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第二十七話 オリオンはなぞらない

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「ユウ、ごめんなさい」

 朝一でいきなりの謝罪。何があったというのか。妙に申し訳なさそうな態度だ。
 昨日の晩は口でしてもらった後、サクヤは風呂に入ってそのまま帰ってしまった。生理中なので同じベッドは嫌だと言っていた。
 正直あまり感じたことがないのだがどうにも匂いがあるらしい。
 わからないと言ったら、「鈍感ね」と笑っていた。
 そこから朝に至るまでに何があったというのか。

「なんかあったの?」

「──オナニーしちゃったの」

「詳しく」

「詳しくも何もそのままよ。口にたくさん出したでしょう? それがお腹の中で暴れまわっているような気がしてムラムラしていたの。気づいたら下着の中に手が入っていて……ユウとするようになってからはしてなかったのに。──一度だけユウの上でしたことはあるけれど」

「ああ、この前な……」寝ている俺のチンポを使っていたときのことだろう。

「ユウでしたから浮気ではないでしょう?」

「別に俺じゃなくても浮気じゃないと思うけど……とりあえず学校行こうぜ。玄関先でしていい話じゃない」

 オナニーだとか、浮気だのそうでないだの、爽やかな朝の空気には似合わない。空気中の水分が霜に変わっているためなのか、空気は異様に澄んでいる。
 季節は秋真っただ中。そろそろ制服だけでは厳しいものがある。
 氷点下を割る日も珍しくなくなってきた。本格的な冬の到来はもうそろそろだ。
 そのせいかは知らないがサクヤは真っ黒なストッキングをはいている。

「一応潔白を晴らしたいのだけれど、私ユウ以外ではオナニーしたことないからね?」

「……ごめん、俺は結構ある……」

 隙がなくほとんど何も見たことがなかったサクヤよりも、安易に手に入るおかずは使用頻度が高かった。サクヤをおかずにする場合、その多くは顔や手、声などがメインで、時々見える太ももに大興奮していた。しかし、ネットを開けばすぐに手に入る時代に俺の好奇心は抑えられなかったのである。
 それでも、それでもサクヤをごちそうとするならジャンクフードのようなもの。ご馳走をよりおいしく食べるための副菜のようなものだ。
 ──心の中で言い訳しても意味なんてないけど。
 本人に直接言うのは恥ずかしすぎる。

「男はそういうものでしょう。むしろ見たことがない方が怖いくらいよ。興奮のプロセスが違う以上無理はないと思うわ」

「そんなもんかね」

「そうよ。私は妄想でするというか……ちょっと恥ずかしいわね、こういうこと言うの。ユウに色々してもらう妄想をしながらするのよ。何かを見て、っていうのはないわね。おかげで妄想の中の私はユウの性奴隷よ」

「──どんな感じでするのか見てみたい。だけど性奴隷って……」

「は、恥ずかしい……とは思うけれど、ユウが見たいなら見せてあげる。──でも条件があるわ」

「条件……?」

「ユウのも見せて。お互いのを見ながらするのよ。相互オナニーと言うやつね。──すごく贅沢じゃない? 目の前にいるのに手は出さないのよ」

「贅沢かはわからないけど……気にはなる」

 単純にサクヤのオナニーを見てみたい。
 ここ最近まで性的なものが一切隠れていたサクヤの秘めた部分。
 俺としているときとはまた違った様子なのだろうと思うと期待で興奮してしまう。

 妄想はしたことがある。イメージ的には真っ白いシーツにくるまって小さく喘いでいそうな感じ。実際はどうか知らないけど、前はそんな感じに思っていた。どことなく絵画的なものだ。
 天使的なイメージだった。そういう本能的な部分がないような。あってもそれを恥じているような。
 本当に妄想でしかなかったみたいだけど。
 しかし、そっちの方が俺は嬉しい。だからこそ今こうしていられるのだから。
 
「早く生理終わらないかしら。温泉に行った時にも続いていたら困るのよね。温泉旅行なのに温泉に入れないのよ。部屋のシャワーで我慢することになるわ」

「女の人って大変だな……毎月だろ?」

「そうよ、毎月出血と腹痛があるの。──ユウが孕ませちゃえば無くなるわよ?」

「……まだ早いけど時間の問題な気もする」

「毎日していればそうでしょうね。避妊でもしていれば問題ないのでしょうけれど。最近はユウの方がしたがらないものね?」

「中出しが気持ちよくて……いや、次からは我慢する。流石に高校生のうちはまずい」

「──フラグってやつかしら。ホラー映画の不良が死んじゃうくらい鉄板な気がするわ」

「ああ、あれな……というか不快にうるさい奴は最初に死ぬよな。逆に安心するから好きだぞ、俺は」

「変な方向に脱線しているけれど。いつも通りなら週末には生理も終わると思うから心配しないで。旅館でいっぱいえっちしましょう。色々して欲しいことがあるの。家だと声が出過ぎちゃうと思ってできないのがたくさん」

「期待させるのが上手いな……スピルバーグの新作、みたいな」

「──それだと肩透かしの方が多い気がするわ」

「例え間違えた……」

 スピルバーグのことが別段嫌いなわけではない。ただ、まぁ、なんというか。少なくとも俺にはあまり合わない。

 温泉で一体何をしてくれるんだろう。どんなことをするのだろう。
 ローションといい、色々買いこんで計画しているのは確かだ。
 すごく気になる。とても気になる。
 俺にできることは何かないのか。ただ、どちらかと言うと俺がしたいことになってしまうので違う気もする。
 こんなにワクワクしたのはいつぶりだろう。

 問題はこれからの我慢だ。当日を入れれば五日間の我慢期間。以前の一週間はまだ我慢できたが、その時は今ほど性欲が強くなかった。
 体が作り替わっている気がする。サクヤの求めに応じられるような体に。

 
 今日も黒田サユリは学校に着ていない。
 遠藤は昨日にもまして凹んでいる。声をかけようにもアドバイスできない。どうしたって無責任でしかないから。
 結局のところ、誰かに助けてもらうことはできないのだ。自分の力で何とかしていくしかない。
 教室の隅の席でしょぼくれている遠藤はかつてはイケメンと呼ばれていたが今日はその面影すら感じない。
 目の下は真っ黒で、食べていないのか少しやつれてすらいる。
 もしかしたら好きなエロゲなどもやっていないのかもしれない。
 ──状況が状況である以上それくらい我慢すべきだとも思うけど。
 これでエロゲなんてやっているようならフラれて当然である。

 今日もこんな感じかな……俺がそう思っていると、意外なところから意外な行動があった。
 サクヤだ。サクヤが遠藤に対し何かを話し、渡している。それは手紙のようなもの。

 まさか……フラれるのは俺?
 今朝あんな話までしていたのに?

 その日の俺は遠藤と同じような状態だった。放心状態と言うのか、授業は何も頭に入ってこなかった。
 学校が終わり、掃除当番だったサクヤを待つ。どうしても聞かなきゃいけないことがある。
 遠藤が足早に、一心不乱に走って帰っていったが話しかける気も引き留める気もしなかった。

 一日中見ていたがサクヤはいつも通りというか、特に変化はない。強いて言うなら前の席の空白を寂しげに見ていることがあったくらい。俺とはたびたび目が合っていた。しかし、様子は変わらない。
 覚悟は決めていた。フラれるのなら色々諦める。

「サクヤ……遠藤と何話してたの」

「どうしたの? すごい顔してる」

「あの手紙は? 俺フラれたりする?」

「え、ふっ、ふふふふっ!」

 こらえきれないと言った表情をした後、少し大きな声で笑う。
 
「あははっ! もしかして私がラブレターでも渡していたと思っていたの? 違う、違うわ、あれはサユリの家の住所よ。それで今日ずっと疲れた顔だったのね」

「勘違い? 俺の?」

「そうよ。言い方は悪いけれど、私が遠藤君になびくとでも思っているの? 心外ね。──もっと自信を持ちなさい。ユウは私が選んだのよ」

「よ、良かったぁ……正直死ぬかと思ってた」

「発想が飛躍しすぎよ。どうして手紙を渡したくらいでそんなことになるの。しかも手紙と言うよりただのメモよ」

「その、女子が男子に手紙を渡したらそういう風に見えるだろ?」

「もしかしてほかの人にもそう思われていたのかしら……」

「俺たちが付き合ってるって公言してるわけじゃないからな……」

 心底安心した。と言うより、サクヤの言う通りだった。
 もう少し信じるべきだ、俺は。どうにも劣等感と言うか、捨てられるという思い込みがある。いまだ信じられていないのだ。サクヤが俺を選んだという事実を。
 
「あ、ユウ。今日告白されるみたいだから五分くらい待っていてくれる?」

「告白って!」

「三年のテニス部の誰かみたいよ。受験に真剣になれって話よね」

「えぇ……その、一応聞くけど承諾したりしないよね?」

「するわけないでしょう。誰かも知らないし、いつもの通り一刀両断よ」

 なぜかサクヤが日本刀で相手を切り捨てているところを想像してしまう。どうにもサクヤは日本刀が似合うイメージだ。
 
 待ち合わせているらしい校舎裏に俺も付いていく。
 伝統的な告白スポットらしい。見たことはあるが確かにそれらしい場所だ。
 防風林替わりなのか木がたくさん生えている。

 相手が逆上する場合を考えてついていくのだ。隠れて様子を見ていることにする。
 サクヤ曰く、行かないことも選択肢にはあるが、すっぱり切り捨てて諦めて欲しいのだという。可能性のない自分に長居すべきでないという考えらしい。受験に集中しろ、という意味合いもあるのだという。
 俺としては当然告白なんてされてほしくないが、サクヤ本人が言う以上仕方ない。放っておいたって告白はされ続けるのだ。

「四条さん、好きです、付き合ってください!」

 大声で頭を下げながらいう男はイケメンだった。
 遠藤とは系統の違う、スポーツタイプのイケメンだ。一目でわかる明るいタイプ。これなら確かに俺に勝てると思っていてもおかしくない。比べれば俺はだいぶ格下に見える。悲しいことに。

「ごめんなさい。婚約者がいるので」

 サクヤは一言言って頭を下げる。声のトーンは普通。相手との温度差が激しい。南極でマッチをつけても何も変わらないのと同じようなレベル。

 !?
 婚約者!? 誰だ?
 ──俺か?
 いや、俺以外にはいないだろう、多分。

 第三者相手に言っていると思うと喜びから叫びたくなる。
 叫びたい、すごく。世界の中心は遠すぎるのでグラウンドとかの中心で。

「こ、婚約者……!?」

「ええ、卒業したら結婚する予定ですので。申し訳ございませんが……」

「あ、あの市場ってやつ……?」

「そうです。小さい頃から、そしてこれからもずっと最愛の人です」

 泣きそう。
 感情がこみ上げているのがわかる。
 後姿だけなのでサクヤの表情は見えない。相手の男は愕然と言った様子。

 叫ぼうか。もう叫んでしまおうか。
 全校朝会で校長のマイクを奪ってもいい。退屈な話よりみんなの目も覚めるはず。
 
 サクヤはスッと振り返り、俺の方を見て口元を緩ませる。
 少し恥ずかしそうだ。
 ああ、なんて幸せ。疑った俺がばかだった。

 男は固まったまま動かない。逆上だとかそんなことを考えてはいないだろう。本当に愕然と言った様子だ。

「お待たせ。帰りましょう?」

「ありがとう。俺すごい愛を叫びたくなったよ」

「これで噂は急速に広まるはずよ。もう告白もされないわ」

「にやにやしちゃうな……」

「いいの? これで完全な既成事実になったのよ? ──もう逃がさないってことよ?」

「いい、いい、全然いい! 最高だよ!」

「ね、これで疑いは晴れた?」

「晴れた晴れた、俺はどうにも心配性みたいだ」

「やきもちやいてくれるのは嬉しいわ。ただ安心して、逃げないし逃がさないから」

 校門の側のほうまでやってきて、サクヤは目をつぶってこちらに顔を向ける。

「ここじゃダメだって……」

「いいじゃない」

 周りには人がいない。それでも学校の中などから見られる可能性はある。
 いや、いいか。どっちみちサクヤの言うようにすぐに知れ渡ってしまうだろう。見られたところで大した問題じゃない。
 それに、俺は今サクヤとキスしたい。どうしようもないくらい好きだ。

 唇を合わせるだけのキスだ。流石に外ではそれ以上はできない。

「本当はね、ユウには見せない方がいいと思っていたの、告白なんて。でも信じてもらうのには一番いいかと思って」

「まぁ……あの人が可哀そうだったけどな……」

「告白した以上フラれる可能性くらい考えているでしょう、多分。そうでないのだとしたら怖いわ」

「それは確かに怖い。自信ありすぎだろ」

「告白なんて煩わしいものだと思っていたけれど、たまにはいいものね。おかげでプロポーズ出来たわ」

「いや、プロポーズの前借だ。俺からするんだ、それは」

「新婚旅行の前借といい、前借が多いわね。破産してしまうわよ」

「ま、ゆっくり返してくさ。時間はこれからもあるんだろ?」

「二人で返していけばすぐね」

 手を繋いで帰る。もう誰に見られても別にいい。
 むしろこれくらいならほほえましく見えるだろう。小さい頃から知っている近所の人に見られると恥ずかしいけど、逆に小さい頃は普通のことだった。

「なぁ、何か映画借りて帰らないか?」

「どうして急に?」

「朝映画の話してたろ。それで何か観たくなった」

「恋愛もの?」

「いや、すっきりするやつ」

「──えっちなやつじゃないわよね?」

「違うよ! なんでそっちのすっきりするやつ借りるんだよ、借りられないし!」

「わかってはいるんだけれど、一応ね? 聞いておいた方がいいでしょう、流れ的に」

「そんな流れは必要ない!」

「ならアクションものとかにしましょうか」

「サスペンスでもいいぞ」

「知ってると思うけれど、サスペンスだったら終わるまで一言もしゃべらないわよ?」

「いいよ。別に黙ってたって今更気まずくもないし」

「とりあえず色々見てみましょうか」

 今日は何でもいい気分だ。普段ならアクションが見たいが、今日ならどんな映画でも楽しめる。
 しょうもないゾンビ映画でも感動できそうな気がする。

「そういや、なんで今日ストッキングなんだ?」

 今日は珍しく黒いストッキングをはいている。普段から露出は少ないが、いつも以上だ。
 しかし、これはこれでいい。綺麗な足をしているのだと分かる。

「え、寒いからよ。そもそもそういうものでしょう?」

「いや、そうなんだけどさ……」

「好きなの? 破いてみたい?」

「一回くらいはやってみたいかも」

「今度伝線したらやらせてあげる。二つの意味で」

「……制服で?」

「意外としたことないものね、制服のままでは。──ユウがすぐ脱がしちゃうから」

「ほ、ほら、制服って替えがないからさ!」

「替わりあるわよ? 上下とも」

「え、そうなの? 俺ブレザー一着しかないんだけど……」

「汚れたらどうしようもないじゃない。一応女の子ですもの、汚れたとき用に買ってあるわ。後は着回しでクリーニングに出せるように」

 一応も何も大半の女子より女の子だ。むしろ女子の半数くらいは男寄りにすら思える。顔だけではなく態度などだ。そういう意味で遠藤は女子よりである。
 誰が見たって清楚なイメージ。妙に漂っていた色香はその内面からあふれていたもののようだけど。
 
「うちは着れなくなったら買えばいいって感じだな……そもそも冬しか着ないし」

「中身さえ着替えていれば問題ないのではないかしら。男子って冬でも教室では着てなかったりするじゃない」

「暑いんだよな、教室。暖房きつくないか?」

「いえ、そうでもないわ。どうしたって脂肪質だから冷えるのよ、女子は」

「うちの母さんも言ってたなぁ。父さんはすぐ暑いって言うから微妙に対立してる時もあるだろ?」

「私がいるときは言わないわよね?」

「そりゃあ気を遣ってるんだろ」

「ならそろそろ部屋の中にいるときも上着を着るシーズンね」

「カーディガン好きなんだよ、俺。前から思ってた」

「私の? それともカーディガンそのもの?」

「サクヤの。パジャマの上に着てるだろ?」

「ええ、あれが好きなの? 別段特徴もないものだと思うけれど……」

「袖が余ってるだろ、あれが可愛い」

「少し大きい方が温かいからワンサイズ大きめではあるけれど、意外ね、そう言うのが好きなの?」

「エロいとかとは違うんだよ、ホント、可愛いって感じ。ずっと思ってた」

 サクヤが部屋にいるとき、冬場はパジャマの上にカーディガンだ。
 色はその時々で変わる。俺個人としては紺色のものが一番好きだ。
 体育座りのような体勢で本を読んでいるときにきゅんとする。
 露出は限りなくゼロだがむしろそれがいい。

「可愛い可愛いって……あんまり言わないで。──照れちゃう。それを言われたら私だって言うわよ。私はユウのシャツから見える鎖骨に舌を這わせたいし、指だって舐めたいわ。首筋はかじりつきたくなるし、私より大きな手で顎をクイッてされて強引にキスされてみたいの。靴の大きさにもドキッとするし、汗かいてるときなんてぞわぞわするわ」

「……思ったより色々見てるんだな……」

「当たり前じゃない。ユウが視姦しているとき、ユウも視姦されているのよ。ちなみに性的に怪物になる分には大歓迎よ。私もなってしまうけれど」

「なんか哲学っぽいな……同じようなの聞いたことある」

「ニーチェの善悪の彼岸よ。少しだけ引用したの。引用ですらない気もするにはするけれど」

「──祟られるレベルだな。まさか後世でこんなネタにされるとはニーチェも思ってなかっただろうさ」

 サクヤは色々と俺を見ていたらしい。サクヤを見ていることには気づいていたのだろうが俺の方はさっぱりだった。
 男の体に性的なものを感じるという感覚がないせいかもしれない。

 対してサクヤはそれが鋭いのだ。
 幼少期から男の目線と言うものをよく知っているせいだろう。
 考えてみれば怖い話だ。接する男が皆自分のことを性的な目で見ているのだから。よく男性不信になっていないものだと感心すらする。若干その気はある気もするけど。
 好き嫌いを除いても、俺とその他では態度がちょっと違うのである。
 見えないバリアのようなものを発しているように見える。
 おそらくは仕方がないことなのだろう。サクヤに告白するほとんどは見た目だけで告白してきているのだから。

 そういう意味で俺は他とは少し違う。多分サクヤの容姿が今のものでなくとも好きになっていたと思うからだ。
 性格が好きと言うか単純に一緒にいたい。一緒にいると落ち着くからだ。いまだ正直に素直にはなれないところもあるけど。


 その後はいつものショッピングモールへ行き、とても高校生らしいデートを楽しんだ。
 本当は食事もしていきたかったけど、「夕飯が食べられなくなるじゃない。作ってもらっておいてそれはダメよ」と止められた。
 もっともな理由だし、サクヤが俺の母親を気遣うという状況が嬉しい。うちの場合嫁姑でもめることはなさそうだ。なにせその嫁を育てたのが姑でもあるのだから、責めるに責められないだろう。

 それに、多分二人に怒られるのは俺の仕事だ。後は父さんか。

 借りた映画はホラーが一つとサスペンスが一つ、それにアクションもの。
 恋愛ものはべたすぎて借りはしなかった。

「無理に他の恋愛を重ねることないでしょう。私たちは私たちの好きなようにすればいいの。誰かの理想みたいなものを重ねようとするから無理が生じるのよ」

 とサクヤは言った。完全に同意である。イケメン俳優と美人女優の恋愛が失敗するなど考えられない。しかも完璧なおぜん立てのほか劇的な出会いまであるのだからなおさら。

「憧れないわけじゃないけれど、冷静に確率を考えると多分私たちの方がよっぽど劇的で低い確率よ。それに私は恋に恋しているわけではないの。ユウに恋しているのよ」

「──今日はデレデレだな?」

「いつもそのつもりなのだけれど……もっと言って欲しい?」

「いや、ゆっくり聞かせてもらう。すぐ聞いちゃもったいない」

「今日は告白なんて言う面倒なイベントもあったから余計かも」

「面倒って……可哀そうだなあの人、せっかくイケメンなのに」

「へぇ、あれがイケメンなの?」

「あれって……逆にどれがイケメンなんだよ、あの人でダメなら」

 どう見たってイケメンだった。高校生のうちに百人切りできそうな。

「そうね、私より背が高くて」

 まぁ普通だな。サクヤはちょっと大きい方だけど、平均身長があればサクヤよりは大きい。

「手が大きくて」

 これもまぁサクヤから比べれば大抵の男はそうだろう。

「優しくて」

 最低条件だ。というか優しくない男が好きっていうのもあまり聞いたことがない。

「頑張り屋で」

 男女問わず素敵だ。目標のために努力する姿は美しい。

「ちょっとスケベで」

 性欲がないというのも問題だろうしな。特にサクヤの場合。

「私のことが好きでずっと見てくれる」

 これも当然一般論。そうじゃなきゃ一緒にいる意味がない。
 うん、もう答えはわかっている。でも止めない。聞きたいのだ。

「ユウ」

 勝鬨だ。勝鬨を上げよう。ほら貝はショッピングモールでも売っているのだろうか。
 わかっていたって言われるのは嬉しい。
 性欲むき出しの時とは違い、普段でこういうことを言うときのサクヤはとても恥ずかしそうにする。それがまたいじらしいというかとても可愛い。
 色白な分少し照れているだけでも赤くなるし、こういうことを言うときはそれこそリンゴのように赤くなって目をそらす。
 
「──可愛すぎる……! 叫びたい、世間に知らしめたい」

「し、知らしめるって何を……」

「俺の彼女が可愛すぎるって!」

 ショッピングモール内だ。いっそアリではないか? 叫ぶべきか。
 いや、ダメだ。こんな幸せの時にそんなことをしたら刺殺されるかもしれない。
 人生の幸せゲージが消耗しているのが自分でもわかる。
 
 手を繋いだまま真っ赤な顔を隠すように下を向いているのが可愛すぎる。

「ユ、ユウはどうなの……」

「そりゃサクヤだよ。頭がよくて色々なものを見てて、それでいて俺を好きでいてくれる。本当は恥ずかしがり屋で面倒くさがりなのに面倒見がよくて嬉しいことをたくさん言ってくれて、しかもドスケベなサクヤが大好きだ」

「──ユウが幼馴染で本当に良かった」

 サクヤの声が震えて、握っている手はさっきまでよりも強い力に変わる。

「泣いてる?」

「うれし泣きよ、私もびっくりしてるわ」

「言われると何か俺も泣きそう」

「だめよ、男の子はそんなに泣いちゃあ」

「うん、我慢する……」

 よくわからないけど少し切ない気持ちだ。
 周囲の人には俺がサクヤを泣かせているように見えるのだろう。心配そうに見ている人もいた。特に男だ。残念ながら、そんな隙はない。
 
 帰り道はやっぱり寒い。息はもう完全に白い。
 野暮なのでいちいち温度は調べないが、確か五度以下くらいになれば息は白くなるはずだ。──確か。自信はない。

「ひと月もしたら雪だな……」

「私は結構楽しみよ。クリスマスもお正月もあるし、バレンタインだって冬じゃない。手編みのマフラーなんかも定番でしょう」

「マフラーなぁ、俺どうにもごわごわした感じが苦手なんだよな」

「えっ、そうなの……?」

「──もしかして作ってくれてたり?」

「今度渡そうと思ってもう完成間近……どうしよう」

「いや、使うよ! ごわごわくらいどうってことない!」

「──困らせようとしているわけではないのよ。聞かないで作っていた私が悪いの。ユウはいつも何も着ていないわりに寒い寒いって言うじゃない? だからどうかなと思ったんだけれど……」

「貰う。絶対貰う。やっぱりあげないって言われても貰う。まさかこんなサプライズがあったとは」

「ちょっと複雑な気持ちだけれど……出来については安心して。自信作よ。毎年作っていたからクオリティは売っているのとそんなに変わらないわ」

「毎年作ってたの?」

「お父さんのとユウの分をね。ちなみにユウのお父さんにも毎年あげているわよ?」

「え、あれ買ったやつじゃないのか!?」

 ちょっとショックだ。まさか自分の父が毎年サクヤからプレゼントをもらっていたなんて。しかも手編みのマフラー。
 サクヤは面倒くさがりなのでそんなことをするイメージがない。それに、サクヤの言う通りクオリティが高い。だからこそ余計にサクヤが作ったものだとはつながらなかった。

「なんで父さんズだけ……?」

「──渡せるわけないじゃない。もしいらないって言われたり、フラれたらどうするのよ。立ち直れないわ」

 俺が貰っていたら舞い上がっていただろう。マフラーが大好きになっていたかもしれない。
 
「貰ってたらすぐ告白してたかも」

「──結果だけ言えばそうだったみたいね。それでも毎年怖くて怖くて渡せなかったの。バレンタインとかは義理チョコとか言い訳のしようもあるけれど、マフラーはそれもできないから」

「そのマフラーって捨てちゃった?」

「いいえ、今も私の部屋のクローゼットにあるわ。──私の片思いの歴史ですもの。毎年新しいのを編むときに見たりするの。最初のほうのなんてやっぱりでき悪くて恥ずかしくて笑ってしまいそうになるわ。あげなくてよかったって」

 自分の鈍感さが嫌になる。
 毎年どんな気持ちで編んでくれていたのだろう。渡せなかったものをしまうとき、どんな気持ちで過ごしたのか。
 表面上はいつも通りだった。何も変わらない、いつものサクヤだった。でもきっと違った。何かサインを出していたはずだ。その証拠に、今のサクヤの表情は笑っているのに少し切なげで寂しげに見える。

 告白にしてもサクヤに任せてしまった。
 ありとあらゆる点で助けられている。
 サクヤは別に特別強いわけではないのだ。ただ表面にそれが見えないだけ。
 ──なんて情けない。

「サクヤ、高校の卒業式の帰り結婚しよう。そのまま婚姻届け出してさ。式はすぐには無理だけど大学入ったらとか、就職してからとか先延ばしにするのはやめる」

「き、急にどうしたの?」

「急じゃない。ずっと思ってた。だけどどこか勇気がなかったんだ。改めて決心がついた。──サクヤ、結婚してくれ」

「そんなの……『はい』以外ないじゃない……」

 サクヤは再び泣いた。
 ああ、こういうときなんだ。
 こういう時に抱きしめたりキスをするのだと、その時初めて知った気がする。
 性欲を超越したような感情。多分、これが愛情だ。

 温度は寒いが、俺の腕の中のサクヤは暖かい。
 ふと空を見上げてみる。上を向いていないと俺も泣いてしまいそうだったから。
 オリオン座と北斗七星くらいしか俺は知らないけど、その日の夜空は綺麗に星が出ていた。


 
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