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第3話 吊るされた娘 side アリス
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序列三位のスパイダー家を本家に持ちながら、スパイダー家と同等かそれ以上に力を持つハーピィ家は、財力もさることながらその戦闘力も分家一であり、二つを使って多くの無理を通していた。
無理によって分家間に生まれた軋轢は数年前に一度爆発しており、その際、本家であるアラクネ族のスパイダー家を主導として大規模な戦闘が行われ、双方に大きな損害を与えた後に、【女王】による仲裁が入り終結を迎えた。
が、天使のような見た目に反して、その裏側は暴力的なハーピィ家がただはいはいと矛を収める訳がない――彼女たちはこの戦闘で切り札を手に入れていた。
それが、ネフィラ・スパイダー――スパイダー家当主の娘である。
彼女は戦闘に巻き込まれて死んだことになっているが実際はそうではない――混乱に乗じて誘拐された彼女の存在は厳重に秘匿され、情報戦を得意とするアラクネ族にすら知られずに、交渉の切り札として隠されている。
(その事実を知っているのでしょうか――いえ、あり得ませんね)
アリス・ハーピィは唾を飲み込んで、目の前に座るレイをじっと観察した。
白髪のカールした髪とそこに生えた小さな角、骨の両手、女の子と言われても違和感がないほどかわいらしい顔をしている、子供。
それがアリスのレイに対する印象であり、社交難易度は明らかに低く、籠絡し安いと考えていた。甘やかして褒めそやして、すごいすごいと言っていればそれだけで落ちると考えていた――実際ゲームではそうなっていたので、アリスの考えは基本的には正しい。
とは言え、難易度が低いからと言ってアリスが手を抜いていた訳ではない。
「なんとしてでもレイヴン様に気に入られなさい」
両親からはそう言い含められ、釘を刺されていた。
それもそのはず。
レイの属するヴィラン家は序列一位でありながら社交を重んじない――故に、レイを家に招いたというのは一つの偉業であり、ハーピィ家はこのチャンスを逃すまいとしている。
そして、こういう好機を逃さないためにアリスは厳しい教育を受けてきたと言っても過言ではない。
齢十二にしてすでに社交ももてなしも完全に身につけており、まだ精神的に幼いレイを手玉に取ることなど容易い――そのはずだった。
アリスは考える。
(ハーピィ家とスパイダー家との間にある確執はご存じのはず。それでもなおここで発言されるとはどういうことでしょう? 意図が読み取れません)
深意を探るべく、アリスは口を開いた。
「え、ええ。存じ上げておりますが――あまりお話したことはありませんでした」
「え? そんなはずは……確かあだ名をつけていましたよね」
「いえ、つけてなど――」
「『吊るされた娘』、って」
「どうしてそれを知ってるんですか!?」
驚きのあまり立ち上がった瞬間、カップが倒れて白いテーブルクロスにシミが広がる。
アリスは自分の顔から血の気がひくのを感じた。
(どうして知ってるんです、どうして知ってるんです、どうして知ってるんです! それは家族ですら知らない呼び名なのに!)
アリスは陰湿だった。
毎日の厳しい教育と社交にうんざりして、けれど、親に反抗することもできない彼女は、夜な夜な家族に隠れて地下牢に降りていきネフィラをいじめ、憂さを晴らしていた。
――お前は見捨てられたんです。『吊るされた娘』を本当の名で呼ぶ方はもういません。
――誰も助けになんて来ませんよ。あなたは私にいじめられるだけいじめられて、腐って死んでいくんですよ。
自分より惨めな存在が目の前にいるとわかるだけで、アリスの心は満たされた――厳しい教育も嫌な社交もネフィラをいじめれば我慢できた。
(全部バレてる。どうやって知ったのかは解りませんが、要するにこれは、レイヴン様が――ひいてはヴィラン家がスパイダー家の肩を持つということ……)
あまりの恐怖に胃酸が口に上ってくるのを感じる。
油断しているつもりはなかったし、社交態度は完璧だった。
それでも心のどこかで侮っていた。
(そう、そもそも籠絡しようなどと言う考えが、手駒にしようという考え自体が間違っていました)
ヴィラン家がどうして禁忌的なのかを忘れていた、と言うより常識過ぎて、当たり前すぎて、完全に意識の外にあった。
だから見過ごした。
アリスは思い出す。
ヴィラン家に幾つも存在する伝説や逸話を。
例えば、ヴィラン家の先代当主は二十の家を滅ぼして再編し、五つの魔力災害を事前に収め魔界の危機を救ったと言われている。
対して現当主は、社交をほとんどしないものの、いわゆる危険分子と呼ばれた魔族たちを片っ端から掌握し、あるいは消滅させて、先代の成した基盤をさらに固めている――こちらは表にはまったく出ていない情報だけれど。
その強大さ故に、社交を行おうものならパワーバランスが崩壊するどころか、社交をしている相手を殺してしまいかねないと言われている。
だからこその、孤立。
孤高。
(他の分家を相手取って戦うのとは訳が違います。私たちは、嵌められたのですね……。ヴィラン家と手を組めばより強大な権力を手にできると考えて、レイヴン様のお誘いを二つ返事で受けてしまいましたが、その深意を考えることなど誰もしませんでした)
そう、ネフィラを救うという深意を。
ハーピィ家を断罪するという深意を。
まあそんなものレイにはなく、水たまりくらい浅い考えしか持っていないのだけど、アリスが知るはずもない。
アリスは震える手で口を押さえて嘔吐くのをなんとか抑えると、
「申し訳ありません。レイヴン様。このお話は私には荷が重すぎます。当主をお呼びしますので、少々お待ちいただけますか?」
「え? あ、はい」
レイの返事を聞くやすぐに姉たちを連れ、レイ一人を残して応接間を出た。
姉たちに矢継ぎ早に質問されるのを無視して、アリスは当主にして母のもとへと向かう。
その頭は「死にたくない」という言葉でいっぱいだった。
無理によって分家間に生まれた軋轢は数年前に一度爆発しており、その際、本家であるアラクネ族のスパイダー家を主導として大規模な戦闘が行われ、双方に大きな損害を与えた後に、【女王】による仲裁が入り終結を迎えた。
が、天使のような見た目に反して、その裏側は暴力的なハーピィ家がただはいはいと矛を収める訳がない――彼女たちはこの戦闘で切り札を手に入れていた。
それが、ネフィラ・スパイダー――スパイダー家当主の娘である。
彼女は戦闘に巻き込まれて死んだことになっているが実際はそうではない――混乱に乗じて誘拐された彼女の存在は厳重に秘匿され、情報戦を得意とするアラクネ族にすら知られずに、交渉の切り札として隠されている。
(その事実を知っているのでしょうか――いえ、あり得ませんね)
アリス・ハーピィは唾を飲み込んで、目の前に座るレイをじっと観察した。
白髪のカールした髪とそこに生えた小さな角、骨の両手、女の子と言われても違和感がないほどかわいらしい顔をしている、子供。
それがアリスのレイに対する印象であり、社交難易度は明らかに低く、籠絡し安いと考えていた。甘やかして褒めそやして、すごいすごいと言っていればそれだけで落ちると考えていた――実際ゲームではそうなっていたので、アリスの考えは基本的には正しい。
とは言え、難易度が低いからと言ってアリスが手を抜いていた訳ではない。
「なんとしてでもレイヴン様に気に入られなさい」
両親からはそう言い含められ、釘を刺されていた。
それもそのはず。
レイの属するヴィラン家は序列一位でありながら社交を重んじない――故に、レイを家に招いたというのは一つの偉業であり、ハーピィ家はこのチャンスを逃すまいとしている。
そして、こういう好機を逃さないためにアリスは厳しい教育を受けてきたと言っても過言ではない。
齢十二にしてすでに社交ももてなしも完全に身につけており、まだ精神的に幼いレイを手玉に取ることなど容易い――そのはずだった。
アリスは考える。
(ハーピィ家とスパイダー家との間にある確執はご存じのはず。それでもなおここで発言されるとはどういうことでしょう? 意図が読み取れません)
深意を探るべく、アリスは口を開いた。
「え、ええ。存じ上げておりますが――あまりお話したことはありませんでした」
「え? そんなはずは……確かあだ名をつけていましたよね」
「いえ、つけてなど――」
「『吊るされた娘』、って」
「どうしてそれを知ってるんですか!?」
驚きのあまり立ち上がった瞬間、カップが倒れて白いテーブルクロスにシミが広がる。
アリスは自分の顔から血の気がひくのを感じた。
(どうして知ってるんです、どうして知ってるんです、どうして知ってるんです! それは家族ですら知らない呼び名なのに!)
アリスは陰湿だった。
毎日の厳しい教育と社交にうんざりして、けれど、親に反抗することもできない彼女は、夜な夜な家族に隠れて地下牢に降りていきネフィラをいじめ、憂さを晴らしていた。
――お前は見捨てられたんです。『吊るされた娘』を本当の名で呼ぶ方はもういません。
――誰も助けになんて来ませんよ。あなたは私にいじめられるだけいじめられて、腐って死んでいくんですよ。
自分より惨めな存在が目の前にいるとわかるだけで、アリスの心は満たされた――厳しい教育も嫌な社交もネフィラをいじめれば我慢できた。
(全部バレてる。どうやって知ったのかは解りませんが、要するにこれは、レイヴン様が――ひいてはヴィラン家がスパイダー家の肩を持つということ……)
あまりの恐怖に胃酸が口に上ってくるのを感じる。
油断しているつもりはなかったし、社交態度は完璧だった。
それでも心のどこかで侮っていた。
(そう、そもそも籠絡しようなどと言う考えが、手駒にしようという考え自体が間違っていました)
ヴィラン家がどうして禁忌的なのかを忘れていた、と言うより常識過ぎて、当たり前すぎて、完全に意識の外にあった。
だから見過ごした。
アリスは思い出す。
ヴィラン家に幾つも存在する伝説や逸話を。
例えば、ヴィラン家の先代当主は二十の家を滅ぼして再編し、五つの魔力災害を事前に収め魔界の危機を救ったと言われている。
対して現当主は、社交をほとんどしないものの、いわゆる危険分子と呼ばれた魔族たちを片っ端から掌握し、あるいは消滅させて、先代の成した基盤をさらに固めている――こちらは表にはまったく出ていない情報だけれど。
その強大さ故に、社交を行おうものならパワーバランスが崩壊するどころか、社交をしている相手を殺してしまいかねないと言われている。
だからこその、孤立。
孤高。
(他の分家を相手取って戦うのとは訳が違います。私たちは、嵌められたのですね……。ヴィラン家と手を組めばより強大な権力を手にできると考えて、レイヴン様のお誘いを二つ返事で受けてしまいましたが、その深意を考えることなど誰もしませんでした)
そう、ネフィラを救うという深意を。
ハーピィ家を断罪するという深意を。
まあそんなものレイにはなく、水たまりくらい浅い考えしか持っていないのだけど、アリスが知るはずもない。
アリスは震える手で口を押さえて嘔吐くのをなんとか抑えると、
「申し訳ありません。レイヴン様。このお話は私には荷が重すぎます。当主をお呼びしますので、少々お待ちいただけますか?」
「え? あ、はい」
レイの返事を聞くやすぐに姉たちを連れ、レイ一人を残して応接間を出た。
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その頭は「死にたくない」という言葉でいっぱいだった。
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