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第9話 ネフィラ・スパイダー

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 本家序列三位スパイダー家長女にして、隠密戦闘部隊『一縷《いちる》』第十二班班長ネフィラ・スパイダーにはずっと知られていない秘密があった。


 いや、正確にはそれは秘密でも何でもなく、ネフィラ自身隠そうと努力していたつもりはない。彼女としては結構おおっぴらに行動してきたつもりだけれど、全く気づかれる事なく、十二年間を過ごしてきた。


 あるいはその秘密が気づかれなかった原因は彼女が無表情を貫いているからかもしれない。


 ネフィラは努めて感情を表に出さないようにしていたけれど、それは彼女が怒りも悲しみも喜びも何もかも表情に出すのが不器用で、顔が引きつって、誰かに見られてしまうのが恥ずかしくてたまらなかったからだった。


 それは例えば人前で大声で怒鳴ってしまったあと、その行動を恥じ入るのに似ているが、表情が不器用であるが故に彼女の場合、表情の発露=身体の中身の公開だとすら思っていて、笑ったり泣いたりするのが全裸を見せるより恥ずかしかった。


 うまく笑えない。
 うまく泣けない。
 うまく怒れない。


 要するにネフィラの場合は全ての表情が恥で、


 だから無表情になった。


 そういう意味では、彼女は実に多くのものを隠してきたと言えるが、行動自体を隠していたわけではない。


 無表情だが、無感情ではない。

 
 好きなものはたくさん食べるし、好きな事はたくさんする――ただし、その好きな事が一般とズレているために誰もその秘密に気づかない。


 ネフィラは被虐趣味だった。
 レイの被害妄想とは、ある意味で対極を成す。


 例えば、隠密戦闘部隊の厳しい訓練の中には「毒を飲む」というものがあって、拷問に耐える訓練の中でも特にキツいと言われているそれは大の大人でも泣き出してしまうくらいのものだった。


 ネフィラは喜んでやった。
 致死量ギリギリでやった。
 当然死にかけた。


 全身を駆け巡る痛みが、腹の底をぶん殴られたような吐き気が、肌を這い回る寒気が、頭を抉られたような頭痛が、その全てが快感でしかなくて日に日に量が増えていった。


 そのの最中、心の中では悦びに震えていたけれど、当然、ネフィラは無表情だったので、同じ隠密戦闘部隊のメンバーから、


「俺、あの半分でも無理なのに全然堪えてないぞ」

「仲間を守るには身を削る覚悟が必要だと理解しておられるのだ」

「ネフィラ様! もうおやめください! 身体を壊してしまいます!」


 そう声が上がった。


(わたしは好きでやってるだけなんですけど)


 訓練じゃなくて趣味だった。
 こんなに遊んでていいのかなとすら思っていた。


 そんなことをしていたら、しばらくして、毒の訓練禁止令を出されて、


「いいか、ネフィラ。皆を守りたいという気持ちはわかる。強くならなければならないという気持ちもわかる。だが、あの訓練は死線をさまようだけじゃなく、薬まで効かなくなってしまう危険だってあるんだぞ」


 父親にそう諭された。


 さすがに遊びすぎたかなとネフィラは思った。


 それからも仲間をかばって負傷して、誰もやりたがらない任務に志願して、自分を痛めつける訓練を延々とやっていたら、いつしかストイックな聖人みたいな評価をされるようになった。


(こんなに遊びほうけているのになぜ?)


 ネフィラは首を傾げたがおかしいのはお前だ。


 遊びの域を超えている。

 
 そんな、隠密戦闘部隊の屈強なアラクネ族でさえ発狂しかねない毎日を過ごしてきたネフィラの運命を変えたのが先のハーピィ家との戦闘。

 ネフィラは仲間を救うために(と言う名目で危険そうな場所に行くために)特攻し、数人を救助したあと逃げ遅れて捕まった。


 ネフィラが残っていた建物は倒壊し、第十二班、並びに、行動を共にしていた十一班の仲間達は彼女が完全に死んだと考えて、戦闘後、自分たちはネフィラに助け出されたのに彼女を救えなかったと、その不甲斐なさに憤った。


「私のせいで……私のせいで!!」

「あんなにボロボロだったのに最後まで俺たちを助けようとして殿しんがりを務めて……」

「班長……班長……うわああああ!!」


 一方、その頃、ボロボロな状態でハーピィ家の部下達に捕まっていたネフィラは、縛られて連れ去られる最中、無表情の顔を微かに紅潮させて、


(これから拷問されるんでしょうか――興奮します)


 一人楽しんでいた。
 隊員たちの涙を返せ。


 ただ残念ながらネフィラの予想と違い、ハーピィ家当主のアエロはネフィラを治療したあと、地下室に監禁し、それからは先述の通り、アリスがことあるごとにやってきて罵倒するくらいで、特に拷問される事もなく数ヶ月を過ごしていた。


 その罵倒だって、アリスはかなり酷いことを言っていたつもりだったけれどネフィラにとっては心にかすり傷一つつかない。


 それよりも苦痛だったのは放置される時間だった――こと、他の魔族に比べて覚醒時間が1.4倍もある彼女にとっては。


 そうしている間にもネフィラの『先祖返り』は進み、徐々に身体の感覚が失われていくのが解った。


 魔族からモンスターへ変化する痛みに備えて無意識に痛覚を手放すその前兆が、まるで自分を失ってしまう呪いみたいでネフィラはこの上なく怖かった。


(わたしの痛みを返せ)


 ゲームではそれ故に、ネフィラはハーピィ家とその仲間を憎み、まるで痛みを取り戻そうとするかのように戦って、満たされない思いに懊悩おうのうする――とは言え、魔族のときの半分も力を出せない低レアキャラでしかなかったけれど。


 いまはちがう。


 レイが救い出したためにすでにその未来は消えた。


 レイによって助け出されたあと、ネフィラは人間界での休養によって痛みを取り戻し、すでに地位がなくなって墓が作られているのを見た(『サイコーです』)。


 とは言え、十二班の班員からは切実に戻ってきてほしいと言われていたし、スパイダー家としても彼女の居場所を作るにやぶさかではなかったのだろうけれど、しかし、その頃にはすでにネフィラにはやりたいことが出来ていた。


「レイヴン様の従者になります」


 恩を返すために――と言うのがもっとも強い理由ではあるけれど、それと同等くらいに、彼女にはレイのそばにいたい理由があった。


(スパイダー家があれほどの戦闘をしても【女王】の介入なしにねじ伏せられなかったハーピィ家を、たった二人のメイドだけを連れて完全に屈服させた存在――そんなの興奮するに決まってます。きっと今までなんかよりずっと危険な任務になるでしょう。……あわよくば虐めてくれないでしょうか。ぐへへへへ)


 そんなことを無表情で思うネフィラだった。


 ぶれない。


 と言うより、一度痛みを奪われそうになった反動でより強い刺激を定常的に求めるようになってしまった彼女は、


 このあと、レイの被害妄想による洗礼を受けることになる。
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