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第二章

第15話「すれ違い」

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「ねぇねぇウクダー、またボクに精をいっぱいちょうだい? 今度はお腹の中の一番奥に出して欲しいなぁ」
「なっ……」

 窓辺で頬杖をつき、ウォラーレは外で汗を流すウクダーに向かって無垢な顔で卑猥な事を言ってのけた。
 必ず精をせがむだろうとは思っていたが、こんなにも早々に言われてウクダーは思わず動揺し俯く。

「お前の事情は分かるけどな……」

 そう言ってすぐ平常を装い、再び薪割りを続けた。
 
 守護星に命を与えられるのは、星ビトの下腹部内部に存在する『奥宮』に精液を注ぐしか方法はない。
 だからこそ、この世界に一ヶ月しか留まれないウォラーレは、今すぐにでも精を貰い、地上にいる間できるだけ守護星の寿命を伸ばしておきたい……その理由も理解出来た。

 だが、ウクダーもウォラーレの素性に想いを馳せたのである。ウォラーレにとっての幸せとはなんだろうかと。
 
 守護星の為だけに精を貰うことが、彼の存在意義なのか。――いや、違うだろう。
 彼には心が存在し、彼の人生があって思い出があって、ウォラーレとして産まれて良かったと思える事が、彼の一番の幸せなのではないか。

 ではこの限られた時間、どうすればウォラーレとしての幸せを感じてもらえるか、ウクダーはいくつもの案を頭の中で思い浮かべていたのだった。

「ねぇぇ、いつになったらボクの相手してくれるの?」
「…………」

 やはりウォラーレは精が欲しいとせがんてきた。分かりきっていた事でもあるが、ウクダーは手を動かしながらどうやって切り出そうかタイミングを伺っていた。
 
「今は無理なんだ。今日は町の食堂や行商人に薪を持って行かないといけないからな」
「えぇ? そんなの後からだっていいじゃん!」
「そういうわけにはいかない。この薪は遥か北国の暖を取る為に使われる。命を繋ぐ為に薪を待っている人がいるんだ。少しでも早く届けてやりたいからな……」
「でもぉ。ボクだってここに少しの間しか居れないんだよ? ここにいる間、出来るだけいっぱい精を貰いたいのにぃぃ」

 ウォラーレの言葉に、ウクダーの斧を持つ手がピタリと止まった。ウクダーは薪を割っていた手を止め、窓辺で駄々を捏ねるウォラーレの前に立ちはだかった。

「あ、ウクダー! その気になってくれたの?」
「違う……!」

 パッと瞳を輝かす無垢な姿に対し、ウクダーの握る両拳に強く力が込められる。
 
「いいか、よく聞け? 交合というのは、ただ命の糧を貰うためにするんじゃない。快楽の為にするものでもない。愛し合う者同士だけが許される行為。だからこそ、気持ち良さも幸福感も何倍にも膨れ上がって命の交感が出来るんだ。これはとてもとても尊い行いなんだぞ?」
「……そんなの初めて言われた。守護星はそんなこと教えてくれなかったよ?」

 不貞腐れるウォラーレに、ウクダーは頭を抱えてため息を吐いた。

「交合というのは一種の麻薬だ。そのせいで快楽の為だけに大事な部分を曝け出す奴らも居る。しかしそれはな、自分がただの快楽の道具でしかないんだ。自分が道具でしかないなんて、嫌じゃないのか?」
「うーん……それは確かにイヤだけど……じゃあウクダーはボクの事どう思ってるの?」
「え……」

 ウクダーの思考は一瞬止まり、脳内で理想の答えを探し回った。

(ウォラーレが美しいから……なんて言ったら、それこそ野蛮人の常套句と同じじゃないか。俺の本心はお前と一つになってみたい……いや、それだと結局快楽の道具でしかないし、愛を育みたいと言ったって、彼は時間がなくて焦ってるんだぞ……じゃあなんと言うのが正解なんだ……)

 口を尖らせて見つめるウォラーレの視線が煌めき過ぎて、ウクダーは眩暈を起こしそうになった。それがかえって自身の動揺を招き、彼はぎこちなく口ごもって真っ直ぐ向けられる視線から目を逸らしてしまった。

「お、俺は……お前自身をもっと大切にしてほしい。精を貰えば守護星を長生きさせる事が出来るだろう。しかし、ウォラーレの気持ちは? 浅い関係のままで自分の心は満たされるのか?」
「心が満たされるってどういう事? ボクは夕べいっぱい気持ち良くなって満足したよ?」
「いや、そういう事じゃないんだ。お前が言っているのは情事が終われば切れてしまうことだろ? この世界には楽しい事がたくさんある。精を貰わなくても、心が満たされる事はたくさんあるんだ」
「う? うーん……」

 ウォラーレは腕を組んで渋い顔をしている。今の話を明らかに理解出来ていない風である。
 無理もない。ウォラーレは今まで殆ど守護星の中で生きてきたせいで、ウクダーの言いたい事がどんなものか想像すら難しい。

 経験の無いものに理解しろというのも酷な話かもしれない。ウクダーはなんとかこの気持ちを分かって欲しいと、考え抜いた一つの案を示してみた。

「なぁ。そこで考えたんだが、俺と一緒に薪を渡しに行かないか? ついでに街の青空市場に行こう。色んな物が売っていてウォラーレの好きな物が見つかるかもしれない。あとは花を大量に買って、一緒に花蜜を作るのも良いかもしれない。楽しい事や嬉しい事を知ると、この世界がもっと面白くなるぞ」
「え? で、でもボクは……」
「俺は長生きする事だけが幸せだとは思わない。いかにたくさん、心に沁みる思い出を残せるかが大事だと思う。ウォラーレには、そういう幸せを両手に抱え切れないぐらい知って欲しいんだ」

 ウクダーは何度も念を押し、心を込めてウォラーレに訴える。
 しかし、そんな熱い説明を聞いても、ウォラーレは未だ眉間の皺を解けていない。ウクダーはそんな可愛らしい少年の頭にポンと掌を置いて苦笑いを返した。

「まぁ考えるより体験した方が話が早いよな。悪いが急いで荷をまとめてくるから、その準備だけ待っていてくれないか」
「えっ? ちょ、待ってよ……」

 ウォラーレが理解しようとする間に、話がどんどん進んでいく。狼狽えて聞き直そうとしたのも虚しく、ウクダーは張り切って家の裏手へ行ってしまった。

「ボクはそんな事してる場合じゃないんだよ!?」

 ウォラーレは不安になってその後もウクダーを呼んだ。が、ウクダーがすぐに戻ってくる気配はない。
 
 一人部屋に取り残されてしまったウォラーレは、仕方なく先程の話が自分にとって必要な事なのか考えてみた。

(この世界がもっと面白くなる、どういう事なんだろ……)

 精液を得る以外に、大事な事などあるのだろうか。しかしそれはウォラーレにとって今、本当に欲しい物ではない。
 ウォラーレが欲しているのは、限られた時間でしか得られない『命の糧』なのである。

「ウクダーはボクと交合するのがイヤなのかな……そしたらボクも早く他の人を探さなきゃ……」

 森の中に落ちた所を助けてくれて、しかも暖かい家に入れてくれた。身体を綺麗に洗ってくれて気持ちよくさせてくれたし、少量ではあるが精も貰えた。
 
 ウクダーにはたくさん世話になって感謝しているが、一秒たりとも時間を無駄にしたくない。

「うん、やっぱボク行かなきゃ。精をくれる人を早く探さなきゃ……」

 ウォラーレは羽織ったままのガウンをもう一度包み直し、そっとその場を離れた。
 
 ウクダーは扉とは逆方向の家の裏口にいて直ぐには戻ってこない。ウォラーレが静かに扉へ手を掛けると、彼は少しだけ気まずく振り向いた。

「ちゃんとお礼が言えなくてごめんなさい……でも、ボクも急いでるんだもん……」

 そして勢いよく扉を開け、木漏れ日が降り注ぐ森の中へと飛び出して行ったのだった。




 
 ――それからウクダーが部屋に戻ってきたのは、およそ半刻後の事である。
 
 がらんとした屋内は生気が失われ、ベッドのシワと乱された掛け布だけがウォラーレの痕跡を残していた。

「――ウォラーレ? ウォラーレ! どこに行ったんだ!?」

 人の気配を無くした部屋はとても寂しいものだった。明るく無邪気な声が無くなり、虚しい静寂だけが部屋の中に影る。
 
 ウクダーは開け放たれていた扉を見て、家の周りを探し回った。しかしウォラーレの姿はもちろん、声も足跡も何も見つからない。

「そんな……どうして……」

 ウクダーは今一度、ウォラーレの境遇を思い出した。
 彼には時間がないのだ。約一ヶ月。その限られた時間の中、できる限り守護星に長生きして欲しいからと精を欲していた。そう考えれば、なぜウォラーレの姿が無いのか察しが着く。

「あいつは別の男を探して出て行ったのか……そんな事しなくてもいいのに!」

 ウクダーの胸の内が息詰まる程きつく締め付けられる。悪い男に捕まったり、道に迷って大怪我でもしたら、自分の責任であるのは明らかだ。
 
「ま、まだ遠くまで行っていないはずだ。今すぐ追えば……!」

 ウクダーは抱えていた薪を放り出して街道に続く方角を見渡した。

 しかしウクダーの脳内で、もう一人の自分が別の仮説を囁いてくる。

(――ウォラーレ自らが望んで家を飛び出したんだぞ。彼を見つけて引き戻そうとしたところで、素直に戻ってくると思うか?)

 その考えに至った瞬間、走り出そうとしていた身体がピタリと止まり、燃え上がった血の気が風に流され冷めていった。

「そうだ……俺が意気地のない男なばかりに。それを隠そうと自論をぶつけた。でも、あいつは、俺の本質を見抜いていたんだ……」

 自分の無力さを痛感し、全身の力が抜けていくようだった。見限られて当然だと思う一方、もっとウォラーレと一緒に居たかったと今更本音が湧き出してくる。
 では、ウォラーレの言う通りにしていれば理想の毎日を送れたのだろうか――しかし、遅かれ早かれ同じ結果を辿っていたに違いない。

(つまり俺は、あいつを助けるだけの存在……それだけだったという事だ……)

 たった半日足らずで元に戻っただけなのに、自分以外に誰も居ない家が凍てつくほど静かで虚しいものだったと突き付けてくる。
 
 ウクダーは放り出した薪を力無く集め始めた。
 その背中は、ウォラーレを背負った頼もしさを無くし、とても小さく見えて弱々しいものだった。
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