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第二話 罪悪感に苛まれて
しおりを挟む僕、立花祐樹と水島楓が付き合い始めてから一か月が経った。
いわゆる恋人としての進展はない。
手を繋いだのも告白の時だけだ。名前すら呼び捨てにはしていない。未だに苗字で呼んでいる。
告白が成功したのを聞いて、吉田は面を食らったようだった。尾行はしていなかったらしい。
要するに、吉田は僕がフラれるのを楽しみにしていたのだろう。
だが本当に告白するとは思っていなかったのだと思う。しないことを前提に、いじめのプランニングでもしていたのかもしれない。
勉強しててもダメなんだな、とか、そんな嫌味っぽいことを言いたかったのかもしれない。
性格の悪い話だが、吉田はそういうやつだ。誰かを見下していないと自分が保てないのだろう。──気持ちはわからないでもない。似たような感情は僕にもある。
告白以来、僕はいじめの対象ではなくなったらしい。
面白くないと思われたのだろう。抵抗されて、そこを無理やりと言うのがきっと楽しみなのだ。
結局、ただの暇つぶしだったというわけだ。
付き合っていても、水島楓の顔を見る機会は少ない。
見ようとしなければ見えないのだ。身長差があるし、明らかに隠すように下を向いているからなおさら。
彼女としたのは本の話や勉強の話など学生らしいものばかり。
恋人っぽいこともしていない。強いて言うならたまに一緒に帰るくらいなもの。
──あまり関わろうとは思わなかった。
それこそ自意識過剰ではあるが、別れるときに傷ついてほしくない。
僕と水島楓は一方通行でしかないのだ。
彼女が僕を好きでも、僕は彼女のことが特段好きと言うわけではない。
他の人間と比べると特別という意識はある。──初めて僕を好きだと言ってくれたから。
それでも、確実に別れはやってくる。
一方通行では関係を続けることは困難なのだ。好きあっていても大変なのだから当然だ。
──わかっている。僕は卑怯者だ。本当は、本当は自分が傷つきたくないだけ。
別れるときに傷ついてほしくないのではなく、自分が傷つきたくない。だから関係を深くしようと思わないのだ。
「あの日、立花君私のこと見てたよね?」
「あの日?」
「──私を助けて、告白してくれた日」
「──うん、見てた」
好きで見ていたわけではないけど。単にどんな見た目だったかを確認しただけだ。
「私嬉しかったんだ。──立花君は気づいていなかったと思うけど、私はいつも見てたの。あの日に初めて目が合ったんだよ。──どきどきした。しかもその日に告白されて。心臓が痛くて止まっちゃうかと思ったよ」
僕だってそうだ。
ただ、ちょっと意味合いは違うけど。
水島楓はとても嬉しそうに声を弾ませた。
嬉しそうな声や、楽しそうな声。
そんな声を聴くたびに胸が締め付けられる。
違うんだ。僕は君が好きじゃない。
君に告白したのだって、ただの罰ゲームなんだ──。
──すべてを言いたくなる。
僕の罪を告白したくなる。
しかしそれはできない。ほとんど見えない彼女の顔が悲しみにゆがむのを想像したくない。
──怖い。どんな罵倒をされるのか、想像しただけで死にたくなる。
人との関わりが薄い分、僕に耐性はないのだ。
こんなことならいじめられていればよかった。
自分が傷つきたくないからといって、他人を傷つける。
いつのまにか最低の人種になっていた。
──時計の針を戻す魔法があれば。
そんなものはないと知っている。
「驚いちゃった。今もずっとどきどきしてる。話しかけることもできないで終わると思ってたから」
「──僕だってそうだ。一生話すことなんてないと思ってた」
「あの脚立ね、よく滑るんだ。キャスターの出来が無駄にいいのかもしれないけど、たまに転んだりもしてたの。普段は嫌だったんだけど、あれでよかったのかも」
「──危ないだろ?」
「でも、あそこで転んでなかったらこんな風になれなかったかもしれないでしょ?」
「いや、言ってたと思うよ」
「そ、そうなんだ……」
照れた様子だった。
水島楓は多分可愛い。
多分、とつけるのは僕がそんなことを思っていいわけがないという感情と、顔があまり見えないことに起因する。
それでも態度や空気はそういうものなのだ。たまにチラリと見える顔も造形は悪くない。同級生、という目で見ると幼いけど。
小動物のような容姿でありながら、落ち着いていて優しい。
僕を好きだとも言ってくれる。──僕が嫌いな僕のことを。
「本で読むみたいなロマンチックな感じじゃなかったけどね」
「いいよ、そういうのはフィクションだもん。それに状況だけ見れば助けてくれて、そのうえ告白までされれば十分ロマンチックだよ」
「それはどうだろうね……」
駆けつけてお姫様抱っこ、みたいなのだとすればそうだろう。だが現実はヘッドスライディングから背中でキャッチ。
──冷静に考えれば相当かっこ悪い。
「大学に行っても一緒にいれるかな?」
「どうかな。先のことはわからないや」
「そこは大丈夫、とか、ずっと一緒だよ、とか言って欲しいな……」
ちょっと声のトーンを下げて水島楓は残念そうに言った。
言えるわけがない。明日だってわからないのだ。
どうにも、水島楓は本気で僕のことが好きらしい。
なぜ、なぜなのか。
彼女の好意が信じられない。
「なんで僕のことなんか好きなんだ?」
「なんかって……だって、ずっと頑張ってるでしょ? 他の人みたいに浮かれた感じじゃなくて、何か目標のために頑張ってるんだろうな、って思ってた。かっこいいよ、そういうの」
「……」
ただ勉強していただけ。目標なんてない。
現実を見た現実逃避だ。面倒なしがらみも関係性にも目を向けないでいただけ。
──僕に対して夢を見ている。
そんなに大した存在じゃないのに。
「最初はそんな感じで見てたんだけど、いつの間にか好きになってた、みたいな。立花くんはわかってないと思うけど、私たちって小学校から学校は同じなんだよ? クラスは一回しか一緒になったことないけど」
「それは知ってるよ。話したことはないけど、知ってはいた」
「覚えてるとは思ってなかったけど、小学校の時もね、佑樹くんに助けてもらったことあるんだよ? ──本当はそれで好きになったの。覚えてないって言われたらちょっとショックだったから言わなかったんだけど、やっぱり言う」
「僕が助けた? 小学校の頃……そんなことあったかな?」
「ほら。そう言われそうだったから言わなかったの。──わかっててもちょっとショックだなぁ。私にとっては大事な思い出だから」
「ごめん……」
「謝らなくてもいいよ? 悲しいには悲しいけど、佑樹くんからすればたいしたことない記憶ってことは、それだけ優しい人ってことでもあるもん。人助けを何も考えずできるって証拠だよ」
優しい、優しいね……そんなことない。なにかの気まぐれで助けただけだろう。
もし本当に彼女が言うような人間なら、今の関係はありえていないはずだ。保身のためだけに傷つけてしまっているのだから。
「水島さんは僕を誤解してるよ。別に優しいわけじゃない」
「ううん、優しいと思うよ。図書室でも助けてくれたし」
「あ、あれは……」
「やっぱり優しいよ。──それでね、小学校の五年生の時に、下校中転んじゃったの、私。膝からいっぱい血が出て、痛くて泣いてたんだけど誰も助けてくれなくて。『痛そー』とか、『大丈夫?』とか言ってくれる人はいたけど、言ってくれるだけ。誰も助けてくれなかった。──でもね? 佑樹くんは泣きじゃくってる私を背負って、学校の保健室まで連れて行ってくれたんだよ?」
「──あ! あれ水島さんだったのか!」
覚えがある。自分のランドセルを体の前の方で引っ掛けて、そのままおんぶして運んだ女の子。
やたら小さい子だったので低学年の子だと思っていた。
──当時から人の顔の認識が甘かったらしい。
あれが水島楓……。変な偶然もあるものだ。
「そうだよ。私の方はわかってた。五、六年生の時はクラス違ったけど、一、二年生の時は同じだったもん。佑樹くんは覚えてなかったみたいだけど」
「ご、ごめんね……」
「私が佑樹くんを好きになった理由。──わかってもらえた? あの時の佑樹くんはすごくかっこよかったよ。あの時が私の初恋なの。佑樹くんこそなんで私? 私の方こそ好かれる要因がないと思う……」
「え、いや、その……」
──言えるわけがないだろう。
罰ゲームだ、なんて。
考えてみれば当たり前だ。普通好きになった理由くらい聴きたくなるだろうに何も考えていなかった。
「──見た目かな」
大嘘だ。当日まで碌に見たこともなかった。昔助けたことがある人物だと認識してすらいなかったほどに。
「わ、私の見た目? 小さいし、顔だってそんなに可愛くないよ? それに──胸もおっきくないし。男の子ってもっと大人っぽい人が好きでしょ?」
「いや、ほら、そういうところが好きなんだよ、うん」
僕の好みはどちらかと言うと大人っぽい女性だ。
自立しているというか、そういう空気が好き。
そういう意味で水島楓は対極の存在だ。
たまに見る水島楓の顔は造形が悪いわけではない。むしろ整っているほうだろう。彼女が言っているのはモデルだとか、そういうのと比べての話だ。そもそも系統が全然違う。
水島楓の場合は可愛いは可愛いでも子供のように、というのが枕詞につく。
「ほんと? だったら嬉しいな。私あんまり好きじゃないの、自分の見た目。──子供みたいでしょ? 親戚の小学生の方が私より背が高いんだよ」
確かに水島楓は小さい。
高校生でありながら映画館は子供料金で入れるだろう。
最近の小学生は大きいから、彼女より身長があっても何の違和感もない。
「──可愛いさ。小さくて」
ふいに口をついた。
そんなことを言うつもりではなかったのに。
僕が慌てふためいていると、横から小さな笑い声がした。
「嬉しい、すごい嬉しい。──良かったぁ、小さくて」
「そうだよ、気にする必要なんかないって」
なんでだろうか。自分が笑っていることに気づいた。
水島楓が笑ったり喜んだりしているのを見ると、それを嬉しいと思う自分がいるのに気づかされてしまう。
この感情の答えをこの時の僕は知らなかった。
誰とも接してこなかったせいで、こんな答えもわからない。
難関数学の回答ができても何にもならないのだと、僕はようやく気づいた。
「手を繋いで帰ってみたいな」
彼女がそんなことを言うので、応じてみる。
距離にすれば大したことはないのに、とても緊張する。
「ちょっと憧れだったの、こういうの。できるとは思ってなかったよ」
「そういうものなんだ」
「そういうものだよ。なんだか幸せじゃない? 付き合ってるって感じするよ」
「……どうだろう」
「そこは幸せって言ってよ。寂しいよ、一人相撲みたいで」
一人相撲なんだよ──。
言うのは簡単だ。言えはしないけど。
だんだんと言い出しにくくなってきた。
最初のあの日に正直に言うべきだったのかもしれない。
「よくわからないけど、こういうのが幸せなのかな」
「私もわからないよ。でも、多分そう。自然と笑っちゃうもん。──ニヤニヤしてて気持ち悪くないかな?」
「──気持ち悪くなんてないよ」
気持ち悪いのは隣にいる奴だよ。
傷つけるのをわかっていながら笑ったりしてるんだ。
僕が言いよどんだのを察したのか、握る手が強くなる。
僕のよりもだいぶ小さなその手は、柔らかくて細い。
体温は低い。僕よりもずっと。それでも自分以外の人の体温というのは暖かく感じられた。
握り返した方がいいのか、それともこのままの方がいいのか。
わからなくなった僕はなんだか泣きそうな気持になる。目の奥が熱いのだ。
「お腹痛いの?」
「え、いや……?」
「なんだか苦しそうに見えるよ?」
水島楓は心配そうな顔で僕を見ていた。
前髪の隙間から片方だけ見える大きな丸い目。
黒い瞳はすべてを見透かしているのではないかと思えた。
僕はその目から視線を外して、目を合わせることを拒否した。
──怖かったのだ。
「な、なんでもないよ。大丈夫」
「そう? 何かあったら教えてね。できることは直したいし、もっと好きになって欲しいから」
もっと。
前提として、僕が彼女のことを好きだということ。
「──うん。僕の方もさ、何かあったら言ってよ。ほら、友達もいないから変なこと言っちゃうかもしれないし」
「私も友達いないから大丈夫。中学まではいたんだけどね。思いついたこと言いあっていこうよ」
手を繋いだまま彼女の家の近所まで一緒に歩いた。
彼女の家はそれなりに厳しいらしく、門限もあり、男といるところなどとても見せられないのだという。
僕としても紹介などされると困る。──彼女だけでなく両親まで悲しませるなど、もう立ち直れないかもしれない。
二人が一人になったあと、見上げた茜空がなぜだか滲んで見えた。
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