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変調の兆し
一
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そうしてまた幾年か時が流れ。
すばるのどこか幼さの残る愛らしい姿は美しさへと変わり、立ち居振る舞いから聡明ささえも滲み出る青年へと成長を遂げる。すばるはこの年十八になった。
今この屋敷にいるのはすばると皓月だけだ。十月ほど前に篝に成体への変化の兆しがあり、蛍と二人生まれ故郷である火の神の里へと戻っている。成体への変化は通常一年程度と言われており、今は溶岩のゆりかごでその時を待っているのだと蛍からの手紙が来ていた。
二人がいない屋敷はとても静かだ。参拝者たちを迎えるのは人出が減って大変だったが、二人だけで過ごす日々も穏やかでそれでいて楽しかった。それに、九朗は今も変わらず自分の生活の合間にすばるの様子を見にきてくれている。
しかしそんな生活の中お互いが一つ不満を挙げるならば、二人の中にある贄の神子の存在意義についてだった。
「すばる、お前はまた安請け合いして傷を増やしたな」
二人並んで昼餉の片付けをしていた時のことだ。着物の袖を捲って皿を洗っていたすばるの腕に自分の知らない包帯が巻かれていることに気付いて皓月は眉を顰めた。
「あっ、見つかっちゃった。まあいいじゃないですか。このくらいかすり傷ですよ。すぐ治ります」
自分でも忘れていたのだろう。一瞬慌てた表情を見せたすばるだったが、すぐにひらひら手を振ってへらりと笑ってみせた。
すばるの右腕に巻かれた包帯は神子の務め勤めでできた傷ではない。贄の神子の勤めは未だ皓月が文で選別していた。すばるはいつの頃からか皓月の目を盗んでは文を読み、勝手にその願いに応えるようになっていたのだ。
「この程度で人一人の命数が伸びるんですよ。いいことじゃないですか」
「全くお前という奴は」
全く悪びれる様子のないすばるに長い溜息が漏れる。長い付き合いである皓月への理解度は成長する程深まっており、どこへ文を隠しても見つけられ皓月の手には負えない。町へ遊びに行き、傷を作って帰ってくることもあった。そうやってすばるは以前にも増して生傷の絶えない生活を送るようになっていたのだ。
「良くない。私はお前が幼い頃から何度も贄の神子の役割を教えた筈だ。何故理解してくれない?」
「理解してますよもちろん。理解した上で僕はこうしているんです」
満更でもない表情で包帯をそろりと撫でるすばるに皓月の表情は険しくなる一方だ。だがすばるはそれを意に介さない。
贄の神子は堕ちた神と妖が起こす災いから人を守るためにある。それ以外の、天災や人災に手を出すべきではない。皓月は再三再四すばるに、それこそ耳にタコができる位言い続けていた。だがすばるにその言葉は本当の意味では届いてはいなかったのだ。
「皓月には、その、心配をかけているとは思っています」
へなりと頼りなさげに眉を下げ、昼餉の膳を拭いている皓月の顔色を伺う。悪いと思っているのは本心なのだ。ただ自分でもやめられないだけで。すばるは自己犠牲という贄の神子の本能のようなものに抗えないでいた。
「そう思うなら自重してはくれまいか。日に日に傷の増えて行くお前を見るのは正直心苦しい」
誤魔化すかのように返される言葉に皓月は更に眉間の皺を深くする。湯呑みを洗っていたすばるの腕をそっと掴んで包帯の上をそろりと撫でた。この包帯の下には、名も知らぬ誰かの災いの代償がある。
「ごめんなさい皓月。でもこれは僕自身が望むこと。自分でもどうしようもないんです。苦しいと言う人がいたら、どうしても手を伸ばしたくなっちゃう。僕にできることをやらなくちゃって思ってしまうんです」
癒すように優しく傷を撫でる皓月にすばるは微笑む。その、心から言っているであろう言葉に皓月は苦い顔をするばかりだ。
「お前の気持ちは私とて理解しているつもりだ。お前のその気持ちは誤りではない。だが私は、お前が不必要に傷つく様など見たくないのだ」
そう言って皓月がすばるの腕に顔を寄せてきた。
「あっ、皓月……!」
びくりと跳ねた体を抱き寄せて伸ばした舌が包帯の上を這う。少しでもすばるの傷が早く癒えるように、皓月は己の心を押し殺して包帯を己の唾液で湿らせていく。
「ふっ、あはは!もう、やめてくださいって皓月!」
「嫌だ」
恥ずかしさとくすぐったさにすばるは身を捩るが皓月はそれを許さない。尾と腕で逃げられないように身体を包んで更に傷を舐めた。
「幾らか早く治癒する。耐えろ」
「そんなこと、言われても……!んぎぎ全然動かない……!」
誰かの災いの代償である傷はそう簡単に癒せるものではない。神の力であってもほんの少し治りを早くするのが精一杯だ。猫吸いを全力で拒否する猫のごとく体を仰け反られても、それでも皓月はすばるの傷を舐めた。大人しくしていろと言いたげに包帯の上から啄むように音を立てて口づけて、やんわりと歯を立てる。
「んっ」
濡れた包帯の隙間から舌を差し込み、傷口を直接舐めるとすばるはぴくりと肩を震わせる。
皓月の唾液には痛覚を麻痺させる力もある。それでも痛むのかと上目で表情を確認すると、すばるはプルプル震えながら頬を染めて目を閉じていた。
「ふ……」
もう一度皮膚を舐め上げるとすばるから鼻から抜ける吐息が漏れる。その甘さを含んだ切なげな表情に激しい劣情が皓月の背を駆け抜けた。
舐めるだけでは足りない。もっと彼がほしい。急激な飢えと渇きに皓月は舌なめずりをする。
「こうげつ」
「すばる……」
べろりと傷を舐め、皓月は顔をすばるの耳元に寄せて名前を呼んだ。
はっ、と熱い吐息が耳にかかってぴくんと体が跳ねる。すばるを呼ぶ声には抑えきれない欲望が滲み出ていて、とろりと甘く響く声に体の芯に熱が灯る。いつもと違う色気を増した声音に腰が抜けそうだ。
もうどうにでもして。そう思って皓月の背に腕を回そうとして。
「ちょ、っと待った!待ってください皓月!」
「いっ……!」
くたりと皓月に身を任せていたすばるは腰を強く引き寄せられてはっとした。流されて背に回しかけた手でその大きな耳を引っ張り上げ、痛みでわずかに緩んだ腕から逃れる。
「ごめんなさい皓月!僕暫く部屋に籠ります!」
「なっ、すばる!」
真っ赤になった顔を手で覆い隠してすばるは走り去っていく。慌てた皓月が後ろで呼び止めていたが、それどころではない彼の耳に届かなかった。
すばるのどこか幼さの残る愛らしい姿は美しさへと変わり、立ち居振る舞いから聡明ささえも滲み出る青年へと成長を遂げる。すばるはこの年十八になった。
今この屋敷にいるのはすばると皓月だけだ。十月ほど前に篝に成体への変化の兆しがあり、蛍と二人生まれ故郷である火の神の里へと戻っている。成体への変化は通常一年程度と言われており、今は溶岩のゆりかごでその時を待っているのだと蛍からの手紙が来ていた。
二人がいない屋敷はとても静かだ。参拝者たちを迎えるのは人出が減って大変だったが、二人だけで過ごす日々も穏やかでそれでいて楽しかった。それに、九朗は今も変わらず自分の生活の合間にすばるの様子を見にきてくれている。
しかしそんな生活の中お互いが一つ不満を挙げるならば、二人の中にある贄の神子の存在意義についてだった。
「すばる、お前はまた安請け合いして傷を増やしたな」
二人並んで昼餉の片付けをしていた時のことだ。着物の袖を捲って皿を洗っていたすばるの腕に自分の知らない包帯が巻かれていることに気付いて皓月は眉を顰めた。
「あっ、見つかっちゃった。まあいいじゃないですか。このくらいかすり傷ですよ。すぐ治ります」
自分でも忘れていたのだろう。一瞬慌てた表情を見せたすばるだったが、すぐにひらひら手を振ってへらりと笑ってみせた。
すばるの右腕に巻かれた包帯は神子の務め勤めでできた傷ではない。贄の神子の勤めは未だ皓月が文で選別していた。すばるはいつの頃からか皓月の目を盗んでは文を読み、勝手にその願いに応えるようになっていたのだ。
「この程度で人一人の命数が伸びるんですよ。いいことじゃないですか」
「全くお前という奴は」
全く悪びれる様子のないすばるに長い溜息が漏れる。長い付き合いである皓月への理解度は成長する程深まっており、どこへ文を隠しても見つけられ皓月の手には負えない。町へ遊びに行き、傷を作って帰ってくることもあった。そうやってすばるは以前にも増して生傷の絶えない生活を送るようになっていたのだ。
「良くない。私はお前が幼い頃から何度も贄の神子の役割を教えた筈だ。何故理解してくれない?」
「理解してますよもちろん。理解した上で僕はこうしているんです」
満更でもない表情で包帯をそろりと撫でるすばるに皓月の表情は険しくなる一方だ。だがすばるはそれを意に介さない。
贄の神子は堕ちた神と妖が起こす災いから人を守るためにある。それ以外の、天災や人災に手を出すべきではない。皓月は再三再四すばるに、それこそ耳にタコができる位言い続けていた。だがすばるにその言葉は本当の意味では届いてはいなかったのだ。
「皓月には、その、心配をかけているとは思っています」
へなりと頼りなさげに眉を下げ、昼餉の膳を拭いている皓月の顔色を伺う。悪いと思っているのは本心なのだ。ただ自分でもやめられないだけで。すばるは自己犠牲という贄の神子の本能のようなものに抗えないでいた。
「そう思うなら自重してはくれまいか。日に日に傷の増えて行くお前を見るのは正直心苦しい」
誤魔化すかのように返される言葉に皓月は更に眉間の皺を深くする。湯呑みを洗っていたすばるの腕をそっと掴んで包帯の上をそろりと撫でた。この包帯の下には、名も知らぬ誰かの災いの代償がある。
「ごめんなさい皓月。でもこれは僕自身が望むこと。自分でもどうしようもないんです。苦しいと言う人がいたら、どうしても手を伸ばしたくなっちゃう。僕にできることをやらなくちゃって思ってしまうんです」
癒すように優しく傷を撫でる皓月にすばるは微笑む。その、心から言っているであろう言葉に皓月は苦い顔をするばかりだ。
「お前の気持ちは私とて理解しているつもりだ。お前のその気持ちは誤りではない。だが私は、お前が不必要に傷つく様など見たくないのだ」
そう言って皓月がすばるの腕に顔を寄せてきた。
「あっ、皓月……!」
びくりと跳ねた体を抱き寄せて伸ばした舌が包帯の上を這う。少しでもすばるの傷が早く癒えるように、皓月は己の心を押し殺して包帯を己の唾液で湿らせていく。
「ふっ、あはは!もう、やめてくださいって皓月!」
「嫌だ」
恥ずかしさとくすぐったさにすばるは身を捩るが皓月はそれを許さない。尾と腕で逃げられないように身体を包んで更に傷を舐めた。
「幾らか早く治癒する。耐えろ」
「そんなこと、言われても……!んぎぎ全然動かない……!」
誰かの災いの代償である傷はそう簡単に癒せるものではない。神の力であってもほんの少し治りを早くするのが精一杯だ。猫吸いを全力で拒否する猫のごとく体を仰け反られても、それでも皓月はすばるの傷を舐めた。大人しくしていろと言いたげに包帯の上から啄むように音を立てて口づけて、やんわりと歯を立てる。
「んっ」
濡れた包帯の隙間から舌を差し込み、傷口を直接舐めるとすばるはぴくりと肩を震わせる。
皓月の唾液には痛覚を麻痺させる力もある。それでも痛むのかと上目で表情を確認すると、すばるはプルプル震えながら頬を染めて目を閉じていた。
「ふ……」
もう一度皮膚を舐め上げるとすばるから鼻から抜ける吐息が漏れる。その甘さを含んだ切なげな表情に激しい劣情が皓月の背を駆け抜けた。
舐めるだけでは足りない。もっと彼がほしい。急激な飢えと渇きに皓月は舌なめずりをする。
「こうげつ」
「すばる……」
べろりと傷を舐め、皓月は顔をすばるの耳元に寄せて名前を呼んだ。
はっ、と熱い吐息が耳にかかってぴくんと体が跳ねる。すばるを呼ぶ声には抑えきれない欲望が滲み出ていて、とろりと甘く響く声に体の芯に熱が灯る。いつもと違う色気を増した声音に腰が抜けそうだ。
もうどうにでもして。そう思って皓月の背に腕を回そうとして。
「ちょ、っと待った!待ってください皓月!」
「いっ……!」
くたりと皓月に身を任せていたすばるは腰を強く引き寄せられてはっとした。流されて背に回しかけた手でその大きな耳を引っ張り上げ、痛みでわずかに緩んだ腕から逃れる。
「ごめんなさい皓月!僕暫く部屋に籠ります!」
「なっ、すばる!」
真っ赤になった顔を手で覆い隠してすばるは走り去っていく。慌てた皓月が後ろで呼び止めていたが、それどころではない彼の耳に届かなかった。
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