拝啓、大切なあなたへ

茂栖 もす

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4.トゥラウムの追想

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 デュークが用意してくれた馬は、間違いなく訓練所で一番の駿馬だった。あっという間に王都を走り抜け、海岸沿いを駆け続ける。
 
 流れるように過ぎ去る景色の中で、一瞬、白い建物が映り込む。───あそこに、エリアが居るのだろう。

 そう思った途端、無意識に手綱を掴む手に力が籠る。エリアの診療所に向かうのは、今日で二度目だ。

 一度目の再会は叶わなかった。けれど、それはエリアの気持ちを考慮して身を引いただけのこと。二度目の今日は、自分の想いを貫き通させてもらう。

 ずっと忘れていた。二人の出会いだって、自分からだったのだ。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 騎士など華やかそうに見えるが、その実態はむさ苦しい野郎共の集まりでしかない。

 毎日剣術の稽古に明け暮れる日々。一部の連中は、忙しい合間をぬって遊びにうつつを抜かしていたが、それは例外でしかない。

 幼少の頃から憧れていた騎士となり、ひたすら高みを目指していた自分は、色恋沙汰に関しては悲しいほど恵まれない生活を過ごしてきた。
 だから、彼女───エリアに想いを抱いていても、どう距離を詰めて良いのかわからなかった。

 同僚に相談などできるはずもない。なぜなら、彼女に想いを寄せる者は少なくなかったのだから。

 そんな野郎共の心情を知ってか知らずか、エリアの仕事ぶりは虚静恬淡としたものだった。
 与えられた仕事は丁寧にこなす。ただそれだけ。
 余分な会話など一切しない。それは、不機嫌だからとか、規則が厳しく私語を禁じられているとか、そういうものではなく、彼女自身が人との会話を必要としていない、そう感じさせるものだった。

 ただ、それに気付くのは少し時間を要した。なぜならば、メイドたちの間では、この訓練所に配属されることは【ハズレ】らしい。随分とひどい言い様だが、強く否定をすることはできない。

 確かに、花形の王城内の部屋付きメイドに比べれば重労働だし、華やかさにも欠けるだろう。何より同じ職の人間が少ないというのが一番の理由らしい。
 他にも、メイド部屋が狭いとか、給金が良くないとか、理由は多々あるが、とにかくこの訓練所に従事するメイドは大なり小なりの不満を抱えていた。

 騎士との接触を拒んでいたエリアも最初の頃は、例に漏れず、何か不満を抱いているのだろうと思っていた。けれど、それは私の勘違いでしかなかった。

 エリアは寒い地方の出身ということは、風の噂で知っていた。そして天涯孤独の身の上であるということも。
 確かに彼女は寒冷地独特の、雪のような白い肌をしていた。まっすぐに伸びた黒髪と同じ色の瞳。よく見れば随分と、整った顔立ちをしているが、その眼には何も映してはいなかった。
 
 まだ少女といっても過言ではないエリアは、その歳で一生分の哀しみと喪失を味わってきたのだろう。
 そしてその結果、彼女にとっては、ここにいる人間も家具も同じように映ってしまっているのだ。そう、自分も含めて。

 冗談じゃない────自分を、自分だけを見て欲しい。

 唐突に沸き上がったそれは、渇望だった。エリアの眼に、自分を映してほしいという、単純だけど激しい欲望だった。この気持ちにあえて名前を付けるとしたら、【一目惚れ】という言葉が一番相応しいのだろう。

 ただ遅い初恋をこじらせた男には、好きな女性との会話の機会をつくるのも容易なことではなかった。


 散々悩んだ挙句、結局、陳腐でありきたりな始まりになってしまった。
 

『ねぇ、これ食べないかい?』

 流行りの菓子に陳腐な言葉。我ながら情けないきっかけ作りだったが、それでもエリアは受け取ってくれた。

 菓子の包みを受け取ってくれたエリアの瞳には、自分という存在が間違いなく映っていた。欲望が恋に変わり、そして愛情へと変わった瞬間だった。 

 そして間もなく、エリアを恋人と呼べるようになったのだ。 
 
 自分のどこに惹かれたのだろうか。そんなことを今更、聞く必要もないくらいエリアも自分もお互いを求め合い、そして満たされていった。

 エリアと過ごす日々は本当に幸せだった。そしてずっと守りたいと思った。例え彼女が不治の病に侵されようとも。

 別れを告げるエリアを無理矢理引き止めなかったのは、添い遂げる自信がなかったからではない。ただ、あのまま自分の気持ちを押し付ければ、彼女が壊れてしまいそうだったから。彼女を失うことが何よりも怖かった。

 それから時間を置いて、診療所に足を運んだ。添い遂げたい気持ちは変わってないことを伝えるために。けれど、彼女との再会は叶わなかった。

 会えなければ冷めていく気持ちもある。けれど、どれだけ撥ね付けられようとも、拒まれようとも、エリアへの想いを断ち切ることなどできなかった。
 そんな自分が女々しいと思う反面、それの何がいけないのかと開き直る自分が今もここにいる。


 ───今になって気づく。別れを選んだ彼女も、添い遂げようとした自分も間違ってはいなかったのだ。

 そもそも恋愛において何が正解なのか、不正解なのかわからない。全てが不明瞭で曖昧で、手探りでしか進めないものなのだ。

 ただ一つ言えるのは、彼女と再会したら、きっとあの時の答えが出るのだろう。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 馬を降りて、診療所の敷地に踏み込む。

 建物が眼前に迫ったとき、思わずその場に立ち竦んでしまった。それは、恐れとか戸惑いではなく────懐かしい曲が聞こえてきたからだった。

 離れていく恋人を繋ぎ止めるために奏でられた古い歌劇の劇中曲。そして、エリアと共に過ごした時間の象徴でもある曲。

 奏者は姿を見なくてもわかる。間違いない、エリアだ。

 我知らず、熱いものが込み上げ、片手で顔を覆い空を仰ぐ。

 僅かに残っていた不安が、掻き消された。逸る心に体が追いつこうと、必死に走り出す。建物まではあとわずか。しかし、背後から気配がして歩調を緩めたその時───。

「お待ちなさい」

 咎めているわけではないが、逆らうことのできない威厳のある女性の声に振り返る。声の先には、見覚えのある女性が立っていた。この診療所で看護をしているであろう初老のシスターだ。

 このシスターに会うのは2回目だった。一度目は、診療所のホールで門前払いをくらった。あの時は、冷たい視線を投げつけられたのだが、今日は別人のように、柔和な笑みを浮かべている。

「彼女はこちらですよ」
 
 そうシスターが指し示した手の先には、日傘を差しながら歩く彼女がいた──。
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