贄の神子と月明かりの神様

木島

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広がる世界

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 申し出はありがたいが初対面の相手にそこまで図々しいことはできない。しかも相手は神子と神の眷属。ごく一般的な価値観を持つ九朗にはとても受け入れられるものではなかった。九朗はその凛々しい眉を困ったように下げ、首を横に振る。

「そんな、申し訳ないです。これ以上ご迷惑をおかけする訳には……」
「迷惑だなんてとんでもない!足を休めるくらいはなさった方が」
「いえ、本当に大丈夫ですから」
「何を騒いでいる」

 そのまま押し問答になりそうなところに新たな人物の声がかかる。低く張り詰めた冷たい声。全員がはっとして声の方向へ視線を向けると、今まさに帰宅したところの皓月が立っていた。

「皓月、お帰りなさい!」
「ああ、今戻った」

 今日は六花からの正式な召喚だったため皓月は白い直垂を纏っている。正装の純白と銀鼠の立派な三本の尾が日の光に鈍く輝き、全身から厳かな神気が放たれているようだ。
 恐ろしく冷たくもあり、仄かに温かくもある空気が皓月から緩やかに広がる。九朗とあやめはなんの説明を受けずとも彼が神であることを肌で感じていた。

「九朗殿、少し失礼しますね」

 すばるは九朗に一度深く頭を下げて皓月の元へ駆け寄る。
 対する九朗は眼前に立つ皓月の隠す気のない神気に言葉もなく固まっていた。こうポンポン人ならざる者が現れては許容範囲も超えると言うものだろう。

「ごめんなさい、お迎えもできず」
「構わない。何があった?」

 見慣れぬ人の子が二人いることで皓月は警戒をしているようだ。常ならばすばるの顔を見ればゆったりと揺れるはずの尾は静まり返り、片耳はすばるに、片耳は九朗の方へ向いている。すばるにかける声は穏やかだが、九朗とあやめを見る目は冷ややかなものだった。
 皓月は贄の神子を守護する者。選別を受けた参拝者や出入りの商人以外は例え子供であろうと警戒対象だ。

「あっ、ちょっと待って。違います。誤解ですよ!」

 すばるもそれを感じ取り、慌てて事の成り行きを説明してようやっと皓月の目元が柔らかく弛んだ。

「それは災難だったな。童、怪我はないのだな?」
「だ、い、じょうぶ、です!」
「そうか」

 向けられた皓月の鋭い目つきに気圧されつつも、気遣われたと察したあやめが必死な顔で何度も頷く。基本顔が怖いので誤解されがちだが皓月は子供が嫌いではないのだ。

「それでね、お疲れでしょうし、足を休めていただこうとお話していたところだったのです」
「あの、神子様、俺たちは平気ですから!」

 どうやら引き止める気満々のすばるは皓月を味方につけようとしている。大人しそうに見えて意外と押しが強い。神様に誘われては流石に断れないと慌てる九朗の肩を、蛍が申し訳なさそうな様子で軽く叩いた。

「ごめんなぁ、神子さん参拝者以外と会うこと滅多にないから多分浮かれちゃってんだよ」
「兄ちゃん、すばる兄ちゃん美味しいお菓子いっぱいあるって言ってたよ!」
「おい、あやめ!」

 蛍は九朗の気持ちを慮ってくれているようだが止めてはくれない。そして肝心の妹が乗り気だ。これはこのまま生きた心地のしない茶会への参加決定かと腹を括りかけたその時、助け舟は意外なところから差し向けられた。

「いや、やめておいた方がいい。先程東に雷雲が出ていた。久坂ならば日暮れには雨が降るだろう。客人よ、早々に住処へ帰れ」

 ここから兄妹の家まで今すぐ発っても帰り着くのは日暮れ時。皓月の言葉が本当ならゆっくりしている場合ではなさそうだ。

「えっ、雨ですか?そりゃ不味い!あやめ、早く帰らねえと!」

 あやめを背負って帰れば日暮れよりは少し早く戻れるはず。こうしてはいられないと慌てる九朗を見て漸くすばるも諦めがついたようだった。見るからに消沈して肩を落としているのが憐憫を誘うが、こればかりは仕方がない。
 九朗はあやめの手をしっかりと繋いで居並ぶ神籍の方々に深々と首を垂れた。

「この度は誠にありがとうございました。このご恩は何れ何らかの形で必ずお返しいたします」
「気にすんなって。誰にでもあることっすよ!」
「そうだな。恩を返すと言うのなら、このまま何事もなく家に帰り着くことだけで十分だ」

 感謝の言葉を口にする九朗にそれだけで十分と蛍と皓月は首を振る。善なる人の子が健やかであるよう導くのは神々の役目であって、感謝を捧げる気持ちがあれば十分なのだ。
 寧ろ逆に、篝が座敷から風呂敷包みを持ってきてあやめへと差し出した。

「すばる殿が包んでおられたこれ、土産でございましょう?これは大神からの下げ渡しです。遠慮なくお持ちなさいませ」
「そうでした。篝ちゃんありがとう」
「お菓子!」

 差し出された包みをあやめが受け取る。嬉しそうに、大事そうに抱えたそれに九朗も微笑み、再びすばるに深々と頭を下げた。

「本当に、重ね重ねありがとうございます」
「いいえ。僕も我儘を言ってしまって……」

 断り切れずに困っている九朗に無理を通そうとしてしまった。すばるは珍しい事態に一時周りが見えなくなっていたと気づき、今更になってちょっと恥ずかしくなっていたのだ。

「普段こうして人とお話する機会がないものですから、ゆっくりお話を聞けるのではと思ってはしゃいでしまいました。すみません……」
「神子様……」

 参拝者と話すことはあるが殆どが災いを贖うための状況確認のようなもの。雑談を交わすような機会は全くないと言っていい。きっかけは迷子という不運な出来事であっても彼らは健康ですばるの助けを必要としていない。何でもない話をすることができるのではと、すばるの心は弾んでいたのだ。
 その感情の赴くまま彼らを引き留めようとしたことを反省し、寂し気に微笑むすばる。
 九朗は螺鈿細工のように美しいと感じた瞳が寂しさで曇るのを目の当たりにして、無意識にすばるの手を握りしめていた。

「あの、俺必ずお礼に来ます。だからまた、会ってもらえるでしょうか?」
「え……?」

 ひどく真剣な調子で告げられてすばるは目を丸くする。
そして言われた言葉の意味を理解した瞬間、ふわりと花が咲くような笑みを浮かべた。

「勿論です!是非いらしてください。お待ちしてますね」

 きゅっと強く握り返された手。その細く柔らかな感触はいつまでも九朗の掌に残り続けた。
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