贄の神子と月明かりの神様

木島

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広がる世界

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 その翌日。

「と言うわけで、お忍びで町へ行きたいと思います」
「どういうわけだ」

 まずは結論から早速すばるは皓月達に訴えた。

「僕ももう成人、大人です。そろそろ神域に閉じこもってばかりではなく、贄の神子として僕が守るべき人々の営みをこの目で見て正しく知りたいのです」

 九朗と接することでもっと人を知りたくなった。それにこれは好奇心だけでなく、彼らの生活を支える者として得るべき知識だと訴える。
 しかしそれを聞いた皓月の反応は芳しくない。

「そんなもの、ここにいたってできるだろう。九朗と話をするだけで十分だ」
「いいえ、それでは駄目です。僕はもっと多くの人に僕を神子として扱うのではなく普通の人間として接してもらいたいんです」

 ぐっと顔を顰めた皓月は首を縦には振らない。すばるの方も簡単に皓月が許可を出すはずがないとわかっていたので、この程度で引き下がる気は毛頭なかった。

「もっと広い視野を持ちたいのです。他ならぬ僕自身のために」

 すばるは正座をして真剣な眼差しで皓月を見つめる。ただの思い付きで言っているわけではないことを知ってほしかったし、できれば承諾してほしい。熱意の籠った夜空の瞳に見つめられて皓月は戸惑うようにぐっと息を詰めた。

「案内は九朗がしてくれます。一人で行くつもりはありません。それくらいのことはわかっています」
「しかし……」

 共連れるのが九朗というのも皓月は気に食わない。が、流石にそれを口にするのは憚られて歯切れの悪い言葉を絞り出す。

「遊びに行くくらいいいんじゃないっすか?神子さんだっていつまでも子供じゃないんすから」
「心配ならわれもついてまいりますよ。兄妹とでも言えば町でも通りましょう」
「蛍、篝ちゃん!」

 茶菓子を摘まみながら様子を見ていた火の神の眷属たちはすばるの後押しをした。思わぬ援護にすばるが嬉しげな声を上げる。逆に皓月は旗色の悪さを察して苦虫を噛み潰したような表情だ。三者三様に見つめられて非常に悔しげに口を開いた。

「ならば私がついて行く。それなら許可しよう」
「いやいやそう言うことじゃないっしょ。保護者同伴じゃあ意味ないんすよ」
「皓月殿、これは子離れする良い機会です。一度離れて見守ることも覚えてはいかがか」
「そういう問題ではない」

 すばるが自立への第一歩を踏み出そうとしているのだ。止めるべきではないと主張する二人に皓月は首を振る。皓月には皓月なりにすばるから目を離したくない確固とした理由があった。ただ九朗との外出を阻止したいわけではない。

「ここへ訪れ、すばるの顔を見た者は少なくない。例え身分を隠したとてどこで知れるかもわからんだろう。贄の力を知られてしまえば人間たちのことだ、すばるに群がり分不相応な願いを訴えるに決まっている。そうしてすばる自身も軽々にその訴えを聴いてしまうだろう。収拾のつかない事態になったらどうするつもりだ?私はすばるの守護者としてそのような事態を回避する義務がある」
「だからきちんと目立たない格好をして」
「万一と言うことがある」
「めっちゃ必死っすね」

 身分が知られる危険性を語る皓月の勢いに蛍は若干引き気味に笑う。皓月の心配も確かにわかるが、それではいつまで経ってもすばるはどこへも行くことができない。それは少し哀れな気がして、皓月に同意することはできなかった。

「お役目はきちんと今まで通りの手順を踏んでやります。身分がバレないように細心の注意を払います。僕はただ時々町に行って、普通の人と同じようにしてみたいだけなんです」

 いつもなら強い反対にあえば引き下がるすばるも今回は譲らない。お願いしますと頭を下げられて皓月の目が動揺に揺れた。可愛いすばるの願いを否定することに酷く胸が痛んだのだ。

「認識を阻害する道具を……用意する。お前が外へ出ても誰も神子だと気づかぬように。篝か九朗を必ず伴い、決して、ひと時たりとも一人にならないと約束できるなら……許可しよう」
「本当ですか!」

 悔しさを滲ませながらも条件付きの許可を出すとすばるは跳ねるように顔を上げる。きらきらと目を輝かせ、嬉しそうに顔を綻ばせて目の前の皓月に思いっきり飛びついた。

「約束します!ありがとうございます!皓月大好き!」
「ぐっ」

 力一杯抱き着かれたうえに最大の賛辞を与えられ皓月が呻く。皓月にとってはすばるの笑顔こそが日々の糧であり生き甲斐だからだ。この笑顔のためならば何をしてもいいと思える。皓月は感極まりつつも動きやすい服と他者の認識を歪める道具、対物理防御術式、非常用召喚術式(緊急保護者呼び出しボタン)と銭でパンパンの財布を準備することを心に決めた。ついでに言えば霊体化してバレないように後をついて行く気満々である。一体子離れとは何なのか。

 そうして二、三日のうちに準備を整え、よく晴れた日に九朗の住む町へと連れ立っていったすばると篝。その後ろ姿を並んで見送った皓月と蛍だったが、明らかに皓月の様子がおかしい。表情はいつもの冷静そのものと言った顔つきだが、やたらと耳が忙しなく動いている。蛍はそれを見逃さなかった。

「心配なのはわかりますけど、やりすぎもよくないっすよ。今回は目を瞑りますけど次からはついて行かせませんからね」
「なっ、にを……言っている?!」

 皓月の考えることなどお見通しとばかりに冷静に突っ込みを入れる。ばつが悪そうにしなしなと下がりゆく尾と耳。冬の神の懐刀とまで言われた月光の神も溺愛する神子の前では形無しだ。

「大体のことは嬢ちゃんと九朗が何とかしてくれると思うんで、皓月さんは見守るだけっすよ!手出しちゃダメっす。わかりました?」
「お、お前に言われずともわかっている!」

 まるで子供に言い聞かせるように言ってくる蛍にひと吠えして二人が歩いて行った道を見つめる。二人が目視できなくなる距離まで離れたことを確認し、皓月は後を追うべく実体化を解いた。そうすれば皓月の姿は彼よりも力の弱い者には見えなくなる。勿論傍にいる蛍にも。

「全く……!無事のお帰りお待ちしてますよ!」
「ああ」

 蛍には声も届いていないが言葉を返し皓月は歩き出す。見えないながらもその背にひらひらと手を振り見送って、蛍は広い屋敷で初めて独りきりになったことに気が付いた。

「おっと、これってもしかして十五年ぶりの休日ってやつじゃないの?やった」

 どうせ夜には全員帰ってくるが、今自分しか屋敷にいないということが重要だ。蛍は四つの尻尾を機嫌よく揺らしながら、とっておきのお茶で一服でもしようと厨へと向かっていった。
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