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広がる世界
五
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九朗はあの日再び訪れることを約束して妹と共に家へと帰り、約束通り数日後にはすばるへの贈り物を持って神域を訪ねてきたのである。
神子はどのような役割であれ雲の上の存在。そんな相手に贈るような物を買えるほど九朗の家は裕福ではなく、それでも何か最大限感謝の気持ちが伝わる物をと頭を捻り彼が持ってきたのは自身で作った櫛だった。
櫛は呪力を持ち、身を守るものとされている。贈られた櫛は黒漆塗りに螺鈿細工の施された美しいもので決して粗末なものではなかった。だがしかし、九朗自身が作ったというところに皓月は引っ掛かりを覚えたのである。
謝礼以外の意図があるのではと勘繰ったのだ。
すばるが櫛を使っていると吹聴し自身の商品に箔をつけたいと企んでいるのか。或いは謝礼を隠れ蓑にして、櫛に秘めたる想いを込めて渡してきたのか。どちらの意図もない可能性は大いにあるが、皓月はすばるに対して非常に過保護な男だ。九朗を危険視し、少しでもすばるを傷つけたり悲しませたりすれば締め出してやると息巻いていたのだが。
「僕、お勤めがあるので外へ気軽に出られないんです。よかったらまた町の話をきかせてくれませんか?」
「おう、いいぜ!俺もすばると話すの面白えし、絶対また来るよ」
と言った調子で二人はとんとん拍子に仲を深め、十日に一回は必ず神域へ訪れるようになっていたのである。すばるは彼の来訪を心待ちにしているし、今はもう九朗の初対面時の畏まった様子など微塵も見られない。
「これが螺鈿に使う貝なんですか!思ったより大きいんですね……それに、外と中が全然違う。不思議です」
「この光沢がある層を加工して箱や印籠、櫛なんかに貼り付けて作るんだ」
「この大きな貝殻を小さくして、貼り付ける……根気のいる作業ですね」
「確かにな。細かい作業だから目が疲れる。けど楽しいぜ」
今日も九朗が持ってきた貝殻を手に会話に花が咲いている。それが皓月には非常に面白くなかった。
すばるは初めて人の友人ができたと燥いでるだけのようだが、九朗は日を追うごとにその目に熱を滲ませていく。すばるがそれに気付いてしまったら。九朗が想いを告げてしまったら。そのことを考えると全身の毛が逆立つような心地になる。
すばるが他人の手を取るなど、考えるだけで胃の腑がムカムカした。
「九朗真面目っぽいし、何かを無理強いするってことはないでしょ。それにまあ、お互いその気になったなら何の問題もないし」
「問題がない……?」
皓月の心の内を知ってか知らず、暢気な調子で言う蛍に口角がひくと歪む。
今このイタチは何と言ったのだ。
「貴様……すばるがどこの馬の骨ともわからぬような人間の男と結ばれても構わないと本気で思っているのか?アレがすばるの贄の血を利用しない保証がどこにあると言うのだ。情を逆手に取ってそのような悪逆を要求しないとは限らないのだぞ……!」
どろどろと地を這うような恐ろしい声で反論する皓月。蛍の不用意で無責任な発言に込み上げる怒りを抑えきれない。怒りに任せて蛍の尾を根元から四本纏めて引っ掴み、引っこ抜く勢いで強く引っ張り上げた。
「ギャッ?!尻尾……!あだだだだだ痛ってえ!やめて!!!」
悲鳴を上げた蛍の声に驚いて振り返ったすばるたち。蛍はそれに気が付くと救いを求めて手を伸ばした。皓月の暴挙を止められるのはすばるしかいない。
だが皓月がいつもの澄まし顔ですばるに向かって手を挙げるだけで救いの手は摘み取られる。怒った様子のない皓月にじゃれているだけと思ったのか、小さく頷いて九朗との会話に戻ってしまったのだ。促された九朗は心配そうにチラチラ見ているが、すばるの口が『仲良しなんです』と動くと納得したようだった。
どこが仲良しだと心が叫ぶ。急所の一つである尻尾をぎちぎちに堅結びする奴が仲良しな訳がないだろう。
思うだけで、面と向かっては言えないのだが。
「反省したか?」
「した!しました!俺が考えなしでしたすみません!!!」
叫ぶように答えると鼻を鳴らした皓月がようやく手を放す。一足飛びで距離を取り、こんがらがって結ばれた尻尾をそっと撫でた。めちゃくちゃ痛い。
「でも、でもっすよ?お互い想い合っちゃったら仕方なくないっすか。あるかもわかんない先のことを気にして仲を引き裂くとか、そういう大人げないことは俺止めた方がいいと思うっす」
「まだ言うか貴様」
慎重に解いた尻尾にふうふうと息を吹きかけながら蛍は言う。反省したなど手を放してもらうための方便でしかない。
「そうじゃなくても同じように歳食って死ねる一生モノの友達になれるかもしんないんすよ?必要でしょ?あの子には」
茶化すのではなく真剣な目で真っすぐ皓月を見つめれば、僅かに息を詰まらせる。すばるには同じように時を刻む友人知人が必要だ。彼らは皓月たちには与えられないものを与え、すばるの人生を豊かにしてくれるだろう。皓月もそれは理解していて、言葉もなく二人に視線を移した。
すばるが笑っている。
神子の務めと関わりのない、ただのすばるとして過ごす時間に制限をかけるなどしてはならない。ああして笑い合えているなら見守るべきだ。
「友人、か……」
ああは言ったが皓月も九朗が善良な人間だとわかっている。すばるも懐いているし、今二人の仲を割く理由は何もない。
けれど今すぐ間に割り込んですばるの前から九朗を排除してしまいたいという欲がある。見るな触るな声を聞くなと叫んで、すばるを己の腕の中に閉じ込めてしまいたい。あの星空の瞳に己だけが写っていればいいと本気で思う。
今まで考えもしなかった欲望が一人の人間の出現で堰を切ったように溢れ出して止められない。守護者としても養い親としても、この感情は正しいものではないはずなのに。
この欲が何なのか。どこから溢れ出るものなのか。
皓月は千年以上生きてきて初めての感情に戸惑い、困惑していた。
神子はどのような役割であれ雲の上の存在。そんな相手に贈るような物を買えるほど九朗の家は裕福ではなく、それでも何か最大限感謝の気持ちが伝わる物をと頭を捻り彼が持ってきたのは自身で作った櫛だった。
櫛は呪力を持ち、身を守るものとされている。贈られた櫛は黒漆塗りに螺鈿細工の施された美しいもので決して粗末なものではなかった。だがしかし、九朗自身が作ったというところに皓月は引っ掛かりを覚えたのである。
謝礼以外の意図があるのではと勘繰ったのだ。
すばるが櫛を使っていると吹聴し自身の商品に箔をつけたいと企んでいるのか。或いは謝礼を隠れ蓑にして、櫛に秘めたる想いを込めて渡してきたのか。どちらの意図もない可能性は大いにあるが、皓月はすばるに対して非常に過保護な男だ。九朗を危険視し、少しでもすばるを傷つけたり悲しませたりすれば締め出してやると息巻いていたのだが。
「僕、お勤めがあるので外へ気軽に出られないんです。よかったらまた町の話をきかせてくれませんか?」
「おう、いいぜ!俺もすばると話すの面白えし、絶対また来るよ」
と言った調子で二人はとんとん拍子に仲を深め、十日に一回は必ず神域へ訪れるようになっていたのである。すばるは彼の来訪を心待ちにしているし、今はもう九朗の初対面時の畏まった様子など微塵も見られない。
「これが螺鈿に使う貝なんですか!思ったより大きいんですね……それに、外と中が全然違う。不思議です」
「この光沢がある層を加工して箱や印籠、櫛なんかに貼り付けて作るんだ」
「この大きな貝殻を小さくして、貼り付ける……根気のいる作業ですね」
「確かにな。細かい作業だから目が疲れる。けど楽しいぜ」
今日も九朗が持ってきた貝殻を手に会話に花が咲いている。それが皓月には非常に面白くなかった。
すばるは初めて人の友人ができたと燥いでるだけのようだが、九朗は日を追うごとにその目に熱を滲ませていく。すばるがそれに気付いてしまったら。九朗が想いを告げてしまったら。そのことを考えると全身の毛が逆立つような心地になる。
すばるが他人の手を取るなど、考えるだけで胃の腑がムカムカした。
「九朗真面目っぽいし、何かを無理強いするってことはないでしょ。それにまあ、お互いその気になったなら何の問題もないし」
「問題がない……?」
皓月の心の内を知ってか知らず、暢気な調子で言う蛍に口角がひくと歪む。
今このイタチは何と言ったのだ。
「貴様……すばるがどこの馬の骨ともわからぬような人間の男と結ばれても構わないと本気で思っているのか?アレがすばるの贄の血を利用しない保証がどこにあると言うのだ。情を逆手に取ってそのような悪逆を要求しないとは限らないのだぞ……!」
どろどろと地を這うような恐ろしい声で反論する皓月。蛍の不用意で無責任な発言に込み上げる怒りを抑えきれない。怒りに任せて蛍の尾を根元から四本纏めて引っ掴み、引っこ抜く勢いで強く引っ張り上げた。
「ギャッ?!尻尾……!あだだだだだ痛ってえ!やめて!!!」
悲鳴を上げた蛍の声に驚いて振り返ったすばるたち。蛍はそれに気が付くと救いを求めて手を伸ばした。皓月の暴挙を止められるのはすばるしかいない。
だが皓月がいつもの澄まし顔ですばるに向かって手を挙げるだけで救いの手は摘み取られる。怒った様子のない皓月にじゃれているだけと思ったのか、小さく頷いて九朗との会話に戻ってしまったのだ。促された九朗は心配そうにチラチラ見ているが、すばるの口が『仲良しなんです』と動くと納得したようだった。
どこが仲良しだと心が叫ぶ。急所の一つである尻尾をぎちぎちに堅結びする奴が仲良しな訳がないだろう。
思うだけで、面と向かっては言えないのだが。
「反省したか?」
「した!しました!俺が考えなしでしたすみません!!!」
叫ぶように答えると鼻を鳴らした皓月がようやく手を放す。一足飛びで距離を取り、こんがらがって結ばれた尻尾をそっと撫でた。めちゃくちゃ痛い。
「でも、でもっすよ?お互い想い合っちゃったら仕方なくないっすか。あるかもわかんない先のことを気にして仲を引き裂くとか、そういう大人げないことは俺止めた方がいいと思うっす」
「まだ言うか貴様」
慎重に解いた尻尾にふうふうと息を吹きかけながら蛍は言う。反省したなど手を放してもらうための方便でしかない。
「そうじゃなくても同じように歳食って死ねる一生モノの友達になれるかもしんないんすよ?必要でしょ?あの子には」
茶化すのではなく真剣な目で真っすぐ皓月を見つめれば、僅かに息を詰まらせる。すばるには同じように時を刻む友人知人が必要だ。彼らは皓月たちには与えられないものを与え、すばるの人生を豊かにしてくれるだろう。皓月もそれは理解していて、言葉もなく二人に視線を移した。
すばるが笑っている。
神子の務めと関わりのない、ただのすばるとして過ごす時間に制限をかけるなどしてはならない。ああして笑い合えているなら見守るべきだ。
「友人、か……」
ああは言ったが皓月も九朗が善良な人間だとわかっている。すばるも懐いているし、今二人の仲を割く理由は何もない。
けれど今すぐ間に割り込んですばるの前から九朗を排除してしまいたいという欲がある。見るな触るな声を聞くなと叫んで、すばるを己の腕の中に閉じ込めてしまいたい。あの星空の瞳に己だけが写っていればいいと本気で思う。
今まで考えもしなかった欲望が一人の人間の出現で堰を切ったように溢れ出して止められない。守護者としても養い親としても、この感情は正しいものではないはずなのに。
この欲が何なのか。どこから溢れ出るものなのか。
皓月は千年以上生きてきて初めての感情に戸惑い、困惑していた。
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