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過去と未来の間の蜜月
花祭り①
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診療所を後にした私達だったけれど、花祭りの会場である中央広場のかなり手前で馬車を降りることにした。
それは人混みが多くてこれ以上馬車を進ませることが厳しいのもあったけれど、レイディックがどうせだったら、ゆっくりと見て回りたいと提案してくれたから。
「すごい人だかりだね。アスティア、僕から離れないでね」
祭りの会場に続く大きな道に一歩踏み入れた瞬間、そう言って、レイデリックは私の手を握った。そして、指を絡ませながら、会場へ向かう人達の波に身を任す。
「ずっと、こうしてアスティアと歩くのが夢だったんだ」
お祭り会場まではまだ距離がある。
でも、すでに音楽がここまで届いているし、そこに向かう人達は勝手気ままに話をしているので、かなり騒がしい。
そんな中、レイディックのテノールの声は、きちんと私の耳に届く。それがまた嬉しくて心地よい。
「そうね。私も、あなたとこうして歩きたかったわ」
お祭りのふわふわとした高揚感から、素直な気持ちを口にした途端、レイデリックはぴたりと足を止めた。
「アスティア、本当に?」
疑いの目………というよりは、言葉としてもう一度認識させて欲しいといった感じの問いに、私はにっこりと笑って頷いた。
「ええ。もちろんよ」
「そうかな?君はお祭りの前になると、ずっとソワソワしていたし、僕と話をしていても時々上の空だったじゃないか」
てっきり私と同じような笑みが返ってくると思ったけれど、レイディックは未だに疑いの目を向ける。
「……ごめんなさい。両親と外出できる夜は、あの日しかなかったから……その………」
レイディックと共に過ごす今日も特別だけれど、幼いころのあの夜も特別だったのだ。
それを、ごにょごにょと言葉尻を濁しながら説明すれば、レイディックは弾けたように笑い声を上げた。
「ははっ。そうだったのか。てっきり僕は、誰か他の男とお祭りに行くから、それを楽しみにしているんだと思ってたよ」
「何を馬鹿なことを………………あ、ごめんなさい」
うっかり暴言を吐いてしまい、慌てて謝罪する。
そうすれば、レイディックは暴言を吐かれたというのに、くすくすと笑いながら互いの指を絡ませている手を軽く揺さぶった。
「良いんだよ。僕だって自分のことを馬鹿だって思っているんだから。謝らないで」
こちらを向いてそう言ってくれたレイディックだったけれど、すぐに前をむく。
そして懐かしそうに眼を細めながら、歩調に合わせてゆっくりと語りだした。
「実はね君は村の連中からすごく人気があったから、僕はずっとやきもきしていたんだよ」
「………………嘘」
「嘘じゃないさ。アスティアがいないところで、僕は結構、嫌がらせを受けてたよ。生意気だって」
「あら、レイだって、村の女の子は皆んなあなたのことが好きだったわ。だから私、ティシャが来てくれるまで、なかなかお友達ができなかったものっ」
「うーん、そうだったのかなぁ。僕はアスティアしか見ていなかったから、知らないや」
「私だって、レイのことしか………」
そこで気付く。些末な言い合いが、いつの間にか惚気合いになっていたことに。
そして、それに気付けば、妙にそわそわと落ち着かない気持ちになってしまう。ちらっと見上げれば、レイディックも反対の手で口元を覆ってしまっている。
でも、それはくすぐったさが混じった心地よいそわそわとした感じ。そして、溢れた気持ちは止まらなくて、恥ずかしいと思いながらも、やっぱり伝えたくなってしまう。
「ねえ、レイ。そんなあなたを独り占めできて、私はとても幸せだったわ。それに───」
「こんばんは、レイディックさま」
レイディックを見つめてながら、感情のままに語りだした私だったけれど、不意に聞き覚えのある女性の声に遮られてしまった。
「…………レイジー」
会いたくなかった。けれど、会うかもしれないと予期していた人物の一人。叔母の一人娘で、従妹と言う間柄であっても、決して仲が良いとは言えない存在。
きっと、相手も同じことを思っているのだろう。一瞬だけ私を見た彼女は、憎々しい視線を隠すことはしない。
こげ茶色の髪と細く吊り上がった目は、猫というよりは、まるで勝気なキツネのようだった。
そんな悪意の籠った視線に押され、私は浮きだった気分が一気に沈んでしまう。けれど、レイディックはにこやかな表情で、レイジーに挨拶をする。私の手を離さないままで。
「やあ、こんばんは。初めて参加するけれど、すごい賑わいですね」
「ええ。そうなんですっ。中央広場には行かれました?女神像に村中の花を飾ってあるんです。とっても綺麗なんですよ」
しなを作りながら弾んだ声でレイジーはレイディックの言葉に何度も頷いている。
頬はほんのりと赤く、あきらかにレイディックを異性として見ているようだ。チリっと胸が焼ける音がする。けれど、反対にレイディックの態度はそっけない。
「春の幸いがあなたにも訪れますように。あなたにとってこの夜が楽しいものになるよう祈っています。それでは」
儀礼的といった感じで、軽く会釈をしたレイディックは、すぐに背を向けようとした。けれど───。
「待ってくださいっ。あの、良かったら私とご一緒しませんか?」
もう今は、夕暮れというよりは、夜と言っても良い時刻。だから、少し俯いたレイディックの表情は影になって、間近ではないと見ることができない。
そして、レイディックのすぐそばにいる私は、しっかりとその表情が目に入ってしまう。───彼は、今まで見たことが無いほどに、不愉快なそれ。
けれど、少し離れた場所にいるレイジーには、彼の表情を見ることができなかった。
「美味しいお酒が振舞われる場所も知っていますし、少し離れたところでゆっくりできる場所もあります。それに、こんな娘より、わたくしのほうが───」
「あのさぁ、うるさいんだけど」
瞬きする間に豹変したレイディックの態度に、レイジーは顔色を無くす。
その姿は痛々しいほどで、今日の為に着飾った服も髪に付けている花も、とても場違いなものに見えてしまった。
それは人混みが多くてこれ以上馬車を進ませることが厳しいのもあったけれど、レイディックがどうせだったら、ゆっくりと見て回りたいと提案してくれたから。
「すごい人だかりだね。アスティア、僕から離れないでね」
祭りの会場に続く大きな道に一歩踏み入れた瞬間、そう言って、レイデリックは私の手を握った。そして、指を絡ませながら、会場へ向かう人達の波に身を任す。
「ずっと、こうしてアスティアと歩くのが夢だったんだ」
お祭り会場まではまだ距離がある。
でも、すでに音楽がここまで届いているし、そこに向かう人達は勝手気ままに話をしているので、かなり騒がしい。
そんな中、レイディックのテノールの声は、きちんと私の耳に届く。それがまた嬉しくて心地よい。
「そうね。私も、あなたとこうして歩きたかったわ」
お祭りのふわふわとした高揚感から、素直な気持ちを口にした途端、レイデリックはぴたりと足を止めた。
「アスティア、本当に?」
疑いの目………というよりは、言葉としてもう一度認識させて欲しいといった感じの問いに、私はにっこりと笑って頷いた。
「ええ。もちろんよ」
「そうかな?君はお祭りの前になると、ずっとソワソワしていたし、僕と話をしていても時々上の空だったじゃないか」
てっきり私と同じような笑みが返ってくると思ったけれど、レイディックは未だに疑いの目を向ける。
「……ごめんなさい。両親と外出できる夜は、あの日しかなかったから……その………」
レイディックと共に過ごす今日も特別だけれど、幼いころのあの夜も特別だったのだ。
それを、ごにょごにょと言葉尻を濁しながら説明すれば、レイディックは弾けたように笑い声を上げた。
「ははっ。そうだったのか。てっきり僕は、誰か他の男とお祭りに行くから、それを楽しみにしているんだと思ってたよ」
「何を馬鹿なことを………………あ、ごめんなさい」
うっかり暴言を吐いてしまい、慌てて謝罪する。
そうすれば、レイディックは暴言を吐かれたというのに、くすくすと笑いながら互いの指を絡ませている手を軽く揺さぶった。
「良いんだよ。僕だって自分のことを馬鹿だって思っているんだから。謝らないで」
こちらを向いてそう言ってくれたレイディックだったけれど、すぐに前をむく。
そして懐かしそうに眼を細めながら、歩調に合わせてゆっくりと語りだした。
「実はね君は村の連中からすごく人気があったから、僕はずっとやきもきしていたんだよ」
「………………嘘」
「嘘じゃないさ。アスティアがいないところで、僕は結構、嫌がらせを受けてたよ。生意気だって」
「あら、レイだって、村の女の子は皆んなあなたのことが好きだったわ。だから私、ティシャが来てくれるまで、なかなかお友達ができなかったものっ」
「うーん、そうだったのかなぁ。僕はアスティアしか見ていなかったから、知らないや」
「私だって、レイのことしか………」
そこで気付く。些末な言い合いが、いつの間にか惚気合いになっていたことに。
そして、それに気付けば、妙にそわそわと落ち着かない気持ちになってしまう。ちらっと見上げれば、レイディックも反対の手で口元を覆ってしまっている。
でも、それはくすぐったさが混じった心地よいそわそわとした感じ。そして、溢れた気持ちは止まらなくて、恥ずかしいと思いながらも、やっぱり伝えたくなってしまう。
「ねえ、レイ。そんなあなたを独り占めできて、私はとても幸せだったわ。それに───」
「こんばんは、レイディックさま」
レイディックを見つめてながら、感情のままに語りだした私だったけれど、不意に聞き覚えのある女性の声に遮られてしまった。
「…………レイジー」
会いたくなかった。けれど、会うかもしれないと予期していた人物の一人。叔母の一人娘で、従妹と言う間柄であっても、決して仲が良いとは言えない存在。
きっと、相手も同じことを思っているのだろう。一瞬だけ私を見た彼女は、憎々しい視線を隠すことはしない。
こげ茶色の髪と細く吊り上がった目は、猫というよりは、まるで勝気なキツネのようだった。
そんな悪意の籠った視線に押され、私は浮きだった気分が一気に沈んでしまう。けれど、レイディックはにこやかな表情で、レイジーに挨拶をする。私の手を離さないままで。
「やあ、こんばんは。初めて参加するけれど、すごい賑わいですね」
「ええ。そうなんですっ。中央広場には行かれました?女神像に村中の花を飾ってあるんです。とっても綺麗なんですよ」
しなを作りながら弾んだ声でレイジーはレイディックの言葉に何度も頷いている。
頬はほんのりと赤く、あきらかにレイディックを異性として見ているようだ。チリっと胸が焼ける音がする。けれど、反対にレイディックの態度はそっけない。
「春の幸いがあなたにも訪れますように。あなたにとってこの夜が楽しいものになるよう祈っています。それでは」
儀礼的といった感じで、軽く会釈をしたレイディックは、すぐに背を向けようとした。けれど───。
「待ってくださいっ。あの、良かったら私とご一緒しませんか?」
もう今は、夕暮れというよりは、夜と言っても良い時刻。だから、少し俯いたレイディックの表情は影になって、間近ではないと見ることができない。
そして、レイディックのすぐそばにいる私は、しっかりとその表情が目に入ってしまう。───彼は、今まで見たことが無いほどに、不愉快なそれ。
けれど、少し離れた場所にいるレイジーには、彼の表情を見ることができなかった。
「美味しいお酒が振舞われる場所も知っていますし、少し離れたところでゆっくりできる場所もあります。それに、こんな娘より、わたくしのほうが───」
「あのさぁ、うるさいんだけど」
瞬きする間に豹変したレイディックの態度に、レイジーは顔色を無くす。
その姿は痛々しいほどで、今日の為に着飾った服も髪に付けている花も、とても場違いなものに見えてしまった。
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