贄の神子と月明かりの神様

木島

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恋の芽生え

十二

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 とはいえ屋敷に初めて来た垂氷はすばるが行きそうな場所など知らない。適当にぶらついて見つかれば話しかけようと歩いていると、程なくして目的の人物は見つかった。神域の拝殿と本殿の間は中庭として石と草木で整えてある。すばるはそこの松の木の下に隠れるようにしゃがみ込んでいた。
 背後から垂氷が近寄って行くがすばるが気付く様子はない。後ろ姿からでも見える耳と首筋は未だ赤く、何か言葉にならない呻き声をあげていた。

「ばか、ばか、皓月のばか。人の気も知らないで……」
「ほんとだよねぇ。皓月様って鈍感だと思わない?」
「ひっ!」

 急に背後から声をかけられてびくりと体を跳ねさせるすばる。恐る恐る振り返った先には困ったように眉を下げて笑う垂氷が立っていた。

「垂氷様……」
「ごめんねぇ。さっきの、見ちゃった」
「あっ、あっ」

 さっきの、と言えば勿論すばると皓月のやり取りだ。見られていたことを知って既に赤かった頬が更に赤く染まり、羞恥に耐え切れず両手で顔を隠して小さく縮こまった。できればこれ以上触れないでほしいと切実に思うが、すばるの気持ちなどお構いなしの垂氷は隣り合ってしゃがみ込む。そうして膝に頬を乗せて、何も言えずに顔を伏せたままのすばるをじっと見つめた。

「神子ちゃんはさ、皓月様が好き?んーと、恋愛的な意味で」

 問いかけるとすばるは蚊の鳴く様な小さな声で是と答える。
 垂氷の思った通りだったらしい。あの分かりやすい態度を見る限り、恐らく蛍と篝も気付いているだろう。皓月がどうかは知らないが。

「じゃあアレはないよねー。好きな人にあんなことされたらたまったもんじゃないよ」
「あい……」

 両手を頬に当てたまま潤んだ瞳で垂氷を見たすばるは小さく頷く。細い指の隙間から見える頬にはほんの少し爛れの痕が見えた。

「皓月にとっては親切心なのはわかってるんです。でもすばるが皓月を好きだから、変に意識してしまって……酷いことを言ってしまいました」

 皓月が頬を舐めたのは動物の要素を持つ神特有の“傷は舐めれば早く治る”という認識による治癒効果だ。祝いの席が迫った中で贖った穢れを持ち越さないための判断であり、すばるもその意味を正しく理解している。
 けれど理解しているのと心の反応は別問題だ。すばるは逃げ出し、投げかけた言葉に対して自己嫌悪に陥っていた。

「皓月、驚いていました。後でちゃんと謝らないと」

 離れたことで少し冷静になってきたのかすばるが呟く。あんな可愛らしい罵倒など酷い言葉のうちに入らないような気がするが、さて何と言って謝るつもりだろうか。思った瞬間に垂氷の疑問はそのまま口に出ていた。

「謝るって言ってもさぁ、どう言って謝るの?皓月様が好きだからって言うの?」
「ま!まさかそんな!言えるはずありません!」

 問われてすばるは激しく首を振って否定した。
 すばるは今のところこの恋心を告げるつもりはない。しかし皓月なら自分の何がすばるの機嫌を損ねたのか気にするだろう。原因を把握して二度と同じような過ちは繰り返すまいと思うはずだ。ならば謝るにしてもそれなりの理由が必要である。

「す、すばるはもう大人だから子供にするようなことは恥ずかしいと……言います」
「誤魔化すわけか」
「だって」

 言い募ろうとしたすばるを手で制し、垂氷は首を横に振る。

「いや、責めてるわけじゃないよ。僕はそれが一番いいと思うし」
「それは、どういう……?」

 感心したと言う垂氷に訝しげに視線を送るすばる。その視線を受けて垂氷はにんまりと笑った。

「君のその気持ちは秘密にした方がいい。徒に君自身や皓月様を苦しめないで済むからね」
「皓月を、苦しめる?」
「そうさ。君が想いを告げれば、皓月様はきっと苦しむことになるよ」

 戸惑うすばるに対し垂氷はにこにこと笑っている。不穏な言葉と表情が乖離していて、その奇妙な様子にすばるの背筋にひやりと冷たいものが落ちた。

「皓月様はお優しい方だから、君から愛を捧げられたら無下にはできないだろうね。君を特別愛してはいなくても、君を傷つけたくなくてきっと胸を痛めるだろう」
「特別じゃない……」
「そうさ。もしかして君は自分が皓月様の特別だと思っているの?それは違う。あの方は他の神々と同じように等しく人間に情をかけているだけさ」

 神にとって人間は全て守り愛するもの。勘違いをするなと垂氷は言う。

「それにね、そもそも神と人が結ばれることは禁忌とされているんだ。だから望むだけ、願うだけ無駄だよ」
「そう、なのですか?」

 初めて聞いたと目を丸めるすばるに頷いて答える。どうやら知らなかったらしい。篝や蛍はすばるの恋心に気付いているだろうに、教育の手を抜いたなと心中で溜息を零した。

「じゃあまず、一般論からね」

 そう言って垂氷はすばるの眼前にピンと一本指を立て、笑みを深めた。今なら軌道修正ができるかもしれない。何も知らない若人に、いけないことだと教えてやらなければ。

「人間は心も体も脆いし弱いし、長生きしても百年ぽっち。そんなものが神様の特別を望むなんて許されないんだよ」

 その恋を実らせてはいけない。実らせようとしてはいけない。人間と神は結ばれるべきではないのだ。なぜなら命そのものの強度があまりにも違い過ぎるから。
 神の特別になるには人間では荷が重いのだ。

「神様は人間が思うより一途で愛情深いんだよ。幾千万年と生きる神が数十年しか生きられない人間を特別愛してごらん。その人間を亡くしてしまった後、途方もない時を孤独に過ごさせることになる」

 全ての命を愛する博愛の心をたった一人に与えるのだ。向ける想いの強さが並大抵のものではない分、失った時の絶望は筆舌に尽くし難い。美しい姿が見る影もなくなっていくのを見ていることしかできなかった過去を思い返し、垂氷はただ語り続けた。
 すばるは垂氷が何を伝えようとしているのかを正確に読み取ろうと口も開かず聞き入っている。瞬く星空の瞳は垂氷から見ても純粋そのもので、曇らせてしまうのは惜しいとほんの少し胸が痛んだ。
 けれど垂氷は皓月が大切だ。敬愛する神を救ってくれた彼に避けられる苦しみを与えたくはない。そのために彼が守る神子を傷付けることになったとしても、どうということはないのだ。

「そうだ!ひとつためになる話をしてあげよう」
「ために、なること?それはなんですか」

 不安げに瞳を揺らめかせるすばるを垂氷はただ笑って見つめる。
 毒を注ぐような心地だ。ゆっくりと体を侵食していく遅効性の毒。すばるがその毒で恋心を封じ込めてしまえるように、垂氷は言葉を紡ぎ続ける。

「これは君たちにとっては随分昔で、僕らにとってはつい昨日の出来事だ」

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