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あの日の約束をもう一度

叔母からの叱責①

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 花祭りの翌日、思わぬ人物…………ではなく、予想通り私に来訪者があった。

 その人のことは、歓迎するつもりはない。けれど、一度きちんと対峙しないといけない相手。なので、私は使用人に頼んで応接間に通してもらう。

 そして人払いをした後、私は静かに応接間に足を向けた。



 扉を開ければ、そこにはモスグリーン色のドレスを纏った婦人がいた。

 きっちりと髪をまとめ上げ、伯爵邸を訪問するに相応しい貴婦人のような姿で。けれど、良く見ればそのドレスは、かなり前のもののようで生地がくたびれているし、髪には装飾が一切無い。

 そしてソファに腰掛けるその人のすぐ横には革製の小ぶりの鞄がある。これも手入れがされていないのだろう。革に艶もないし、留め金部分の金箔は剥げている。

 それらをちらりと目にしながら、私も反対がのソファに腰掛けた。そして、にっこりと笑みを向ける。

「お久しぶりです。叔母様。お元気そうで何よりです」

 向かい合った私は、鬼の形相を浮かべるその人に向かって、丁寧に頭を下げる。けれど───。

「何が【お元気そうで何よりです】ですかっ。わたくしのことを馬鹿にしているの!?」

 窓ガラスが揺れるほどの金切り声で叫ばれて、思わず顔をしかめてしまう。

 正直言って、かなりうるさい。この部屋は広いけれど、そんな大声を出さなくても十分会話ができるはずなのに。

 そんなふうに不快な顔を見せた私に、叔母は噛みつかんばかりの勢いで、私にまくしたてた。

「アスティア、レイジーから聞いたわっ。昨日のアレはなんなの!?あなたジャンと婚約しているのよ?なのに、知らない男とフラフラと…………恥を知りなさいっ」

 …………恥を知るのはあなたです。

 喉元までせり上がった言葉をなんとか飲み込んだ。

 けれど、この人に向かう感情は、穏やかとは言い難いもの。

 この人は、父から受け継いだ薬草園を何度も踏み荒らした。そして私から住み慣れた家を奪い、母が精魂込めて育てた花壇を枯らし、大切な思い出の品々を借金の返済の為に売り払った人。

 そして、そんなことをしながらも一度も両親の墓前に花を手向けることすらしない人。

 そんな最低な人に、私はそんなことを言われる筋合いは毛ほども無い。そして私は、既に愛する人に望み望まれ、将来を誓っている。

「叔母様、知らない男ではありません。昨晩一緒に歩いていた人は、私の婚約者です。そして私はジャンとは正式に婚約はしておりません」
「ふざけたことを言わないでっ」

 叔母の金切り声を聴いた瞬間、女性のヒステリーとは、まさにこういうことなのかと、ふと思う。そして、話にならないとは、こういうことなのだと知った。

 ということを頭の隅でぼんやりと思いながら、私は、敢えてくすっと笑ってみせる。そして、とても不思議そうな表情をつくり、叔母に問いかけた。

「あら、叔母様、私がこの村からいなくなった方が都合が良いんじゃないですか?」

 ────大っ嫌いな私を見なくて済むのだから。

 嫌味を込めてそう言えば、叔母は壊れたように高笑いをした。

「アスティア、あなた勘違いしているわね。わたくしはね、あなたをこの村から一歩も出す気はないわ。あなたは、わたくしの目の届く範囲にずっといてもらいますからね」
「え?」

 狂ったように笑いだしたかと思えば、猫なで声でそんなことを言う叔母に対して思考がついていかない。

 そして、ころころと変わる叔母の態度が、狂気を帯びていて、不気味さが雷に打たれたかのように一気に身体の中を駆け抜けていく。怖い……とても。

 けれど、叔母は私を見つめ柔らかく笑っている。こんな優しい表情を向けられたのは始めてだ。でも、その目は笑っていない。変わらず狂気を帯びている。

 それが更なる恐怖となり、思わずこくりと唾を呑む。そうすれば、叔母は鞄から二つ折りにされた一枚の紙を取り出した。そしてそれをゆっくりと広げながら、私の目の前に付きつけた。

「ジャンとの婚約は決定事項よ、アスティア。…………見てみなさい」
「…………っっ!?」

 叔母が手にしていたのは、婚約誓約書だった。

 そして婚約者の名前の欄には既に私とジャンが記されている。しかも保証人の名前には、村長の名前と、この村の教会の牧師の名前。

 これは非の打ち所がない、完璧な婚約誓約書。

 しかも、この村で最も権力のある村長と牧師の2名の署名がある以上、誰にも覆すことができないもの。

「まぁ、あなたもこんなふうに驚く顔をするのね。わたくしのほうが驚いてしまうわ。ねえ……アスティア、あなたは無知だからこういうことはわからなかったかもしれないけれど、村でも王都でも結婚はね、親同士が決めることなのよ。そして、わたくしはあなたの親代わりなの」
「……………………」
「可愛いアスティア、あなたがどんなに喚いても、この婚約は既に決まっているわ」
「……………………」
「村長の息子さまは確か4回目の結婚ね。ふっ、楽しみだわ。あなたが、惨めな生活を送るのを間近で見れるなんて。アスティア、しっかり可愛がって貰いなさい。そして一生この村で生き地獄を味わってちょうだいね」

 まるで嫁ぐ娘を送り出すような深い声音なのに、叔母の口から吐き出されるその言葉は真逆のもの。

 ああ、そっか。叔母は────そんなにも。

「私が憎いの?叔母様」

 胸の内で沸いた言葉は、自分の意志とは関係なく零れ落ち、掠れた声で叔母に問いかけていた。

 反対に、問われた側の眼前にいるその人は、虚を突かれたかのように、目を丸くした。そして少しの間の後こう言った。
 
「…………そんなの、当たり前じゃない」

 その表情はキツネにつままれたようなぽかんとしたものでありながら、呆れかえって苦笑を浮かべているようにも見えた。
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