瞬間、その声の主は、部屋をぐるりと見渡し、そんな言葉を口にした。
すかさず軽い笑い声と共に、口を開いたのはヴェルファイア卿の奥方だった。
「あら、良いのよ。わたくしが人払いをお願いしたの。お茶はこのお話が終わったら皆で飲みましょう」
「はい。かしこまりました。───…………って、アスティア、僕がそっちに行くから君は座ってて良いよ」
レイディックの姿を目にした途端、私は無意識に彼に駆け寄ってしまっていたようだ。
そんな私にここにいる全員がほんの少しだけ目元を和ませる。でも、私は自分の取った行動があまりに子供過ぎたので。少々恥ずかしい。
「さて、ご苦労様でした。レイディックさん。きちんとお見送りはできましたか?」
「ええ、もちろんです」
レイディックに手を引かれながら、ソファへと戻った途端、再び夫人が口を開いた。
「聞いてくださいな、レイディックさん。実はさっき、わたくしもカロリーナさんにご挨拶したいと、夫にお願いしたんですの。でも、駄目だといわれたんですよ」
「ご安心ください。私のほうで、それは丁寧にお見送りさせていただきましたから」
レイディックの含みのある言葉に、婦人は満足げに頷いた。ちらりと視線を横にずらせば、公爵様も鷹揚に頷いている。
私には話の内容がほとんど見えない。けれど、この部屋にいる私以外の人間はきちんと意思疎通ができているようだった。
仲間はずれにされたような気がして少し寂しい気持ちになる。でも、今ここで、レイディックに問いただしても良いのだろうか。
そんなことを考えていたら、ふと視線を感じてそこに目を向ける。そうすれば、まるで可憐な乙女のように両手を組み合わせて、うっとりとした表情で婦人が私達を見つめていた。
「こうしてあなたとアスティアが並んでいると、クリスティーナとルベーグさんを見ているようね。花祭りのあなた達はとっても素敵だったわ」
その言葉に私とレイディックは同時に声を上げた。
「え?」
「ご無理を言ってお呼び立てしたこと、申し訳なく思っていたのですが…………そんな言葉をいただけて、本当に嬉しいです」
短い言葉を吐いたのは今回も私で、随分長い言葉を紡いだのはレイディック。
そして、昨晩、レイディックがそわそわと落ち着きがなかった理由が、今わかった。彼はヴェルファイア夫妻の姿をずっと探していたのだった。
でもどうして、レイディックは、こんな辺境の村に彼らを呼び寄せることができたのだろうか。それに、あの婚約誓約書のことも未だに謎のまま。
胸に沸いた疑問をそのままレイディックに視線だけで向ける。そうすれば、彼は口元を少し動かした。唇の動きは『後で』そう読めた。
そんな私達の一連の動作を婦人は、にこにこと楽しそうに見つめている。そして、一段落した私達を確認すると再び口を開いた。
「アスティアの昨日のドレスはレイディックさんが贈った物なの?」
「はい」
「そう。アスティアに良く似合っていたわ。あのね、趣味が良いのは、夫としてとても大切な要素なのよ。ね?あなた」
「……………………」
無邪気に婦人に問いかけられた公爵様は、渋面を作ってしまった。
それを見て条件反射でびくりと身体を強張らせたのは私だけ。残りの二人は、彼を見ても怯えることはしない。むしろ、しかめっ面の公爵様を微笑ましいとすら思っているようだ。
もしかしてヴェルファイア卿は、あまり感情表現が得意ではないのかもしれない。
ということに気付いたのと同時に、レイディックは、ヴェルフィア卿に代わって語りだした。
「あのお二方に並ぶには、まだまだです。ルベーグ先生と奥方様は言葉での会話ではなく、視線だけで意志を伝えあうことができましたから」
そこで言葉を区切ったレイディックは、ちょっと困った笑みを私に向かって浮かべた。
「僕はまだ、アスティアに嫌われないようにするのが精一杯です」
「………………っ!?」
レイディックは言葉とは裏腹に、意地の悪い笑みを浮かべていた。しかも、くるりと私に視線を向け同意を求めてくる。
これは、まさかの無茶ぶりだ。なんて言葉を返せば良いのかわからない。
真っ赤になりながら、まごまごすることしかできない私に、婦人は声を上げて笑った。
「焦らなくて良いのよ。時間は沢山あるわ。これからお互いのことをもっと良く知って、クリスティーナとルベーグさんのようになりなさい」
【焦らなくて良い。時間はある】
その言葉は私達に向けられたものだったけれど、別の響きも含まれていた。それは、私とヴェルフィア夫婦との関係についてのことだろう。
そして、ついさっきの沈黙した部屋の光景を思い出す。
落ち着いた調度品に囲まれながら、窓から差し込む陽の光が窓枠の影を長く伸ばし、風にあおられた木の枝葉の影だけが時折動くだけの静寂に満ちた部屋。
でも、決して居心地の悪いものではなかった。同じ気持ちを抱え、でも会話のきっかけを見つけることができない………ああ、そうだ。レイディックと初めて会った時の気持ちに少し似ていたのだ。
そう思ったら、私は自然と口を開いていた。
「…………あの、私からも両親の話しをして良いでしょうか?」
「ええ、もちろんよ。聞かせてちょうだい」
ぱっと笑顔になった婦人は、嬉しそうに私に早く早くと話を急がせる。それはかなりの勢いで、私はヴェルフィア卿に確認を取れないまま、押されるような感じで語りだした。
「父と母は、レイ……ディックのいう通り、子供の私の目から見てもとても幸せそうでした。互いが互いを助け合い、尊重し合う仲でした。そして、家族ではなく人間としても、二人は私にとって、もっとも尊敬できる大人でした。けれど、時折、寂しそうにもしていました」
こくりと息を呑む音が聞こえた。
その音を辿れば、ヴェルフィア卿にたどり着く。そして、彼は視線だけで続きを話すよう促した。
「公爵さまとその奥方様に、私を会わせることができないことだけが辛い。そう事あるごとに口にしていました。そして今わの際まで、そう思っていました」
語り続ける自分がいつの間にか俯いていたことに気付く。きゅっと自分の両手を握り、勢いよく顔を上げる。そしてヴェルフィア卿と婦人を交互に見ながら、私は二人に問いかけた。
「私の瞳は母親譲りの蒼紫色です。でも、この髪は父親譲りの赤みがかかった黄色です。…………そんな私を、孫と認めてくれますか?」
自分ではどうしようもないことを他人に認めてもらうのは、とても難しい。そしてその答えを聞くのは、とてつもなく恐ろしい。
気付けば、緊張のせいか、指先は冷たくなり、小刻みに震えている。そんな私の手を温めようと、レイディックは手を伸ばす。
けれど、私の手を取ったのは彼ではなかった。
「アスティア、そんなの当たり前じゃないっ」
手の甲に伝わるのは真冬のベッドの中のような心地よい温もり。
でも、婦人の声はその華奢な身体からよく出せたと思わするほどの、強いものだった。
「あなたがどんな髪の色でも、私達と違う瞳の色を持っていても、そんなものは関係ないわ。アスティア、あなたは私の大切な孫娘よ。ねえ、そうでしょ?あなた」
婦人に問いかけられたヴェルフィア卿は、泣き出す寸前の子供のように、くしゃりと顔を歪める。でも、しっかりと私を見つめてくれている。
「アスティア、君の両親に私は酷いことをしてしまった。…………そんな私を祖父と呼んでくれるか?」
「…………はい、お爺様」
私が頷けば、ヴェルファイア卿は嗚咽を堪えるために、片手で顔を覆って俯いた。けれど───。
「……………ありがとう。アスティア」
ついさっき叔母が居た部屋と同じように掠れた声で名を呼んでくれた。でも、それは先ほどとは別の響きを持っていた。
そんな中、私は首を動かさず、ちらりと視線を横に向ける。
私の隣に座るその人の表情は俯いていて見ることができない。でも、母より少し淡い色のピンクがかった金髪が視界に映りこむ。一拍置いて気付く。母より柔らかい色だと思ったそれは、白いものが混ざっているからだと。
母も流行り病で命を落さなければ、いつかこの人と同じ髪色になっていたのだろうか。
そんなことも考えてみる。けれど、それを口にすることはしない。
いまこの部屋にいる私達は、きっと言葉にすることができない同じ気持ちを抱えている。でもそれを口にしないのは、敢えてのことなのだろうと。そして、この沈黙を消す最初の言葉を発するのは誰なのだろうかとも。
────でもそうしてくれたのは、この部屋にいる者ではなく、あなただった。
「あれ?お茶の用意を頼んでいたつもりだったのですが……………申し訳ありません。すぐに用意させます」
カチャリと扉を開けた瞬間、その声の主は、部屋をぐるりと見渡し、そんな言葉を口にした。
すかさず軽い笑い声と共に、口を開いたのはヴェルファイア卿の奥方だった。
「あら、良いのよ。わたくしが人払いをお願いしたの。お茶はこのお話が終わったら皆で飲みましょう」
「はい。かしこまりました。───…………って、アスティア、僕がそっちに行くから君は座ってて良いよ」
レイディックの姿を目にした途端、私は無意識に彼に駆け寄ってしまっていたようだ。
そんな私にここにいる全員がほんの少しだけ目元を和ませる。でも、私は自分の取った行動があまりに子供過ぎたので。少々恥ずかしい。
「さて、ご苦労様でした。レイディックさん。きちんとお見送りはできましたか?」
「ええ、もちろんです」
レイディックに手を引かれながら、ソファへと戻った途端、再び夫人が口を開いた。
「聞いてくださいな、レイディックさん。実はさっき、わたくしもカロリーナさんにご挨拶したいと、夫にお願いしたんですの。でも、駄目だといわれたんですよ」
「ご安心ください。私のほうで、それは丁寧にお見送りさせていただきましたから」
レイディックの含みのある言葉に、婦人は満足げに頷いた。ちらりと視線を横にずらせば、公爵様も鷹揚に頷いている。
私には話の内容がほとんど見えない。けれど、この部屋にいる私以外の人間はきちんと意思疎通ができているようだった。
仲間はずれにされたような気がして少し寂しい気持ちになる。でも、今ここで、レイディックに問いただしても良いのだろうか。
そんなことを考えていたら、ふと視線を感じてそこに目を向ける。そうすれば、まるで可憐な乙女のように両手を組み合わせて、うっとりとした表情で婦人が私達を見つめていた。
「こうしてあなたとアスティアが並んでいると、クリスティーナとルベーグさんを見ているようね。花祭りのあなた達はとっても素敵だったわ」
その言葉に私とレイディックは同時に声を上げた。
「え?」
「ご無理を言ってお呼び立てしたこと、申し訳なく思っていたのですが…………そんな言葉をいただけて、本当に嬉しいです」
短い言葉を吐いたのは今回も私で、随分長い言葉を紡いだのはレイディック。
そして、昨晩、レイディックがそわそわと落ち着きがなかった理由が、今わかった。彼はヴェルファイア夫妻の姿をずっと探していたのだった。
でもどうして、レイディックは、こんな辺境の村に彼らを呼び寄せることができたのだろうか。それに、あの婚約誓約書のことも未だに謎のまま。
胸に沸いた疑問をそのままレイディックに視線だけで向ける。そうすれば、彼は口元を少し動かした。唇の動きは『後で』そう読めた。
そんな私達の一連の動作を婦人は、にこにこと楽しそうに見つめている。そして、一段落した私達を確認すると再び口を開いた。
「アスティアの昨日のドレスはレイディックさんが贈った物なの?」
「はい」
「そう。アスティアに良く似合っていたわ。あのね、趣味が良いのは、夫としてとても大切な要素なのよ。ね?あなた」
「……………………」
無邪気に婦人に問いかけられた公爵様は、渋面を作ってしまった。
それを見て条件反射でびくりと身体を強張らせたのは私だけ。残りの二人は、彼を見ても怯えることはしない。むしろ、しかめっ面の公爵様を微笑ましいとすら思っているようだ。
もしかしてヴェルファイア卿は、あまり感情表現が得意ではないのかもしれない。
ということに気付いたのと同時に、レイディックは、ヴェルフィア卿に代わって語りだした。
「あのお二方に並ぶには、まだまだです。ルベーグ先生と奥方様は言葉での会話ではなく、視線だけで意志を伝えあうことができましたから」
そこで言葉を区切ったレイディックは、ちょっと困った笑みを私に向かって浮かべた。
「僕はまだ、アスティアに嫌われないようにするのが精一杯です」
「………………っ!?」
レイディックは言葉とは裏腹に、意地の悪い笑みを浮かべていた。しかも、くるりと私に視線を向け同意を求めてくる。
これは、まさかの無茶ぶりだ。なんて言葉を返せば良いのかわからない。
真っ赤になりながら、まごまごすることしかできない私に、婦人は声を上げて笑った。
「焦らなくて良いのよ。時間は沢山あるわ。これからお互いのことをもっと良く知って、クリスティーナとルベーグさんのようになりなさい」
【焦らなくて良い。時間はある】
その言葉は私達に向けられたものだったけれど、別の響きも含まれていた。それは、私とヴェルフィア夫婦との関係についてのことだろう。
そして、ついさっきの沈黙した部屋の光景を思い出す。
落ち着いた調度品に囲まれながら、窓から差し込む陽の光が窓枠の影を長く伸ばし、風にあおられた木の枝葉の影だけが時折動くだけの静寂に満ちた部屋。
でも、決して居心地の悪いものではなかった。同じ気持ちを抱え、でも会話のきっかけを見つけることができない………ああ、そうだ。レイディックと初めて会った時の気持ちに少し似ていたのだ。
そう思ったら、私は自然と口を開いていた。
「…………あの、私からも両親の話しをして良いでしょうか?」
「ええ、もちろんよ。聞かせてちょうだい」
ぱっと笑顔になった婦人は、嬉しそうに私に早く早くと話を急がせる。それはかなりの勢いで、私はヴェルフィア卿に確認を取れないまま、押されるような感じで語りだした。
「父と母は、レイ……ディックのいう通り、子供の私の目から見てもとても幸せそうでした。互いが互いを助け合い、尊重し合う仲でした。そして、家族ではなく人間としても、二人は私にとって、もっとも尊敬できる大人でした。けれど、時折、寂しそうにもしていました」
こくりと息を呑む音が聞こえた。
その音を辿れば、ヴェルフィア卿にたどり着く。そして、彼は視線だけで続きを話すよう促した。
「公爵さまとその奥方様に、私を会わせることができないことだけが辛い。そう事あるごとに口にしていました。そして今わの際まで、そう思っていました」
語り続ける自分がいつの間にか俯いていたことに気付く。きゅっと自分の両手を握り、勢いよく顔を上げる。そしてヴェルフィア卿と婦人を交互に見ながら、私は二人に問いかけた。
「私の瞳は母親譲りの蒼紫色です。でも、この髪は父親譲りの赤みがかかった黄色です。…………そんな私を、孫と認めてくれますか?」
自分ではどうしようもないことを他人に認めてもらうのは、とても難しい。そしてその答えを聞くのは、とてつもなく恐ろしい。
気付けば、緊張のせいか、指先は冷たくなり、小刻みに震えている。そんな私の手を温めようと、レイディックは手を伸ばす。
けれど、私の手を取ったのは彼ではなかった。
「アスティア、そんなの当たり前じゃないっ」
手の甲に伝わるのは真冬のベッドの中のような心地よい温もり。
でも、婦人の声はその華奢な身体からよく出せたと思わするほどの、強いものだった。
「あなたがどんな髪の色でも、私達と違う瞳の色を持っていても、そんなものは関係ないわ。アスティア、あなたは私の大切な孫娘よ。ねえ、そうでしょ?あなた」
婦人に問いかけられたヴェルフィア卿は、泣き出す寸前の子供のように、くしゃりと顔を歪める。でも、しっかりと私を見つめてくれている。
「アスティア、君の両親に私は酷いことをしてしまった。…………そんな私を祖父と呼んでくれるか?」
「…………はい、お爺様」
私が頷けば、ヴェルファイア卿は嗚咽を堪えるために、片手で顔を覆って俯いた。けれど───。
「……………ありがとう。アスティア」
ついさっき叔母が居た部屋と同じように掠れた声で名を呼んでくれた。でも、それは先ほどとは別の響きを持っていた。
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