星の鳴る刻(全天オデュッセイア(星座88ヶ国)短編集)

星谷芽樂(井上詩楓)

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からす座

サテュロスの翼

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 サテュロス――それは大昔の神話に登場する、上半身が人、下半身が獣の妖魔の事を言う。サテュロスはとても好戦的で好色、人々を誘惑させる存在で、昔から人々に忌み嫌われる存在であった。

 ――やがて気の遠くなる時間が流れ、人は恒星から産まれる星ビトとなり、それぞれに恒星に因んだ名前を与えられた。その中に、今も忌避される『サテュロス』という名の男がいる。
 
「サテュロス! サテュロスはいるか!!」
 
 その名を呼んだのは、クルヴ国の王アルキバだった。若い青年王アルキバは、白金に輝く髪を靡かせ、王宮の大廊下を颯爽と渡り歩く。周りの侍従達がその名をお呼び下さいますなと腕を取るも、彼は構わず目的の姿を探し続けた。
 
「――お呼びでしょうか。陛下」
 
 目的の人物は頭上高い窓辺に居た。黒髪と黒い肩布を翻し、高所にもかかわらず王に向かって頭を下げる。
 普通なら見上げるほど高い窓にどうやって登れるのか。しかし、サテュロスならそれが出来る。彼はふわりと王の前に降り立つと、もう一度膝を付いて深く礼をした。
 
「相変わらず見事な登場だな」
「……異形の特権でございます。陛下」
 
 その言葉に、侍従達は忌々しい顔をして後退った。
 
「ところで、陛下。俺をお呼び下さったと言う事は、いつもの事をご所望でしょうか」
「あぁ、そうだ。先程まで大事な会議が続いて息が詰まりそうなんだ。お前のその『特権』で私を癒してくれないか」
「……御意」
 
 サテュロスは立ち上がるのと同時に王の身体を抱き上げた。そして背中に力を込めれば黒い肩布から大きな黒羽が伸び始め、大廊下の壁を掠るほど大きな翼となった。
 
「陛下、しっかりおつかまり下さい」
「あぁ、分かった」
 
 周りで飛び交う忠告の声を、羽ばたきの羽音で掻き消した。大廊下は風のうねりで幾つもの竜巻を作り上げ、二人の体は廊下の先へと一気に飛び抜けて行った。
 
「あははは! 流石だサテュロス!」
「あまり手足を伸ばさぬよう。壁にぶつかってしまいます」
「ぶつかったっていいさ。少し怪我する方が丁度いい」
「…………」
 
 アルキバ王はしばしば身を投げ出すような言動をする。なぜ民を束ねる王が自身を痛め付けようとするのか。サテュロスには痛々しい胸の内が心に響いた。
 
 二人は廊下や柱の合間を縫い、外に繋がる中庭へ勢いよく飛んだ。そこから天空へと高度を上げ、王宮の景色はみるみる黒い豆粒と化す。
 
「この辺で如何でしょう、陛下」
「うん、地上と天空の間。静寂としていて、とてもいい」
 
 上は闇に輝く星達が浮かび、下を向けば陽の光に照らされる若草色の大草原が眼下に広がる。自分達から見る地平線は大気の境目にあたり、ぼんやりと蒼い層が幻想的な風景を彩っていた。
 この風景を見つめるアルキバ王に、一粒の涙が伝った。彼は大気を真っ直ぐ見つめているが、一方で悲しみの色を映し出している。サテュロスはその眼差しを見守り、そっと抱き締める腕に力を込めた。
 
「……また、悩んでおられたのですね」
「サテュロス……」
 
 振り返る瞳が余計に潤んで、辛い表情をしていた。気持ちに負けてはいけないと小さく震えながら、しかしその葛藤で声までも震える。
 
「私の守護星は平民と同じ四等星であるのに、何故王などという大事な役割をしているのだろう」
 
 この世界は国の中で最輝星を持つ星ビトが王になる。クルヴ国の最輝星は、二等星の守護星を持つ騎士団長ギェナーだ。本来なら彼が王になる筈が、今は五番目に明るい星を持つアルキバの役目になっていた。
 
「陛下は爆発型変光星の星をお持ちです。それに、先代先々代は確かにこの国の最輝星でありました。ですので、その残骸からお生まれになった貴方様は……」
「とんだ出来損ないだな」
「――これは、大変な失礼をっ!」
「いや、いいんだ。事実だから……」
 
 王が自暴自棄になる理由はこれだ。騎士団長や侍従長達の立派な星の光に埋もれる不甲斐なさに、彼は存在価値すらも見出せずにいる。
 
 だがサテュロスの想いは違った。彼も世間の皆々から嫌われ、この黒い羽を持つことに怒りすら感じていた。それを只一人、アルキバ王だけは両手を広げ、この忌々しい黒羽を必要としてくれる。これほど心の広いアルキバの他に、王の器に足る星ビトがいるだろうか。
 
「俺は陛下が王で良かったと思います」
「え? なぜ……」
 
 首を傾げるアルキバ王の眼差しが、サテュロスの魂を鷲掴みにした。だが、それは今回が初めてでは無い。この切なる心を熱い想いに換え、サテュロスはアルキバ王の黄水晶の虹彩を愛おしく見つめた。
 
「俺は……天空中の星ビトが貴方の敵になっても、必ずこの羽で御護りする覚悟です」
 
 その瞬間、蒼い地平線は温かみを増し、様相を刻一刻と変え始めていた。橙の光が辺りを包み込み、彼等は二人だけの世界に暫し酔いしれた。
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