星の鳴る刻(全天オデュッセイア(星座88ヶ国)短編集)

星谷芽樂(井上詩楓)

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からす座

初めてのありがとう

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 クルヴ国の街の外れで、一人泥だらけになりながらうずくまる少年がいた。彼は全身泥まみれな上に、腕や脚には無数の痣が付けられている。そして少年の背中から伸びる黒い羽根は、羽軸とは逆方向に幾つも折れ曲がり、彼の周りには黒い風切り羽があちこちに散らばっていた。

 彼はサテュロスと呼ばれていた。
 サテュロスとは、大昔の神話で半人半獣の野蛮な妖魔として忌み嫌われている。少年も黒い羽を持って生まれた事で人々から忌避され、今は街の子供達に囲まれて散々虐められた後だった。

 サテュロスは子供達の気配が無くなるとゆっくり立ち上がり、水辺の方へヨロケながら歩いて行った。
 もう何度こんな事をされただろう。正直、痛みなど慣れてしまった。人々を惑わす悪魔だと言われ続け、自身もそう思うようになった。悪魔である自分は死んだ方が良いのだと、何度も心臓を貫こうとした。だが自身の守護星に阻まれ、いつも未遂に終わる。やがて彼は心を死なせる事で悲しみから解放され、ただ息をしてふらふらと歩く、生きる屍になっていった。

 水辺に着くと、そのまま入水して全身の泥を落としていった。髪にこびり付いた泥が塊になって川に流れていく。体を洗えば、無数の痣が全身に現れ始めた。

「キミ……! 酷いケガをしている。大丈夫?」

 サテュロスは突然の声に驚いて川辺を振り返った。少し離れた所に自分より少し年下な、白金の髪と真っ白な肌のそれこそ輝くような少年が佇んでいる。しかし、馴れ馴れしく話しかけてくる者には近づかない方がいい。それはサテュロスが経験した中で得た、生きる知恵でもあった。

「ねぇ、その羽って本物? 折れてて痛くないの?」
「…………」

 話しかけてくる少年は、一言喋る毎にサテュロスへ近づいてくる。しかしサテュロスは心を無にし、体に付いた泥を落とし続けた。
 
「わぁ……戦士達が使う背負う羽じゃなくて、本当に背中から生えてる。凄いね!」
「…………」
「でも、君の髪も羽もとても綺麗だ。黒色なんて初めて見た……」
「…………」
「ねぇ、早く手当しなきゃ……痣もいっぱいじゃないか……」
「――うるさいっ!!」

 そっと腕を取られた瞬間、サテュロスが反応して相手を振り飛ばしてしまった。強く振り払われた少年は川中に転び、地位の高そうな豪奢なローブがずぶ濡れになる。
 一瞬罪悪感が過ぎった。でも良いのだ。ズケズケと他人の懐に入り込もうとする方が悪い。サテュロスは相手の顔色を覗こうとしたが、またすぐ冷静を装って体を洗い始めた。

 その時、川辺の更に遠くの方で、大勢の大人達が誰かを探す声が聞こえた。皆は「アルキバ様!」と同じ名前を呼び続けている。するとその声に気付いたずぶ濡れの少年が血相を変えてサテュロスにしがみ付いてきた。

「助けて……その羽で、どこか遠くまで連れてって! ――お願い!!」

 その表情は蒼褪め、緊迫していた。どう見ても嘘や演技をしている様には見えない。サテュロスは先程の罪悪感を拭えず、少年の細い腰を咄嗟に抱えて背中に力を込めた。

「羽が折れてるから上手く飛べないぞ。怪我しても知らねぇからな」

 少年を抱えて黒い羽が二度、大きく羽ばたいた。その直後、二人の体が宙に上がり、低空飛行のまま森の中をすり抜けて行った。
 木々の合間を縫ってサテュロスは飛び続ける。時折小枝が羽に当たり、皮膚のあちこちを引っ掻いて行った。やはり羽が折れているせいか、高度は上がらず方位もままならない。サテュロスは少年に傷が付かないよう全身で庇いながら、根が蔓延る地面へ転がり落ちていった。

「……っつ」
「だ、大丈夫? ごめん……いきなり頼んで……」

 サテュロスは少年を庇い込んで更に痣を増やしてしまった。一方で心配そうに見つめる少年の顔や体に傷は見当たらない。サテュロスはその姿に安堵したのだが、相手の黄色い瞳には涙が溜まっていた。

「ごめん……でも、ありがとう」
「…………」

 ありがとうなんて、生まれて初めて言われた。黒い羽が役に立つ事などあるのか? サテュロスは初めての感情に目を丸くさせていた。

「あ、僕はアルキバ。僕の守護星は四等星なのに、大人の都合でもうすぐ王様にならなきゃいけないんだ……だからさっきも逃げ出してたところで……」

 まさかこの少年が次期国王であったとは、流石のサテュロスも驚きを隠せなかった。世間では新たな少年王の話題で持ちきりなのに、本人の表情は優れない。星ビト達の心の闇を掻い潜って来たサテュロスだ。きっとこの少年も闇の中を踠いているのだろう、そう直感した。

「あ、この森の草花は薬草になるんだ。今手当してあげるからね」
「あ? あぁ……」
 
 サテュロスは微かに、自分の境遇と似た仲間を見つけられたようで、少し嬉しくなった。
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