贄の神子と月明かりの神様

木島

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箱入り神子と星空と

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 それからまた幾つかの季節が廻る。

 神子となってこの地に来て十年余。今年十二になったすばるだが、彼は今まで殆ど外に出たことがなかった。未熟なすばるが意図せぬうちに誰かの災いを贖い傷いたり、贄の血を欲しがる人間に誘拐されることを恐れた皓月が一人出歩くことを固く禁じていたためである。
 逆を言えば一人でなければ外へ出ることは可能だったのだが、すばるの保護者達は皆忙しい身だ。そうそう時間を取ることもできず、参拝の間を縫って屋敷の中や湖の傍で篝と二人遊んだり、散歩をするのが精一杯の毎日だった。
 そんなある日、湖に小舟を浮かべて釣りを楽しんでいるすばるへ極力なんでもないふりをして篝は問いかけた。

「すばる殿は神域より外へ出たいと思うたことはありませぬか?」
「外へ?」
「はい」

 ずっと気になっていたのだ。篝がすばるの遊び相手にと蛍に引っ付いてきて十年余。すばるが外へ行きたいと訴えた記憶が篝にはない。
 遊びたい盛りであろうこの年頃では辛いものがあるのではないか。人間より成長の遅い篝は今もすばると同じ年頃にしか見えない背格好をしており、体に見合うように遊びたい盛りである。もし我慢をしているなら、皓月や蛍よりは歳の近い己なら打ち明けやすいのではないか。そう思ってのことだった。

「われは今のすばる殿より体の小さき頃に火の神の神域から出てここへ参りました。それ以前にも蛍を伴い人里へ下りたこともございます。ですが、すばる殿はここへ参られてより一度も神域の外へは出ておられません」

 篝は火の神の跡継ぎであるが比較的自由を与えられている。保護者同伴とは言えすばるに会ってみたいという我儘で未熟な幼体のまま神域から出ることを許された。
 幼い子供が外の世界へ興味を持つことは当然の反応で、行きたいと強請っても不思議ではない。それなのにすばるにはそんな我儘を言う素振りは一つもなかった。

「外へ出たいと思うたことはございませぬか?」

 もう一度問いかけると、すばるは何か思案するように視線を空へと向ける。そうしてぽつりと呟いた。

「ない……と言うと嘘になります。興味がないわけじゃありません」

 森の外へ出てみたいと思うことはある。六花に会いに冬の神域へ行きたいし、篝の故郷である火の神の神域へも訪れてみたい。そして己がその身を削って助けている、無辜の人々が生きる場所へも。

「では」
「でも、みんなを困らせてまで行きたいわけではないんです」

 篝の言葉を遮って、すばるは緩く首を横に振る。
 恐らく、皓月はすばるに頗る甘いのでお願いすれば何が何でも時間を割いただろう。けれど彼が毎日己のために忙しくしていることを知っているすばるには到底我儘など言えなかった。
 本当なら生まれて幾ばくも無いうちに誰かの代わりに死んでいた。自分が何者かもわからないうちにその生涯を終えていたはずなのだ。それなのに今己は神々の慈悲の手によって生かされている。己の力が最良の方法で発揮されるよう環境を整え、役目を果たす毎に褒めそして傷付いた体を労わってくれる。心を砕き家族のように愛してくれる。
 己は恵まれているのだ。きっとこの血を持って生まれた誰よりも。
 だから、我儘なんて言うべきじゃない。

「外へ行かなくても篝ちゃんが遊んでくれるし、すばるは毎日楽しいですよ!」

 にっこりと笑っているすばるの言葉に嘘はないのだろう。けれど我慢を強いているのは事実としてあって。自分がもう少し大人だったら彼を外へ連れ出してあげられたのにと、篝の胸はちくりと痛んだ。

「すばる殿……」
「あっ!篝ちゃん引いてる!かかってます!」
「えっ?あっ!わ、本当だ!」

 胸に詰まる想いにしんみりと名前を呼んだ瞬間、すばるの弾けるような声が重なる。すっかり忘れていた手元の竿を見るとぐにゃりと撓っていて、手に伝わる振動で獲物がかかっていることに気付く。
 そうなるともう目の前の魚のことにしか意識が向かなくなるというものだ。篝は逃がさないように慎重に竿を操り、網を手にしたすばるは真剣な面持ちで水面を覗き込む。徐々に見えてくる魚影に胸を弾ませ、二人は魚釣りに夢中になった。

「やったー!釣れた!」
「これは立派な魚にございますね!夕餉のおかずにいたしましょう!」

 見事に釣り上げた魚を見て、目をキラキラさせて二人は笑う。弾けるような笑い声が静かな神域に響き渡り、それに気づいた蛍が東側の小さい方の棟から顔を覗かせた。あの棟は厨と洗濯場がある、家事のための建物だ。

「おーい!二人ともそろそろ戻ってきてくださいよー!」
「はぁーい!」
「今戻る!」

 お互い声を張り上げて応えるとすばるは大事そうに桶に魚を移し篝は小舟の舵を取る。
 例え閉じた世界であってもすばるにとってはこの生活が楽しいものであるのは本当だった。だから今どうしても外へと言うつもりなどなかったのだ。もう少し成長して、自分の身を自分で守れるようになってからでも遅くはない。そう思っていた。
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