贄の神子と月明かりの神様

木島

文字の大きさ
上 下
52 / 71
苛むもの

しおりを挟む
 九朗は庶民の家に生まれ、祖父母と両親と妹がいる。生活は豊かではないが食うに困るほどでもなく、読み書き程度の教育も受けさせてもらった。細工職人になったのも自ら弟子入りを志願したもので、才能もあったのか若手だが一定の固定客が付いている。それなりに遊んで、友人もいるし恋人ができたことも何度かある。そろそろ結婚をして家庭を持ってもいい年頃だ。
 九朗のように育った人間は数多くいるだろう。ごく一般的な生活。普通。平凡。大多数の人間が思う『当たり前』の人生。大きな波風が立つわけではないけれど、穏やかな幸福がある日々。

 そんな環境で暮らしてきた九朗にとって、常に他人のために痛みと苦労を背負うすばるの姿は見ていられないものだった。

「痛くは、ねえのか?」
「痛くはないんですよ?でも感覚が鈍くなっているので、あちこちぶつけないように気をつけないとダメなんです」

 柱に背を預けて前に投げ出した足を撫でながら言うすばる。その口ぶりからこれが初めてではないことが伺い知れた。すばるが感触の判然としない足から手を離して顔を上げると、見えるのは悲しげな九朗の顔。

「九朗……そんな顔しないでくださいよ」
「どんな顔だよ」
「九朗の方が痛そうな顔してる」

 自覚のないまま顔を歪めている九朗に苦笑する。労わるように軽く九朗の膝を叩くと九朗の表情は更に歪んだ。
 すばるの背中と柱の間には厚手の布が挟まれていて、手の届く場所に水差しと湯のみに茶菓子、書物と呼び鈴が置いてある。自力で移動できないすばるのために皓月達が用意したものだ。
 背中の傷を負ってからひと月足らずでこの状況。それを当然のことと受け入れているすばると皓月達。九朗にとっては異常なことだったが、すばる達にとってこれは日常の一部だった。

「どうしてそんな平気な顔していられんだよ……お前は痛みを感じねえ身代わり人形とは違う。痛くて苦しくて、嫌になることだってあるんだろ?幾ら力があるからって、こんなになるまで頑張ることねえじゃねえか」

 溢れそうな激情を耐えるように歪んだ九朗の視線はすばるの背中から移動して投げ出された足に向けられている。前回皓月に窘められたにも拘らず、受け流すことができなかった九朗は結局また似たようなことを言ってしまった。
 そしてそれに対するすばるの返答も以前と大きく変わらないものだ。

「だって、穢れ神や妖がもたらす災厄は普通の人がどうこうできるものじゃありませんもん。助ける力があるなら助けてあげないと」
「そんなもん……他人様を苦しめてまで災難から逃げようとするなんて、わけわかんねえ」
「九朗、急にどうしたんですか?今までそんなこと言わなかったじゃないですか」

 九朗の急な悪態に戸惑い、驚いた様子でその顔を覗き込む。そこにはいつものような優しげな笑顔はなかった。くしゃりと顔を歪めて今にも泣きだしてしまいそうだ。

「ああ、今までの俺は馬鹿だった」
「馬鹿って」
「お前に泣き叫ぶほど辛いことを押し付けて、今まで知らん振りしてたなんて馬鹿でしかねえだろ」
「あ……!」

 髪を掻き毟るようにして告げる言葉にすばるは気付く。今も背中に残る傷と隠していたはずの醜態を九朗に見られていたのだと。

「あの、大したことなかったんですよ?!ちょっと、ちょっとだけいつもより痛くって泣いちゃったりしましたけど本当全然気にしないでほしいっていうかもうなんで見たんですか?!」

 両手をばたばたと降りながら良い訳にもならない良い訳を言い、最終的に怒りだしたすばる。子供じみた仕草は深刻な顔をしている九朗と正反対だ。取る行動に二人の認識の差が如実に表れていた。
 九朗は己の不明を恥じ、その在り様に疑問を抱きつつも向き合おうとしている。対するすばるはまるで普段と変わりがない。九朗が気に病むことは何一つないと本気で思っている。

「本気でそう思ってるのか?大したことないって」
「あい、僕は僕のできることをしているだけ。痛いことも不自由な思いも、承知の上でここにいます」

 顔を顰めたままの九朗に問われれば素直に是と答えるすばる。迷いのない答え。平行線を辿る問答のもどかしさを抑えるように九朗はぐしゃぐしゃと髪を掻き回した。
 そして肺の中の空気を出し尽くすような大きな溜息を吐く。

「俺には……わかんねえな。これは俺がただの人間だからか?すばる、お前なんでそこまでできるんだ」

 置かれた環境が違い過ぎてわかりあうことはできないのかもしれない。それでも自分自身が納得できる答えを欲して九朗はもう一度尋ねた。
 なぜ、と。

「だって、僕には力があるから。救う力があるなら、手を伸ばさないと。それが僕に与えられた役割で、僕が生きる価値でしょう?」

 けれど得られた答えは、結局彼に理解できるものではなかったのだ。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

今世はメシウマ召喚獣

片里 狛
BL
オーバーワークが原因でうっかり命を落としたはずの最上春伊25歳。召喚獣として呼び出された世界で、娼館の料理人として働くことになって!?的なBL小説です。 最終的に溺愛系娼館主人様×全般的にふつーの日本人青年。 ※女の子もゴリゴリ出てきます。 ※設定ふんわりとしか考えてないので穴があってもスルーしてください。お約束等には疎いので優しい気持ちで読んでくださると幸い。 ※誤字脱字の報告は不要です。いつか直したい。 ※なるべくさくさく更新したい。

【完結】泡の消えゆく、その先に。〜人魚の恋のはなし〜

N2O
BL
人間×人魚の、恋の話。 表紙絵 ⇨ 元素🪦 様 X(@10loveeeyy) ※独自設定です ※◎は視点が変わります(俯瞰、攻め視点etc)

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する

あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。 領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。 *** 王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。 ・ハピエン ・CP左右固定(リバありません) ・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません) です。 べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。 *** 2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…

まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。 5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。 相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。 一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。 唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。 それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。 そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。 そこへ社会人となっていた澄と再会する。 果たして5年越しの恋は、動き出すのか? 表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

【完結】鳳凰抱鳳雛 ~鳳凰は鳳雛を抱く~

銀タ篇
BL
ちょっと意地悪なスパダリ攻め×やんちゃ受け ◎愛重めの攻めと、強がりやんちゃ受けの二人が幾多の苦難を経て本当の幸せを掴み取る、なんちゃって仙侠ファンタジー。 ◎本編完結済。番外編を不定期公開中。 ひょんなことから門派を追放されてしまった若き掌門の煬鳳(ヤンフォン)はご近所門派の青年、凰黎(ホワンリィ)に助けられたことで、あれよという間にライバル同士の関係から相思相愛に発展。 しかし二人きりの甘い日々は長く続かず、少々厄介な問題を解決するために二人は旅に出ることに。 ※ルビが多いので文字数表示が増えてますがルビなしだと本編全部で67万字くらいになります。 ※短編二つ「門派を追放されたらライバルに溺愛されました。」を加筆修正して、続編を追加したものです。 ※短編段階で既に恋人同士になるので、その後は頻繁にイチャこらします。喧嘩はしません。 ※にわかのなんちゃって仙侠もどきなので、なにとぞなにとぞ笑って許してください。 ※謎と伏線は意図して残すもの以外ほぼ回収します。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...