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11.心が重ならない
11-①
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夏休みが明けてすぐ、文化祭が行われるのがこの高校の慣習だった。二週間足らずの期間でやれることは限られていて、だからどのクラスも夏休み中から準備をしている。お祭りごとの好きなやつが多いうちのクラスは駄菓子屋をやることになっていた。
「俺も文化祭やりたかった!」
放課後、手の空いているやつらで駄菓子屋の内装を作ろうとしているとき、武本がわざわざ俺の席まで近づいてきてそう叫んだ。
「仕方ないだろ、期待されてるんだぞお前」
文化祭の日は、いくつかの部活が大会で不在だった。高校生の部活というのは、ときに学業より優先されることがある。陸上部もそのひとつで、地区大会が文化祭当日に行われることになっていた。武本はここ最近記録を伸ばしているらしく、北信越大会への出場が期待されていると聞いた。
でもさあ、と渋る武本の背を押して教室から送り出してやる。手を振ってグラウンドへと去っていく後姿は、進む先を見た瞬間にしっかりとしていた。切り替えが早いのが武本のいいところだ。さっぱりしているあいつでなければ、俺と付き合うのは難しいに違いない。
「明は走りにいかないの」
シュウが近づいてきて首を傾げる。武本と一緒に部活にいかなくていいのか、と訊かれているのか、走りにいかないのか、と訊かれているのか、とっさには判断がつかない表情だった。
受験勉強の息抜きと言っていまだに部活に出入りしている山村先輩は、今回の大会にエントリーするよう俺にも声をかけてきた。かけてきてくれた、と表現する気にはなれなかった。何度拒絶しても、先輩は俺を勧誘することをやめない。それが、俺にとっては苦痛だった。
「お前と一緒にするなよ」と笑った武本の顔を思いだす。入学してからこれまで、グラウンドで部活に参加したことは一度もない。いまさらどうしろと言うのだろう。走っていられればそれでいいと、繰り返し言っているのに。
「いかないよ」
シュウを見あげて笑ってみせる。そうして、シュウがこれまでやってきたのはこういうことかと実感した。ひとは触れられたくないものがあるとき、笑顔を作ることで相手を拒むことができるのだ。心を許しているようなふりをする分、ただ険しい顔をされるより遠ざけられたと強く感じる。
「そっか」
シュウがさみしそうにうつむいて、だから俺は胸がちくりと痛んだ。シュウの心はひっぱりだしたくせに、自分の胸のうちを告げることはできなかった。走るという俺の習慣について、口を出されていい気分になったことはない。なにより、もやもやとうずまく感情をことばにできないままシュウに伝えたくなかった。
「ほら、剣持くんも萩原くんも早くきて」
「……いこうか」
実行委員の女子に急かされて席を立つ。シュウはなにか言いたそうな顔をしていたけれど、それを無視して机を隅に寄せて作られたスペースへと向かった。
文化祭の準備はそれなりに充実していたように思う。指示を飛ばすクラスメイトの言うとおり段ボールを組み立てて色を塗っていくだけの単純作業は、体育祭のときのように責任が伴うこともなくて楽だった。
ただ、放課後の時間を奪われる日々は確実に俺から余裕を奪っていった。走りたいという気持ちが、自分のなかでどんどん膨らんでいく。日没は日に日に早くなっていくけれど、帰宅したあと夜にだって走ろうと思えばできるのだ。それなのに、なぜか走ることを躊躇している自分がいた。いまにも走りだしたくて足がむずむずしているのに、心のどこかでそうすることに恐怖しているような気さえする。向きあうことも、逃げることもできないまま、時間だけがすぎていった。
「俺も文化祭やりたかった!」
放課後、手の空いているやつらで駄菓子屋の内装を作ろうとしているとき、武本がわざわざ俺の席まで近づいてきてそう叫んだ。
「仕方ないだろ、期待されてるんだぞお前」
文化祭の日は、いくつかの部活が大会で不在だった。高校生の部活というのは、ときに学業より優先されることがある。陸上部もそのひとつで、地区大会が文化祭当日に行われることになっていた。武本はここ最近記録を伸ばしているらしく、北信越大会への出場が期待されていると聞いた。
でもさあ、と渋る武本の背を押して教室から送り出してやる。手を振ってグラウンドへと去っていく後姿は、進む先を見た瞬間にしっかりとしていた。切り替えが早いのが武本のいいところだ。さっぱりしているあいつでなければ、俺と付き合うのは難しいに違いない。
「明は走りにいかないの」
シュウが近づいてきて首を傾げる。武本と一緒に部活にいかなくていいのか、と訊かれているのか、走りにいかないのか、と訊かれているのか、とっさには判断がつかない表情だった。
受験勉強の息抜きと言っていまだに部活に出入りしている山村先輩は、今回の大会にエントリーするよう俺にも声をかけてきた。かけてきてくれた、と表現する気にはなれなかった。何度拒絶しても、先輩は俺を勧誘することをやめない。それが、俺にとっては苦痛だった。
「お前と一緒にするなよ」と笑った武本の顔を思いだす。入学してからこれまで、グラウンドで部活に参加したことは一度もない。いまさらどうしろと言うのだろう。走っていられればそれでいいと、繰り返し言っているのに。
「いかないよ」
シュウを見あげて笑ってみせる。そうして、シュウがこれまでやってきたのはこういうことかと実感した。ひとは触れられたくないものがあるとき、笑顔を作ることで相手を拒むことができるのだ。心を許しているようなふりをする分、ただ険しい顔をされるより遠ざけられたと強く感じる。
「そっか」
シュウがさみしそうにうつむいて、だから俺は胸がちくりと痛んだ。シュウの心はひっぱりだしたくせに、自分の胸のうちを告げることはできなかった。走るという俺の習慣について、口を出されていい気分になったことはない。なにより、もやもやとうずまく感情をことばにできないままシュウに伝えたくなかった。
「ほら、剣持くんも萩原くんも早くきて」
「……いこうか」
実行委員の女子に急かされて席を立つ。シュウはなにか言いたそうな顔をしていたけれど、それを無視して机を隅に寄せて作られたスペースへと向かった。
文化祭の準備はそれなりに充実していたように思う。指示を飛ばすクラスメイトの言うとおり段ボールを組み立てて色を塗っていくだけの単純作業は、体育祭のときのように責任が伴うこともなくて楽だった。
ただ、放課後の時間を奪われる日々は確実に俺から余裕を奪っていった。走りたいという気持ちが、自分のなかでどんどん膨らんでいく。日没は日に日に早くなっていくけれど、帰宅したあと夜にだって走ろうと思えばできるのだ。それなのに、なぜか走ることを躊躇している自分がいた。いまにも走りだしたくて足がむずむずしているのに、心のどこかでそうすることに恐怖しているような気さえする。向きあうことも、逃げることもできないまま、時間だけがすぎていった。
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