贄の神子と月明かりの神様

木島

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広がる世界

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 皓月は不機嫌だった。
 基本的に口数は少なく愛想もなく、自分にも他人にも厳しく大神と主である六花へ忠節を尽くす忠義者。そして己の懐に入れた者にだけ甘い顔を見せる男神。それが皓月だ。
 そんな男は、ここ最近自分でも理解し難いほどに虫の居所が悪かった。

 彼が神籍を持つ銀狐として生まれてより千年と幾らか。これまでの月日は大神と六花を敬愛し、彼らのために刃を振るってきた。皓月は強く、速く、その刃は多くの穢れ堕ちた神や世に仇なす大妖を切ってきたのである。若い頃はかの大戦に立ち合い、生きるか死ぬかの日々を送ってきた。
 皓月は己の生活に満足している。戦うことしかできないが、戦うことで敬愛する大神や六花、無辜の人々を護ることができるのならそれでいいと思っていた。神に仕える狐として生涯尽くすことに何の蟠りもなく、それが使命と信じていた。
 そんな生活を続けること数百年。ある時月の神が己の役割を幾つかに分けることになり、皓月はそれまでの働きの褒美として月光を司る神としての地位を得ることになった。大神が選んだのだから皓月に否やはない。喜んで拝命し、神の使いから神へと変じたわけである。
 月光は夜の闇を照らすもの。悪夢を追い払い、夜道を照らし、夜を過ごす人々が幸いであるよう穏やかに見守る面が大きい神だ。皓月は否やはないと言いつつも、武功を以て得た役職としては些か身に余るものでもあると思ってもいた。しかし皓月は根が真面目で職務に忠実な男。冴え冴えとした冷たい光を月の明かりとしながらも何とか数百年、月光の神としての職務を全うしてきたのだ。

 その生き方を変えたのは一人の幼子と出会いだった。
 六花に与えられた贄の神子の守護者としての役割は周囲が驚くほど皓月を変えた。神子、すばるの存在は皓月に喜びを与えた。皓月はすばるを目に入れても痛くない程に可愛がり、子を持つ親のように只管に愛した。
 重すぎる使命を背負う子を命尽きるまでこの手で育て守り抜く。己の血に振り回されるだけの人生ではなく、その中でも揺るぎない喜びを得てほしい。愛するものに囲まれて、最後の息を吐くその瞬間まで幸福で満たされていてほしいと願う。皓月は彼の喜びは我が身の喜びであり、そのためならば何でもしてやろうと心に決めている。
 そう、皓月はすばるが日々健やかで幸福に満たされていることを望んでいる。すばるが伸びやかに楽しげに笑っていれば皓月はそれだけで心が満たされていた。

 そのはずだったのだ。

「どうしたんすかそれ。神一柱消してきたみたいな顔して」

 皓月の引き結んだ口元と眉間に刻まれた深い皺を見て蛍が揶揄する。その視線の先にあるのは湖の傍の腰かけに座っている二つの人影。一人はすばるで、皓月はもう一人を先程から射殺すような目で睨み据えている。
 すばるは今、参拝者が訪れるまでの僅かな時間を縫って客人と談笑していた。客人とはつまり久坂の細工職人九朗である。

「あの男は一体何をしに来ているのだ」
「神子さんのお話し相手っすね」
「話し相手なら篝がいるだろう」
「人間のお友達がいてもいいと思いません?」

 こちらに目もくれずにかけられる問いに蛍は当然のように答える。既にこの問答も幾度目かだ。

「見識を広げるために人間と友諠を持つことは理解できる。しかしアレは本当に友諠と言えるのか?」
「んー……微妙っすね!」

 明るくきっぱりと言い放つと不機嫌を顔に張り付けた皓月がようやっと蛍の方を向く。すばるはともかく、九朗から友情以外の感情を感じるのは皓月だけではないようだ。
 すばるの横に座り、楽しげに笑って何事かを話している九朗。すばるは彼の話に時に興味深そうに、時に楽しそうに聞き入り笑っている。遠目から見れば歳の近い同性の友人と雑談をしているように見えるだろう。

「すばるの笑う顔に見惚れて視線を逸らすようなものが友情と言えるのか」

 今まさに指摘した動きをした九朗を苦虫を噛み潰したような表情で睨む皓月。わかっていたことだが、今日も頗る虫の居所が悪いようだと蛍は乾いた笑いを浮かべた。

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