贄の神子と月明かりの神様

木島

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恋の芽生え

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 親子が去りすっかり人のいなくなった拝殿は朝の澱みが嘘のように清浄な空気に包まれている。

「すばる。よくやった」

 緊張を解くように長く息を吐いていると、ずっと隣で様子を見守っていた皓月が膝をついてこちらを見ていた。

「あい、ありがとうございます」

 へらりと笑うすばるの応えはいつも通りだが声に覇気がない。皓月は疲れた様子のすばるの頬を両手で包み込み、額に口付けを落とした。

「どこか痛むところはあるか?気分は?」
「えっと……右足と右手と、おなか。後はちょっと熱っぽいかもしれません」

 不調を隠すと後で怒られるので正直に告げる。それを聞いた皓月は几帳で周りを囲って隠し、額に手を当て熱を測り、すばるが捲って見せた足と手を確認した。

「手は切り傷だな。右足は傷などなさそうだが、どうおかしい?」
「ちょっと動かしにくいです。重い感じ」
「ふむ、動作を制限されているのか」

 右手に目についたのは切り傷が四か所。何れも小さく、痕が残るようなものではない。右足は錘を着けられたかのように重く、動かすのに少し難儀する。

「腹は?」
「ううん、お腹壊した時みたい。お腹の中がちくちくします」

 これは恐らく最後の猿神の祟りが効いたのだろう。皓月は労わるように腹に手を当て、こつりと互いの額を合わせた。

「今日は人数が少し多かったからな。疲れただろう?横になるか?」
「ううん、先にお湯に浸かりたいです。なんだかヤなものが纏わりついてる感じがして気持ち悪くって」
「わかった。用意しよう」

 頷くと直ぐに湯殿へ連れて行こうと皓月はすばるを抱き上げる。するとそれを待っていたかのようにひょっこりと蛍が顔を出した。

「おつでーす!だと思って湯の用意してあるっすよ!はいコレ着替えどーぞ」
「わ、ありがとうございます。蛍」
「あと貢物の目録は皓月さんとこに置いてますから、後で確認してほしいっす」
「わかった。確認する」

 蛍は参拝者の案内に貢物の確認、風呂の用意まで済ませ、今から拝殿の片付けをするという。このイタチは実に働き者である。

「ゆっくりしてきてくださいね!上がったら飯っすよ~」

 その上夕餉の用意もできているらしい。至れり尽くせりである。

「すばる、蛍がいなかったらまともに生活できないような気がします」
「同感だ」

 そんな万能補佐イタチの蛍に促され、二人は一先ず湯殿へと向かう。
 二人も入ればいっぱいになるようなさして大きくはない湯船だが、森の木で作った良い香りのする湯殿がすばるは好きだ。簪を壊さないようにそっと外すと皓月に預け、入浴着に着替えてひょこひょこと右足を引き摺りながら湯殿へ足を踏み入れた。
 ふわりと香る木の香りと温かい湯気にほっと息を吐く。

「あ~、気持ちいい!お仕事の後のお風呂は最高ですね」

 早速と湯に浸かったすばるが気の抜けた声を出す。
 もう何年も繰り返していることだが、贄の血を使う行為は緊張する。漸くひと心地つけて至福といった様子で蕩けた顔を見せていると湯殿へ皓月が入ってきた。皓月も入浴着を纏っている。

「すばる、髪を流してやろう。こちらへ」
「んえ?自分でやりますよう。皓月は入って来なくて大丈夫!」
「なっ」

 湯船の横に座って手招きするが、すばるはいやいやと首を振って反対の隅に行ってしまう。

「今日は疲れているだろう?私にやらせてくれ」
「ヤです。お風呂の中は入っちゃダメって約束したじゃないですか」
「しかし」
「やぁです!」

 悲しそうな顔をする皓月に頬を膨らませ、ぷいっとそっぽを向く。
 もう十三なのだ。皓月の好意に甘えて任せてしまう場面は多々あるが、そろそろ自分のことくらい自分でしないといけない。それに、この歳になると一緒に入浴をすること自体が単純に恥ずかしい。心を鬼にして拒否するが今日の皓月は折れなかった。

「約束は覚えている。だが今日は駄目だ。手も傷付いているし、足が動き辛いのだろう?水場は滑りやすいのだから手伝わせてくれ」
「むぅ」

 そう言われると正論すぎて返す言葉がない。
 すばるは頬を膨らませたまま、渋々と言う体を崩さない態度で皓月の方へ移動した。

「今日だけですからね」
「足が治るまでだな」
「酷い!」
「酷いものか。心配なだけだ」

 そう言いつつもすばるは皓月に身を任せて黒く艶やかな髪を洗われる。次第にその心地よさに目を細め、湯船の淵に完全に頭を預けて恍惚の息を吐いた。

「気持ちいい~」

 絶妙な力加減で頭を揉まれて気の抜けた声が出る。その様子に皓月は満足げな表情で濡れた髪を優しく梳いた。

「お前の髪は美しいな」
「えぇ?髪だけ?」

 ぱっと目を開いて悪戯っぽい声で問いかける。皓月は真下から見上げる顔を見下ろして、その頬に触れた。

「ふふ。そうだな、違うな。お前は何もかもが美しい。これからもっと美しくなる」

 頬から首筋、肩、腕へと手を滑らせながら皓月は言う。今でこそ幼い印象の強いすばるだが、これからぐんぐん背が伸びて大人の男へと成長していくことだろう。きっと誰もが見惚れる美しい男になるはずだ。

「私はそれを一番近くで見ていられる。なんと幸運なことだろうな」
「ふぁ……」

 最後に彼は右手を取って、小さな傷に口付けた。

「愛しい私のすばる」

 そうして甘く微笑むのだ。
 湯で温まった掌に落ちた唇は少し冷たくて、余計に触れた唇を意識させる。そのあまりの格好良さに頭に血が昇り、すばるはずるずると掴まれた手だけ残して湯船へと沈んでいった。

「すっ、すばる?!どうした!しっかりしろ!」

 それに慌てたのは皓月だ。
 彼は頭の先まで湯に沈んだすばるを引っ張り上げると、湯当たりをしたと勘違いして大慌てで脱衣場に飛び出した。

「大丈夫か?水は飲めるか?すばる?!」
「あ、あい。だいじょうぶ…ちょっと、かっこよ死しただけ…」
「死?!」

 不吉な言葉に仰天する皓月を見上げながら、あなたのせいだと言えずに口籠もる。

 どきどきと胸が高鳴っている。
 きっとこれはお風呂のせいじゃない。もっと違う何かだ。

 己の心の中で大好きが形を変え始めていることを感じて、でもそれが何かはわからず、すばるはぎゅっと自身の胸元を掴んだ。
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