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伯爵様の元での生活
かつてのあなたと、今のあなた②
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───いけないっ。流されちゃ駄目だ。
レイディックの窘めるような口調と、眼差しが、かつての父によく似ていて、懐かしさのあまり、思わず頷きそうになってしまった。
いや、本当は彼のその言葉に甘えて、ここに留まりたいと強く思っている自分がいる。でも、何も聞かずにここまで親切にしてくれる彼の真意がわからない以上、自分の全てを彼に預けることはできない。
大丈夫、心配しないで、僕が守るから
再会して時間はそれほど経っていないというのに、レイディックの口からその言葉を何度も貰った。
でも、彼は一度だって、かつて約束したあのことを口にしてはいない。
まして好きとか、嫌いとか、私に対する個人的な感情すら言ってくれない。………診療所のバスルームであんな淫らなことをしてしまったというのに。
もしかしたらレイディックは、暗に、その約束を抜きにして、ここに留まれば良いと言っているのかもしれない。いや、約束自体を忘れてしまっているのかも。
悲しいけれど、そんなふうに否定的なことばかり考えたら、ついさっきまでふわふわと浮き立っていた気持ちが、みるみるうちに萎んでいく。ただ、とても冷静になることはできた。
「レイ、ありがとう。でも、私、診療所に戻るわ。だって、そこが私の家だから」
「ねえアスティア、僕の話、聞いてなかったの?」
柔らかく笑みを浮かべていたはずのレイディックがぞっとするほど、冷たい表情に変わっていた。
「僕はここにずっと居れば良いって言ったよね?聞こえてなかったの?」
決して声を荒げているわけでもないけれど、その表情と硬い声音で、彼がとても不機嫌になってしまったことを知る。こんな表情、一度も見たことが無い。
そして、記憶の中から大きく逸脱してしまった彼に戸惑いを覚え、狼狽えてしまった私に、レイディックは再び問いを重ねた。
「僕のところに居るのが嫌なの?」
「まさか、違う………違うわ」
間髪入れずに首を横に振った私に、レイディックの表情は、びっくりするほど柔らかいものになった。けれど、その眼はまだ探りを入れるように鋭いものだった。
誤魔化すことを許されない強い眼光に射抜かれ、私は腹を括った。
仕方がない。こうなったら、話せることだけをかいつまんで、彼に伝えることにしよう。
「あのね、私、薬草師になったの」
「……………そうなんだ」
返事の前に少し間が空いたのは、きっと彼が空白になってしまったここでの時間を埋めているのだろう。
ゆっくりと瞼が下りる。そしてすぐに目を掛けたレイディックは、私に続きを促した。
「だから、薬草園をそのままにはできないの。それに、医師のいないこの街では、薬草しか頼れなくって、私の薬を待っている人がいるの。お願い、レイディック。えっと…………昼間だけでも診療所に戻らせて」
「君の薬を待っている人って誰?その中に、君を襲った人がいるかもしれないじゃなか」
自分としては、かなりの折衷案を口にしたつもりだったけれど、レイディックから、すかさず問いを重ねられてしまった。
ただ、その問いは私としては、思いつかなかったというか、想像もつかなかったというか。所謂、斜め上のものだったので、思わず声を上げて笑ってしまった。
「ふふっ。それはないわよ、レイディック」
すぐさま、レイディックの目が険しいものになった。けれど、これはきちんと説明ができるので、身を竦ませることは無い。
「だって、私のお薬を待っているのは神経痛持ちのおじいちゃんと、腰痛持ちのおばあちゃんだけよ。覚えていない?ええっと…………、あなたが発作を起こして動けなくなった時、一番に見つけてくれて、しかも背負って屋敷まで送り届けてくれた牛飼いのロイおじいちゃん。あと、あなたが転んでしまった時に、傷を洗い流してくれた、機織りのフェイおばあちゃんよ?」
今度は私が彼の瞳を覗き込んで、そう問いかける。そうすれば、空色の瞳がバツが悪そうに揺れた。
「……………もちろん、覚えているよ」
ぽつりと呟いた彼は、そのまま静かに語りだした。
「僕の記憶では、あの二人は、かなり元気そうな記憶しかなかったけれど…………。そっか、君が診療所に戻りたいっていう理由はよくわかったよ。話してくれてありがとう。アスティア」
しみじみと語るレイディックは、もうどこにも怒りの色はなかった。
ただ、ほんの少し触れ合った村人のことは覚えているのに、あの日の約束を口にしてくれないレイディックに対して、無性に寂しかった。
でも、今は自分の主張が通るか通らないかの瀬戸際なのだ。だから、そこに心を傾けてはいけない。
「ねえレイ、お願い」
ちょっとズルいけれど、レイディックの小指を軽く握りしめる。
これは幼い頃、彼に甘える時に良くしていた私のとっておきの仕草だった。ここ一番っていう時に私がそうすれば、彼が一度も否と言ったことが無いことを私はちゃんと覚えている。
そして、今の彼にも、これは有効のようだった。
「もうっ、アスティア、ソレされると僕が弱いってわかっているよね?ずるいなぁ。ああ、もうっ、わかったわかった。診療所に行って良いよ。でも、君一人での外出は心配だから、絶対にティシャを連れて行ってね。馬車も僕が用意するから」
「ええ、わかった。約束するわ」
にこりと笑って頷けば、レイディックも同じように微笑み返してくれた。
レイディックの窘めるような口調と、眼差しが、かつての父によく似ていて、懐かしさのあまり、思わず頷きそうになってしまった。
いや、本当は彼のその言葉に甘えて、ここに留まりたいと強く思っている自分がいる。でも、何も聞かずにここまで親切にしてくれる彼の真意がわからない以上、自分の全てを彼に預けることはできない。
大丈夫、心配しないで、僕が守るから
再会して時間はそれほど経っていないというのに、レイディックの口からその言葉を何度も貰った。
でも、彼は一度だって、かつて約束したあのことを口にしてはいない。
まして好きとか、嫌いとか、私に対する個人的な感情すら言ってくれない。………診療所のバスルームであんな淫らなことをしてしまったというのに。
もしかしたらレイディックは、暗に、その約束を抜きにして、ここに留まれば良いと言っているのかもしれない。いや、約束自体を忘れてしまっているのかも。
悲しいけれど、そんなふうに否定的なことばかり考えたら、ついさっきまでふわふわと浮き立っていた気持ちが、みるみるうちに萎んでいく。ただ、とても冷静になることはできた。
「レイ、ありがとう。でも、私、診療所に戻るわ。だって、そこが私の家だから」
「ねえアスティア、僕の話、聞いてなかったの?」
柔らかく笑みを浮かべていたはずのレイディックがぞっとするほど、冷たい表情に変わっていた。
「僕はここにずっと居れば良いって言ったよね?聞こえてなかったの?」
決して声を荒げているわけでもないけれど、その表情と硬い声音で、彼がとても不機嫌になってしまったことを知る。こんな表情、一度も見たことが無い。
そして、記憶の中から大きく逸脱してしまった彼に戸惑いを覚え、狼狽えてしまった私に、レイディックは再び問いを重ねた。
「僕のところに居るのが嫌なの?」
「まさか、違う………違うわ」
間髪入れずに首を横に振った私に、レイディックの表情は、びっくりするほど柔らかいものになった。けれど、その眼はまだ探りを入れるように鋭いものだった。
誤魔化すことを許されない強い眼光に射抜かれ、私は腹を括った。
仕方がない。こうなったら、話せることだけをかいつまんで、彼に伝えることにしよう。
「あのね、私、薬草師になったの」
「……………そうなんだ」
返事の前に少し間が空いたのは、きっと彼が空白になってしまったここでの時間を埋めているのだろう。
ゆっくりと瞼が下りる。そしてすぐに目を掛けたレイディックは、私に続きを促した。
「だから、薬草園をそのままにはできないの。それに、医師のいないこの街では、薬草しか頼れなくって、私の薬を待っている人がいるの。お願い、レイディック。えっと…………昼間だけでも診療所に戻らせて」
「君の薬を待っている人って誰?その中に、君を襲った人がいるかもしれないじゃなか」
自分としては、かなりの折衷案を口にしたつもりだったけれど、レイディックから、すかさず問いを重ねられてしまった。
ただ、その問いは私としては、思いつかなかったというか、想像もつかなかったというか。所謂、斜め上のものだったので、思わず声を上げて笑ってしまった。
「ふふっ。それはないわよ、レイディック」
すぐさま、レイディックの目が険しいものになった。けれど、これはきちんと説明ができるので、身を竦ませることは無い。
「だって、私のお薬を待っているのは神経痛持ちのおじいちゃんと、腰痛持ちのおばあちゃんだけよ。覚えていない?ええっと…………、あなたが発作を起こして動けなくなった時、一番に見つけてくれて、しかも背負って屋敷まで送り届けてくれた牛飼いのロイおじいちゃん。あと、あなたが転んでしまった時に、傷を洗い流してくれた、機織りのフェイおばあちゃんよ?」
今度は私が彼の瞳を覗き込んで、そう問いかける。そうすれば、空色の瞳がバツが悪そうに揺れた。
「……………もちろん、覚えているよ」
ぽつりと呟いた彼は、そのまま静かに語りだした。
「僕の記憶では、あの二人は、かなり元気そうな記憶しかなかったけれど…………。そっか、君が診療所に戻りたいっていう理由はよくわかったよ。話してくれてありがとう。アスティア」
しみじみと語るレイディックは、もうどこにも怒りの色はなかった。
ただ、ほんの少し触れ合った村人のことは覚えているのに、あの日の約束を口にしてくれないレイディックに対して、無性に寂しかった。
でも、今は自分の主張が通るか通らないかの瀬戸際なのだ。だから、そこに心を傾けてはいけない。
「ねえレイ、お願い」
ちょっとズルいけれど、レイディックの小指を軽く握りしめる。
これは幼い頃、彼に甘える時に良くしていた私のとっておきの仕草だった。ここ一番っていう時に私がそうすれば、彼が一度も否と言ったことが無いことを私はちゃんと覚えている。
そして、今の彼にも、これは有効のようだった。
「もうっ、アスティア、ソレされると僕が弱いってわかっているよね?ずるいなぁ。ああ、もうっ、わかったわかった。診療所に行って良いよ。でも、君一人での外出は心配だから、絶対にティシャを連れて行ってね。馬車も僕が用意するから」
「ええ、わかった。約束するわ」
にこりと笑って頷けば、レイディックも同じように微笑み返してくれた。
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