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不完全な婚約
ジャンからの暴露①
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それから3日後、約束通りレイディックは私のために馬車を用意してくれた。
ただ、私が向かうのは診療所ではなく、叔母のところ………のつもりだった。けれど、どういうわけか叔母の屋敷というか、元私の自宅に足を向けたけれど、留守のようだった。
これは、とても珍しいこと。
従姉妹のレイジーが外出するのは、ままあること。なのでそれは別にして、村の人たちと折り合いが悪い叔母は、日々の殆どを屋敷で過ごしているはずなのに。
それに何より叔父すら居ないというのは………この一家になにかあったのだろうか。
叔父は夜逃げ同然でここに来てから、心労で部屋に引きこもるようになってしまった。一家の主からすれば没落というのは精神的にかなりのダメージを受けるものだったのだろう。
そして、私は医師ではなく、薬師の見習いでしかない。叔父の心の病を癒やす術は見つからず、叔母達もそれを望んではいなかった。だから叔父と顔を合わせたのは数回だけ。
そんなことを考えながら何度も呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこないし、窓から覗く限り人の気配はない。
まるで廃墟のように閑散としている。そして気付いてしまった。久しぶりに訪れたここが、随分、荒れ果ててしまっていることに。
思い出が詰まったかつての屋敷は、長く掃除をされていないせいか窓もくすんでいるし、玄関扉もホコリが目立つ。
以前訪問したのは半年程前だった。その時は、ここまで酷い状態ではなかったはずなのに………。
「アスティアさま、残念ですが、またの機会にしましょう」
極寒の地のような荒れ果てた庭を眺めていたら、ティシャが気遣うようにそう言った。
「………そうね。でも………」
レイディックは思っている以上に、私の外出を快く思っていない。だからこの機会を逃したら、外出できるのはいつになるかわからない。
そんな気持ちで、足を馬車に向けられない私に、ティシャは困った様子で口を開いた。
「アスティアさま、今日は診療所に行くと言って外出されたので、あまりここに長居されては、後ほどレイディックさまに言い訳できません」
「………………そうね」
確かにジャンとの婚約は水面下でなかったことにしたい。
なら、ティシャの言い分はもっともで、私はこれ以上、ここにいる理由を見つけられなかった。
そういうわけで私は、当初の予定というか口実のために診療所に足を向けることにした。
「アスティアさま、わたくしの後ろを歩いてください。絶対に離れないでくださいね」
診療所の裏にある薬草園の門に到着するなり、ティシャはちょっと緊張した面持ちでそう私に忠告をした。
それは、以前、罠を仕掛けると言った為だろう。素直にうなずき、私はティシャの軌道からそれないよう注意しながら歩を進める。そして───。
「まぁ………すごいわ」
眼の前に広がる薬草園を見た瞬間、私はその言葉を紡いだあと、感動のあまり言うべき言葉を見失ってしまった。
そんな口元を覆って、瞬きを繰り返すことしかできない私に、ティシャは得意げに微笑みかけた。
「毎日ずっとお世話を欠かしていません。それに、先日お伝えした狩猟が得意で、ここに罠を張り巡らせた方…………シルヴァさんとおっしゃるんですが、土いじりも得意のようで、彼に整えてもらったんです」
「そうなのね」
眼前に広がるここは、私達が毎日精一杯整えていた薬草園とは、あまりに違っていた。
広さは変わっていないのに、種類が増えている。しかも用途別に植え替えられており、ツル科の植物には支柱がきちんと立ててあった。
もちろん雑草は抜き取られているし、毎日適度な水を与えているようで、晴天に恵まれた今日は、すべての植物が青々と茂っていて眩しいくらいだった。
「本当に、何とお礼を言ったら良いか………ねぇティシャ、私、その方にもきちんとお礼をお伝えしたいわ」
私の提案に、ティシャはにこりと笑って私の手を取った。
「はい。では、お屋敷に戻りましょう。今日はシルヴァさんも居るはずです」
嬉しそうにはしゃぐティシャにつられ、私の笑みが溢れる。
「ティシャ、いつもありがとう。あと………今日は付き合ってくれてありがとう」
改めてお礼を言った私に、ティシャは繋いだ手に力を込めながら、首をゆっくりと横に振った。
「とんでもありません。今日は、わたくしも久しぶりにアスティアさまの嬉しそうなお顔を見ることができて良かったです」
柔らかい笑みを向けるティシャは、本当に心からそう言ってくれているようだった。
「………ティシャ」
言葉に詰まった私は、薬草園をもう一度視界に収める。そしてティシャに促され、馬車に戻ろうとした瞬間、足が止まった。
それは私がうっかり罠にかかってしまったわけでもなく、ティシャがそうなったわけでもなく────薬草園の門前に会いたくない人間が居たからだ。
そして、その人は私を視界に収めた途端、下卑な笑いを浮かべた。
無骨な体格に、厳つい顔。短く刈られた茶褐色の髪は、まるで野獣のようだった。
「アスティア、久しぶりじゃないか」
───大っ嫌いな男。見るだけで不快な気持ちにさせる最低な人間。そして………私の婚約者になりかけた男。
会いたくなかった。そんな気持ちを込めて、私は震える声でその男の名を呼んだ。
「………ジャン」
ただ、私が向かうのは診療所ではなく、叔母のところ………のつもりだった。けれど、どういうわけか叔母の屋敷というか、元私の自宅に足を向けたけれど、留守のようだった。
これは、とても珍しいこと。
従姉妹のレイジーが外出するのは、ままあること。なのでそれは別にして、村の人たちと折り合いが悪い叔母は、日々の殆どを屋敷で過ごしているはずなのに。
それに何より叔父すら居ないというのは………この一家になにかあったのだろうか。
叔父は夜逃げ同然でここに来てから、心労で部屋に引きこもるようになってしまった。一家の主からすれば没落というのは精神的にかなりのダメージを受けるものだったのだろう。
そして、私は医師ではなく、薬師の見習いでしかない。叔父の心の病を癒やす術は見つからず、叔母達もそれを望んではいなかった。だから叔父と顔を合わせたのは数回だけ。
そんなことを考えながら何度も呼び鈴を鳴らしても、誰も出てこないし、窓から覗く限り人の気配はない。
まるで廃墟のように閑散としている。そして気付いてしまった。久しぶりに訪れたここが、随分、荒れ果ててしまっていることに。
思い出が詰まったかつての屋敷は、長く掃除をされていないせいか窓もくすんでいるし、玄関扉もホコリが目立つ。
以前訪問したのは半年程前だった。その時は、ここまで酷い状態ではなかったはずなのに………。
「アスティアさま、残念ですが、またの機会にしましょう」
極寒の地のような荒れ果てた庭を眺めていたら、ティシャが気遣うようにそう言った。
「………そうね。でも………」
レイディックは思っている以上に、私の外出を快く思っていない。だからこの機会を逃したら、外出できるのはいつになるかわからない。
そんな気持ちで、足を馬車に向けられない私に、ティシャは困った様子で口を開いた。
「アスティアさま、今日は診療所に行くと言って外出されたので、あまりここに長居されては、後ほどレイディックさまに言い訳できません」
「………………そうね」
確かにジャンとの婚約は水面下でなかったことにしたい。
なら、ティシャの言い分はもっともで、私はこれ以上、ここにいる理由を見つけられなかった。
そういうわけで私は、当初の予定というか口実のために診療所に足を向けることにした。
「アスティアさま、わたくしの後ろを歩いてください。絶対に離れないでくださいね」
診療所の裏にある薬草園の門に到着するなり、ティシャはちょっと緊張した面持ちでそう私に忠告をした。
それは、以前、罠を仕掛けると言った為だろう。素直にうなずき、私はティシャの軌道からそれないよう注意しながら歩を進める。そして───。
「まぁ………すごいわ」
眼の前に広がる薬草園を見た瞬間、私はその言葉を紡いだあと、感動のあまり言うべき言葉を見失ってしまった。
そんな口元を覆って、瞬きを繰り返すことしかできない私に、ティシャは得意げに微笑みかけた。
「毎日ずっとお世話を欠かしていません。それに、先日お伝えした狩猟が得意で、ここに罠を張り巡らせた方…………シルヴァさんとおっしゃるんですが、土いじりも得意のようで、彼に整えてもらったんです」
「そうなのね」
眼前に広がるここは、私達が毎日精一杯整えていた薬草園とは、あまりに違っていた。
広さは変わっていないのに、種類が増えている。しかも用途別に植え替えられており、ツル科の植物には支柱がきちんと立ててあった。
もちろん雑草は抜き取られているし、毎日適度な水を与えているようで、晴天に恵まれた今日は、すべての植物が青々と茂っていて眩しいくらいだった。
「本当に、何とお礼を言ったら良いか………ねぇティシャ、私、その方にもきちんとお礼をお伝えしたいわ」
私の提案に、ティシャはにこりと笑って私の手を取った。
「はい。では、お屋敷に戻りましょう。今日はシルヴァさんも居るはずです」
嬉しそうにはしゃぐティシャにつられ、私の笑みが溢れる。
「ティシャ、いつもありがとう。あと………今日は付き合ってくれてありがとう」
改めてお礼を言った私に、ティシャは繋いだ手に力を込めながら、首をゆっくりと横に振った。
「とんでもありません。今日は、わたくしも久しぶりにアスティアさまの嬉しそうなお顔を見ることができて良かったです」
柔らかい笑みを向けるティシャは、本当に心からそう言ってくれているようだった。
「………ティシャ」
言葉に詰まった私は、薬草園をもう一度視界に収める。そしてティシャに促され、馬車に戻ろうとした瞬間、足が止まった。
それは私がうっかり罠にかかってしまったわけでもなく、ティシャがそうなったわけでもなく────薬草園の門前に会いたくない人間が居たからだ。
そして、その人は私を視界に収めた途端、下卑な笑いを浮かべた。
無骨な体格に、厳つい顔。短く刈られた茶褐色の髪は、まるで野獣のようだった。
「アスティア、久しぶりじゃないか」
───大っ嫌いな男。見るだけで不快な気持ちにさせる最低な人間。そして………私の婚約者になりかけた男。
会いたくなかった。そんな気持ちを込めて、私は震える声でその男の名を呼んだ。
「………ジャン」
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