贄の神子と月明かりの神様

木島

文字の大きさ
上 下
61 / 71
変調の兆し

しおりを挟む
 そうしてまた幾年か時が流れ。
 すばるのどこか幼さの残る愛らしい姿は美しさへと変わり、立ち居振る舞いから聡明ささえも滲み出る青年へと成長を遂げる。すばるはこの年十八になった。
 今この屋敷にいるのはすばると皓月だけだ。十月ほど前に篝に成体への変化の兆しがあり、蛍と二人生まれ故郷である火の神の里へと戻っている。成体への変化は通常一年程度と言われており、今は溶岩のゆりかごでその時を待っているのだと蛍からの手紙が来ていた。
 二人がいない屋敷はとても静かだ。参拝者たちを迎えるのは人出が減って大変だったが、二人だけで過ごす日々も穏やかでそれでいて楽しかった。それに、九朗は今も変わらず自分の生活の合間にすばるの様子を見にきてくれている。

 しかしそんな生活の中お互いが一つ不満を挙げるならば、二人の中にある贄の神子の存在意義についてだった。

「すばる、お前はまた安請け合いして傷を増やしたな」

 二人並んで昼餉の片付けをしていた時のことだ。着物の袖を捲って皿を洗っていたすばるの腕に自分の知らない包帯が巻かれていることに気付いて皓月は眉を顰めた。

「あっ、見つかっちゃった。まあいいじゃないですか。このくらいかすり傷ですよ。すぐ治ります」

 自分でも忘れていたのだろう。一瞬慌てた表情を見せたすばるだったが、すぐにひらひら手を振ってへらりと笑ってみせた。
 すばるの右腕に巻かれた包帯は神子の務め勤めでできた傷ではない。贄の神子の勤めは未だ皓月が文で選別していた。すばるはいつの頃からか皓月の目を盗んでは文を読み、勝手にその願いに応えるようになっていたのだ。

「この程度で人一人の命数が伸びるんですよ。いいことじゃないですか」
「全くお前という奴は」

 全く悪びれる様子のないすばるに長い溜息が漏れる。長い付き合いである皓月への理解度は成長する程深まっており、どこへ文を隠しても見つけられ皓月の手には負えない。町へ遊びに行き、傷を作って帰ってくることもあった。そうやってすばるは以前にも増して生傷の絶えない生活を送るようになっていたのだ。

「良くない。私はお前が幼い頃から何度も贄の神子の役割を教えた筈だ。何故理解してくれない?」
「理解してますよもちろん。理解した上で僕はこうしているんです」

 満更でもない表情で包帯をそろりと撫でるすばるに皓月の表情は険しくなる一方だ。だがすばるはそれを意に介さない。
 贄の神子は堕ちた神と妖が起こす災いから人を守るためにある。それ以外の、天災や人災に手を出すべきではない。皓月は再三再四すばるに、それこそ耳にタコができる位言い続けていた。だがすばるにその言葉は本当の意味では届いてはいなかったのだ。

「皓月には、その、心配をかけているとは思っています」

 へなりと頼りなさげに眉を下げ、昼餉の膳を拭いている皓月の顔色を伺う。悪いと思っているのは本心なのだ。ただ自分でもやめられないだけで。すばるは自己犠牲という贄の神子の本能のようなものに抗えないでいた。

「そう思うなら自重してはくれまいか。日に日に傷の増えて行くお前を見るのは正直心苦しい」

 誤魔化すかのように返される言葉に皓月は更に眉間の皺を深くする。湯呑みを洗っていたすばるの腕をそっと掴んで包帯の上をそろりと撫でた。この包帯の下には、名も知らぬ誰かの災いの代償がある。

「ごめんなさい皓月。でもこれは僕自身が望むこと。自分でもどうしようもないんです。苦しいと言う人がいたら、どうしても手を伸ばしたくなっちゃう。僕にできることをやらなくちゃって思ってしまうんです」

 癒すように優しく傷を撫でる皓月にすばるは微笑む。その、心から言っているであろう言葉に皓月は苦い顔をするばかりだ。

「お前の気持ちは私とて理解しているつもりだ。お前のその気持ちは誤りではない。だが私は、お前が不必要に傷つく様など見たくないのだ」

 そう言って皓月がすばるの腕に顔を寄せてきた。

「あっ、皓月……!」

 びくりと跳ねた体を抱き寄せて伸ばした舌が包帯の上を這う。少しでもすばるの傷が早く癒えるように、皓月は己の心を押し殺して包帯を己の唾液で湿らせていく。

「ふっ、あはは!もう、やめてくださいって皓月!」
「嫌だ」

 恥ずかしさとくすぐったさにすばるは身を捩るが皓月はそれを許さない。尾と腕で逃げられないように身体を包んで更に傷を舐めた。

「幾らか早く治癒する。耐えろ」
「そんなこと、言われても……!んぎぎ全然動かない……!」

 誰かの災いの代償である傷はそう簡単に癒せるものではない。神の力であってもほんの少し治りを早くするのが精一杯だ。猫吸いを全力で拒否する猫のごとく体を仰け反られても、それでも皓月はすばるの傷を舐めた。大人しくしていろと言いたげに包帯の上から啄むように音を立てて口づけて、やんわりと歯を立てる。

「んっ」

 濡れた包帯の隙間から舌を差し込み、傷口を直接舐めるとすばるはぴくりと肩を震わせる。
 皓月の唾液には痛覚を麻痺させる力もある。それでも痛むのかと上目で表情を確認すると、すばるはプルプル震えながら頬を染めて目を閉じていた。

「ふ……」

 もう一度皮膚を舐め上げるとすばるから鼻から抜ける吐息が漏れる。その甘さを含んだ切なげな表情に激しい劣情が皓月の背を駆け抜けた。
 舐めるだけでは足りない。もっと彼がほしい。急激な飢えと渇きに皓月は舌なめずりをする。

「こうげつ」
「すばる……」

 べろりと傷を舐め、皓月は顔をすばるの耳元に寄せて名前を呼んだ。
 はっ、と熱い吐息が耳にかかってぴくんと体が跳ねる。すばるを呼ぶ声には抑えきれない欲望が滲み出ていて、とろりと甘く響く声に体の芯に熱が灯る。いつもと違う色気を増した声音に腰が抜けそうだ。

 もうどうにでもして。そう思って皓月の背に腕を回そうとして。

「ちょ、っと待った!待ってください皓月!」
「いっ……!」

 くたりと皓月に身を任せていたすばるは腰を強く引き寄せられてはっとした。流されて背に回しかけた手でその大きな耳を引っ張り上げ、痛みでわずかに緩んだ腕から逃れる。

「ごめんなさい皓月!僕暫く部屋に籠ります!」
「なっ、すばる!」

 真っ赤になった顔を手で覆い隠してすばるは走り去っていく。慌てた皓月が後ろで呼び止めていたが、それどころではない彼の耳に届かなかった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

社畜だけど異世界では推し騎士の伴侶になってます⁈

めがねあざらし
BL
気がつくと、そこはゲーム『クレセント・ナイツ』の世界だった。 しかも俺は、推しキャラ・レイ=エヴァンスの“伴侶”になっていて……⁈ 記憶喪失の俺に課されたのは、彼と共に“世界を救う鍵”として戦う使命。 しかし、レイとの誓いに隠された真実や、迫りくる敵の陰謀が俺たちを追い詰める――。 異世界で見つけた愛〜推し騎士との奇跡の絆! 推しとの距離が近すぎる、命懸けの異世界ラブファンタジー、ここに開幕!

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】もふもふ獣人転生

  *  
BL
白い耳としっぽのもふもふ獣人に生まれ、強制労働で死にそうなところを助けてくれたのは、最愛の推しでした。 ちっちゃなもふもふ獣人と、攻略対象の凛々しい少年の、両片思い? な、いちゃらぶもふもふなお話です。 本編完結しました! おまけをちょこちょこ更新しています。 第12回BL大賞、奨励賞をいただきました、読んでくださった方、応援してくださった方、投票してくださった方のおかげです、ほんとうにありがとうございました!

職場の秘密

あみち
BL
ある上司と部下の愛のお話。

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

処理中です...