贄の神子と月明かりの神様

木島

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恋の芽生え

十一

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 遠慮なく殴られて垂氷の頭頂部には立派なたんこぶができあがり、酷い仕打ちだと拝殿を飛び出し飯炊き中の蛍と篝に泣きついたが自業自得と両断された。やはりこの屋敷に垂氷の味方はいない。
 悲しいことだが自分で氷を作り出し、氷嚢を作ってたんこぶを冷やす。

「全く、僕に容赦ないとこは全然変わってないな」

 垂氷と皓月の付き合いは軽く見積もって三百年ほど。対してすばると皓月は十五年弱。それだけの差があるにも拘らず、皓月に変化を齎したのはその短い付き合いのすばるだった。
 垂氷に救いを与えた日、皓月は人を例えようもなく愚かだと言った。けれど今の彼は人であるすばるを愛し慈しみ、ほんの少し敵意を向けただけでこちらを睨みつけてきた。昔どこかで見た光景と同じで、垂氷の胸はきしきしと痛む。

「本当はもう必要ないんだから、神子なんてもの皆さっさといなくなればいいのに」

 大戦は終わり、全盛期とまでは言わずとも神々は数を取り戻している。もう神子に頼る必要はないのだ。お互いのために、神子の存在は消えるべき。胸に去来する虚しさを吐き出すように呟いて垂氷は泉の傍を歩いた。
 この森はいい森だ。木々は力強く生い茂り湧き上がる水は清き力を秘めている。

 この森は神子であるすばるのための神域。すばるを生かさず殺さず利用し続けるための温かな牢獄。
神子は守護者を心の支えとし、人から隔離され人の栄えのためにできるだけ長く身を削るように教え込まれて生きている。人の望みで生まれ神の気まぐれで生かされた、人に都合のいい命。

 物思いに耽りながら歩いていると東の屋敷にすばると皓月の姿が見えた。道場代わりにしているらしい広い部屋の縁側に二人並んで座り、仲睦まじい様子で何事かを話している。

「あの様子じゃまださっきの話はしてなさそうだな」

 皓月が上手くはぐらかしたかすばるが機会を伺っているか知らないが今のところ二人は平和そうだ。つまらないなと思いながら、湖の傍に置かれた腰かけに座ってその姿を眺めた。
 すばるは黙っていれば知的な美少年と言った風だったが、にこにこと笑っている姿はまだ幼さの勝つ可愛らしい子だ。皓月の尻尾を膝の上に乗せて撫でながら話に花を咲かせている。
 一方の皓月も穏やかな表情で笑っていて、やはり垂氷には不自然に映る。慈愛の籠った眼差しは酷く柔らかくて見ているこちらまで尻が痒くなりそうだ。

「水神様と神子も、あんな感じだったな」

 過去と今が重なって、思わず声が漏れる。二人の姿は未だ癒えぬ古い記憶を呼び起こして憂鬱な気分にさせた。二人が幸せそうに笑うほど、今のうちに二度と会えないくらい遠くへ引き離してしまいたくなる。

「あ」

 ふいにすばるが頬を押さえて顔を伏せた。
 何かあったのだろうかと注視すると、皓月も異変に気付いてすばるに声をかけている。しかしすばるは頬を押さえたまま俯いて、首を横に振っていた。何でもないとでも言っているのだろう。何でもないようには見えないが。
 勿論皓月もそれで誤魔化されるはずがなく、強引にすばるの両手を掴んでその顔を覗き込んだ。
 ぱっと上げた頬には赤く爛れた肌が見える。すばるは参拝者に必要があれば分け身を与えていると聞く。恐らくはその分け身の一つが災いを贖ったのだろう。祝いの前に穢れを貰ってしまって、思わず隠したと言ったところだろうか。
 皓月はしゅんとしているすばるを慰めるように頭を撫でている。そして大丈夫だ、私が治してやると唇が動いた直後、皓月の舌がべろりと爛れた頬を舐めあげた。

「うわ、マジ?」

 動物が傷を舐めて癒すように皓月がすばるの頬の爛れを何度も舐める。垂氷が予想外の行動に唖然としていると、すばるも目を丸めてカチコチに固まっていた。
 そのうち顔がじわじわ赤く染まっていって、大きな星空の目は涙で潤んでいく。最後にじゅうっと吸い付いて漸く顔を放した皓月は、首も耳も真っ赤に染まって今にも涙が零れ落ちそうな目をしているすばるに力一杯突き飛ばされた。

「こ、こ、皓月のばかぁ!!!」

 驚いている皓月に向かって湯気が出そうなほど真っ赤に染まった顔で可愛らしい罵声を浴びせ、そのまま走ってどこかへ行ってしまう。
 その姿を目で追いかけながら垂氷はそっと溜息を吐いた。
 わかってしまった。きっとあの子は皓月を愛している。親愛でも友愛でもない愛情を皓月に抱いているのだ。


「ああやっぱり……そんなことだろうと思った」

 すばるからの罵声に耐性のない皓月は石のように固まっている。今が好機と腰を上げ、垂氷はすばるが駆けていった方向へと歩き出した。 
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