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1.マイヒーロー
1-④
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真登の言う「いつものとこ」とは、郊外の大型ショッピングモールだった。なにを買うでもなく店を冷やかし、フードコートで甘いものを食べる。恋人と言える関係になるまえも、それからも、ここでのデートがわたしたちの定番だった。
平日でも、ショッピングモールはひとで溢れていた。カップル、親子、友達、ひと目見ただけでは関係性が判断できないひとたちもいた。それぞれがそれぞれの時間を生きて、周囲のことなんて気にしていないように見える。社会に存在する、ありとあらゆる形の人間が一堂に会している気がして、あたりを見まわす。心細ささえ感じる巨大な建物のなかで、真登に握られた指先だけが拠り所だ。わたしはこの場所で、自分の外側があいまいになる感覚と、自分が殻に押しこめられる感覚の、両方を感じる。
フードコートの角に陣取って、ざわめきのなかでアイスクリームを食べる。しっかり冷えた館内で食べるには、おおきなアイスクリームはすこし寒いくらいだった。口に入れた瞬間、胃に流れていくはずの甘い液体が、胸に落ちてやわらかくそこを包むのがわかる。寒いのに、とてもあたたかい。
「それうまそう」
「食べる?」
ピンクのスプーンにアイスを乗せて、真登の口もとへと運ぶ。お返し、と、真登も自分の山を削ってわたしに差しだした。こういうやりとりは、いつになったってくすぐったい。
「大学っていえば、里恵ちゃんもおれたちの年の頃にはもう、ケーキ屋になるって決めてたんだもんな」
ディッシャーで丸くすくわれたアイスをスプーンでつつきながら、真登がぽつりとことばを落とす。せっかくほころんでいた心が、まだぎゅっと硬くなる。一度終わった話をつづけたがるのは、真登の癖だ。
「……突然どうしたの」
「いや、こうやって甘いもん食べたら、今日あったヤなこと忘れられるじゃんか。ひとをそういう気持ちにさせられるものを、里恵ちゃんは作ってるんだなと思って。そんでそれを十八のときにもう決めてたってのがすごいなと」
しみじみ思ったんですよ、と真登が照れて頭を掻く。
「おれたちだってガッコいってたら高三だもんな。おまえ想像できる? これからずっとやってく仕事をいま決めるとか」
「……真登はおじさんの会社継ぐんでしょ、それってずっとやっていく仕事じゃない」
すごいことだよ、とつぶやいた声は、ちいさすぎて真登には届かなかったかもしれない。自分たちには関係ないとさっき言ったはずなのに、どうしてわたしたちはこんな話をしているのだろう。いまのいままで恋人らしいことをして、たのしく笑いあっていたのに。
「んー、でも車いじるのはなんとなくではじめたし、まだ資格も取ってないから、継ぐのは先の話だけどな」
口調とは裏腹に、口に入れたピンクのスプーンが、いたずらっこの出した舌のようにまぶしい。だれにも教えていない宝物の、隠し場所が見つかったときの子どもの表情だ。言いたい気持ちと、秘密にしておきたい気持ちが複雑に絡みあって、でもやっぱり聞いてほしい気持ちが勝っているときの。
「真登は、ほんとすごいね。応援してる。がんばってね」
「おう」
なにもがんばっていない人間の言う「がんばって」ほど、空虚に響くことばもなかった。でもその瞬間、ほかに選ぶべき文字のかたまりを、わたしは自分の頭のなかの辞書から探しだすことができなかった。
わたしには、なにもない。そう、真登の言うとおり、わたしには関係のないことだ。今日も、明日も、来年も、わたしの毎日は変わらない。変えられない。
秘密にしておきたいことは、たったひとつあるけれど、それをだれかに認めてほしいと思ったことは一度もない。気づいたときには持っていて、いつのまにか膨らみすぎて重くなったその秘密を、わたしはきっと、死んで幽霊になってもだれにも言わない。
今朝、儀式のときに辞書が見せてくれた二文字が頭に浮かんでくる。耐え忍ぶと書くそのことばを、わたしはいつまでも唱えつづけなければいけないのだ。
平日でも、ショッピングモールはひとで溢れていた。カップル、親子、友達、ひと目見ただけでは関係性が判断できないひとたちもいた。それぞれがそれぞれの時間を生きて、周囲のことなんて気にしていないように見える。社会に存在する、ありとあらゆる形の人間が一堂に会している気がして、あたりを見まわす。心細ささえ感じる巨大な建物のなかで、真登に握られた指先だけが拠り所だ。わたしはこの場所で、自分の外側があいまいになる感覚と、自分が殻に押しこめられる感覚の、両方を感じる。
フードコートの角に陣取って、ざわめきのなかでアイスクリームを食べる。しっかり冷えた館内で食べるには、おおきなアイスクリームはすこし寒いくらいだった。口に入れた瞬間、胃に流れていくはずの甘い液体が、胸に落ちてやわらかくそこを包むのがわかる。寒いのに、とてもあたたかい。
「それうまそう」
「食べる?」
ピンクのスプーンにアイスを乗せて、真登の口もとへと運ぶ。お返し、と、真登も自分の山を削ってわたしに差しだした。こういうやりとりは、いつになったってくすぐったい。
「大学っていえば、里恵ちゃんもおれたちの年の頃にはもう、ケーキ屋になるって決めてたんだもんな」
ディッシャーで丸くすくわれたアイスをスプーンでつつきながら、真登がぽつりとことばを落とす。せっかくほころんでいた心が、まだぎゅっと硬くなる。一度終わった話をつづけたがるのは、真登の癖だ。
「……突然どうしたの」
「いや、こうやって甘いもん食べたら、今日あったヤなこと忘れられるじゃんか。ひとをそういう気持ちにさせられるものを、里恵ちゃんは作ってるんだなと思って。そんでそれを十八のときにもう決めてたってのがすごいなと」
しみじみ思ったんですよ、と真登が照れて頭を掻く。
「おれたちだってガッコいってたら高三だもんな。おまえ想像できる? これからずっとやってく仕事をいま決めるとか」
「……真登はおじさんの会社継ぐんでしょ、それってずっとやっていく仕事じゃない」
すごいことだよ、とつぶやいた声は、ちいさすぎて真登には届かなかったかもしれない。自分たちには関係ないとさっき言ったはずなのに、どうしてわたしたちはこんな話をしているのだろう。いまのいままで恋人らしいことをして、たのしく笑いあっていたのに。
「んー、でも車いじるのはなんとなくではじめたし、まだ資格も取ってないから、継ぐのは先の話だけどな」
口調とは裏腹に、口に入れたピンクのスプーンが、いたずらっこの出した舌のようにまぶしい。だれにも教えていない宝物の、隠し場所が見つかったときの子どもの表情だ。言いたい気持ちと、秘密にしておきたい気持ちが複雑に絡みあって、でもやっぱり聞いてほしい気持ちが勝っているときの。
「真登は、ほんとすごいね。応援してる。がんばってね」
「おう」
なにもがんばっていない人間の言う「がんばって」ほど、空虚に響くことばもなかった。でもその瞬間、ほかに選ぶべき文字のかたまりを、わたしは自分の頭のなかの辞書から探しだすことができなかった。
わたしには、なにもない。そう、真登の言うとおり、わたしには関係のないことだ。今日も、明日も、来年も、わたしの毎日は変わらない。変えられない。
秘密にしておきたいことは、たったひとつあるけれど、それをだれかに認めてほしいと思ったことは一度もない。気づいたときには持っていて、いつのまにか膨らみすぎて重くなったその秘密を、わたしはきっと、死んで幽霊になってもだれにも言わない。
今朝、儀式のときに辞書が見せてくれた二文字が頭に浮かんでくる。耐え忍ぶと書くそのことばを、わたしはいつまでも唱えつづけなければいけないのだ。
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