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第十四話 世界は思っていたより混沌

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「ごめんなさい、サユリ」

「貴方の気持ちには応えられない」

 ユウ、どういうことなの。
 私がこう答えるくらい、きっとわかっていたでしょうに。

「いいの。わかっていたから。だから言えなかったんだから」

 ユウがいなくなって、サユリはますます泣きじゃくる。
 大切な友人の変貌に、少し動揺があった。
 ユウの表情は悲しそうで、何かをサユリに感じていたのかもしれない。

「私はユウのもの。細かいところまで全てが。そのために生きているの」

 私はユウ以外の誰のものでもない。
 他の誰のものでも、私のものでもない。

「わかってるよ! 誰が見たって、サクヤは市場が好きにしか見えないから!」

 泣いているサユリにどう応えればいいのか、わからない。
 まさか私のことが好きだとは思わなかったから。
 あのかっこいいユウのことが好きだと疑わなかったから。
 どんな有名人よりも有能でかっこよくて、それでいて優しいユウ以外、選択肢が思い浮かばなかったから。
 ユウ以外の男なんて、可燃か不燃かくらいの違いしかない、路上のごみにしか見えなかったから。

「サユリ。サユリのことは好きよ? でもそれは大切な親友という意味で、性的な対象ではないの」

「普通、そうよ。私だって気づくまで時間がかかったもの。でもサクヤのことを考えると体が熱くなって、仕方ないの!」

「それで、どうしたいの?」

 多分、私がユウとしたいこと。
 それはわかっている。

「キスしたり、裸で、くっつきたいの。私の気持ちいいところと、サクヤの気持ちいいところをくっつけあいたいの」

 どうすればいいのか。
 そういう人種がいることは知っていた。まさかサユリがそうだとは思わなかった。
 ユウは私の好きにすればいいと言っていた。だけど、私はユウ以外には見られたくない。
 それに性器は絶対にユウだけのもの。
 興味があった大人のおもちゃも、ユウががっかりしないためにずっと我慢していた。
 もし緩くなったりしていれば、きっとユウはがっかりすると思ったから。
 それに最初に入るのはユウがよかった。
 ユウが入ってくれた時のため、ユウのことだけを考えて、ユウのおちんちんだけを想像してずっと自慰に励んでいたのだから。
 ユウが私を貫いてくれることだけを想像していたのだから。
 二人で気持ちよくなることだけを考えていたのだから。

「ごめんなさい。サユリ。それは、それだけはできないの。私はユウが好き。ユウ以外には見せられないの。それがサユリでも」

 私は生涯ユウだけでいい。ユウだけがいい。
 一生、ユウに愛されていれば、その他は何もいらない。
 それ以上なんて、何もいらない。

「わかってるよぉ……こんなの叶うはず訳ないなんて、私が一番わかってるよ……」

 泣いているサユリを思わず抱きしめてしまう。
 きっとユウは、これくらい許してくれる。私の愛している人は、そういう人だ。

 サユリは私の胸の中で泣いている。きっとユウがいなければ受けていると思った。
 でも、私にはユウがいて、サユリにはきっと他にいい人がいる。私にとってのユウのような、そんな人が。
 こんなに可愛い子を他の人が放っておくはずがないから。

「ごめんね、ごめんねサユリ。嫌いじゃないよ、好きだよ」

「わかってる。わかってるよ、サクヤ。ごめんね、ごめんね?」

 二人して泣いた。私が悪いのはわかっていても、それでもサユリの思いには応えられない。
 私には愛している人がいるから。
 それだけは生涯変わらないから。

「最後に、最後にキスだけしてもいい? それで終わりにするから」

 サユリのその問いかけに、私は拒否権がない。
 ユウへの裏切りにも思えても、大事な親友のお願いに、私は断ることができなかった。

 ちゅ、と舌は入れない、唇だけのキス。
 涙を流すサユリのキスに、私も涙が流れる。
 きっと、今までとは関係が変わってしまうのだろうと思うと、涙が止まらない。


「ごめんね。こんなこと言われても、困らせちゃうだけだったよね」

 サユリはいつものように笑う。目元は赤く、罪悪感がこみ上げる。
 私にとっては一番の親友で、サユリにとっては恋の相手だったと思うと、自分がユウに受け入れられなかったような、そんな疑似体験をしてしまう。

「サユリ、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 思わず泣いてしまう。きっとサユリは自分の未来の一つ、ユウに受け入れられなかった未来だと思うと、涙が止まらなかった。
 もしユウが誰かと付き合っていたら、きっとサユリと同じ気持ちになっていたのだと思うと、涙が止まらない。
 眼鏡が邪魔だった。ユウのベッドに放り投げ、あふれ出る涙を両手で受け止める。

「サクヤ、サクヤぁ! ごめん、私こそごめん! 本当は言うつもりはなかったの、一生このまま、黙っているつもりだったの! どうしたって割り込めないのくらい、わかってたから!」

 わんわん、と、二人ともが大声を出して泣く。
 下にユウのお母さんがいることがわかっていても、声が抑えられない。
 抱きしめあって、それでいてそれが愛によるものではないことを二人ともがわかっている。


 ガチャリと、ユウの家の扉が開くのがわかった。
 多分、ユウが帰ってきたのだ。

「ユウ、大丈夫? だいぶ修羅場のような気がするんだけど」

 ユウのお母さんの声がした。心配そうな声だった。
 大丈夫、というユウの返答が聞こえる。
 きっとユウは今の状況が大体わかっているのだろうと思う。
 謙遜していても、ユウは頭がいい。
 私の愛している人はそういう人だ。

「う、ぐす、ぐす」

 サユリは泣きながら、私の胸に顔をうずめ、声になっていない声を発していた。
 愛おしい気持ちと、それでも変わらないユウへの気持ち。
 どうしたらいいのかわからず、サユリを抱きしめる。

 トン、トン、とわざとらしい音を立てて、ユウが階段を上がってくる。
 普段なら立てないような、そんな音。きっとサユリにも聞こえるようにしているのだと思った。
 サユリを少し離し、ユウが部屋に入るのを待つ。

「黒田、落ち着いたか?」

 そう言ってユウはコンビニ袋から飲み物を取り出す。
 私がいつも飲んでいるカフェオレと、サユリが飲んでいるミルクティーだった。
 きっとユウは必死に思い出して買ってきたのだと思う。
 あまり、興味がなさそうだったから。

 私はこんなに動揺しているというのに、ユウは冷静だった。
 こんなの、かっこよすぎる。

「うん、ごめん、ごめんね、市場」

「いや、いいよ。ある意味では同志だし」

 ユウはなんとも歯切れ悪く言う。 
 サユリは泣きはらした目をユウに向けていた。

 サユリは自分の顔をぱんっ、とたたき、こちらに向き直る。

「ごめんね、変なこと言って。これからも友達でいてくれる?」

 まるでいつものような口調で、サユリは私に言った。

「ええ、勿論。私だって、親友を失いたくなど、ないもの」

 私もいつものように、何とかして答える。
 声が震える。声が出にくい。

「じゃあ、私は帰るね。サクヤ、市場、また月曜日ね。今日のことは、忘れて」

 いつも通りの口調だったのは途中までで、最後のほうは小さな声で、悲しそうに言った。

 パタンと小さくドアが閉まり、サユリは部屋を出ていく。
 そして少ししてから、挨拶の言葉と、玄関のドアの音がした。

「ユウ、どうして私をサユリと二人にしたの?」

 不安だった。

「……わかってもらえるかはわからないけど、あいつだってサクヤが好きだったんだ。気持ちもわかる。だからちゃんと伝える機会をあげたかったんだよ。……自分が重なったんだ」

 サユリは私たちどちらの未来でもあった。
 好きな人に受け入れてもらえない、そんな可能性。
 ユウも同じことを考えていたらしい。

「優しいのね」

 それがどんな理由であれ、ユウはサユリを気遣った。
 その事実だけで、私はやっぱりユウが好きだと思える。

「どうなんだろうな、優しいのか、どっちかって言うと、自分のためみたいな気もする」



「さっきの子、泣いてたわ。あまり女の子を泣かせちゃだめよ」

 すっかり性欲どころではなくなり、サクヤと一階に行く。
 夕食の準備をしているのはわかっていたので、手伝いも兼ねて。

「あの子はサクヤが好きだったらしいんだ」

「理由を聞いてるんじゃないわよ。泣かせるなって言ってるの。どんな理由だってあんたの前で泣かせたならあんたの力不足。そんなんじゃ、いつかサクヤちゃんも泣かせるわよ」

「…………」

 今日は妙に怒られている気がする。
 何かできたのだろうか。俺に、俺なんかに。

「いえ、ユウは悪くなくて、私が悪いんです。どうしたらいいかわからなくて」

「難しいわね、実際。たまにいるのよね、そういう子。でも大丈夫よ。失恋くらい、誰だってするもんだから」

 サクヤの心中は俺にはわからない。
 ただ、きっと複雑だろう。俺が遠藤や畑山に告白された時を考えれば、ぞっとする。


 そして夕食時。
 父も帰ってきて、サクヤも交えた四人で食べる。

「へぇー、そういうのもあるんだな」

 父はサクヤが女子に告白されたと聞いて、そんな気の抜けた返事をする。

「大変だったんだぞ」

「まぁ人生にはそういうこともあるさ。いや、そんなことしかないかもしれんぞ」

 いきなり絶望的な未来の提示。

「月曜日からどんな顔をして会えばいいのかしら」

 サクヤは下を向き、独り言のようにつぶやく。

「ああ、そういうのはな、今まで通り接してあげるんだ。間違っても変な距離を開けたり、近づいたりしてはだめなんだ。フラれた相手に距離を置かれるのは、つらいからな。なぁ母さん」

「私は距離なんて置かなかったじゃない」

「え、どういうこと? 父さん、母さんにフラれたの?」

 ならなぜ今こんなことに。

「おお、フラれたぞ。何回かもわからんほど」

「百四十二回よ。百四十三回目で私が折れたの」

 わが親ながら衝撃。立派なストーカーじゃないか。
 サクヤまでがぽかんとした顔をしていた。

「小学校の頃からずっと告白しててな。大学の時にようやく折れてくれたんだ」

「なんやかんや結婚とかを考えるような年になってくると、小さい頃からずっと好きだって言ってくれるこの人がいいな、って思ったのよ」

 両親は目の前で惚気る。
 実際、仲は良い方だと思う。喧嘩もあまりしないし、この前は現役であることまで言っていた。聞きたくはなかったけど。

「そういうことで、明日から父さんたちいないからな」

「いやいや、唐突すぎだろ! どういうことだよ!」

「実は明日は結婚記念日なんだ。だから土日を使って温泉に行こうと思ってな。あ、サクヤちゃん、あいつらも勿論一緒に行くから。明日の朝出て、日曜日の夜に帰ってくる」

「毎度毎度嵐のように行動するよね」

 俺の両親はこういう人たちだ。妙に短絡的というか、それでいて用意周到というか。

「それでなんだが、二人にプレゼントだ。まずはこれ」

 現金五万円。これは生活費も兼ねているのだろうと思った。

「そしてこれ」

 コンドーム五箱。しかもちょっと高い薄い奴だ。普段なら手が届きにくいものだった。

「っておい! 食卓になんてものを!」

「んー? いらんのか?」

「いや、貰うけど……」

「そして最後に。これだけは使わなくてもいい。お前たちの判断に任せる。もし使うのであれば、しっかりと理解しろ」

 錠剤。それがなんであるか、直感で理解する。

「アフターピルというものだ。最近のはあまり副作用もないらしい。だがゼロじゃない。ユウ、わかるな? 大事に思うならなるべく使うな。これはあくまで緊急用だ。使うような状態にならないこと、それが大前提だ」

 そういいながら、コンドームの箱を指さす。

「……うん、わかってるよ」

「妊娠させるのは高校を卒業してからにしなさい。結婚自体はしたいなら在学中でもいいけど。大体お前は幸せ者だぞ。一回もフラれていないんじゃないか? うらやましい限りだ。現状に満足しろ、とまではいわないが、節度は持てよ。まぁ俺たちは明日明後日いないけど」

 たまに真面目な話をする。
 普段は比較的軽薄なイメージではあるものの、それでも大人なのだ。
 最後、けしかけてた気もするけど。


「今日はやる気が削がれるようなことが多いわね」

 サクヤはベッドの上に座って、疲れたような表情をしていた。
 完全に同意だった。
 黒田の告白は想定外すぎるものであり、その他にも色々と怒られたのが大きい。

「だな。一周回って我慢できそうだよ」

「明日明後日はホントに二人きりみたいね」

 父に言われた言葉が引っ掛かる。
 欲望に任せていいのだろうか、と。
 多分、サクヤに聞いたらそれでいいと言うんだろうけど、どうなんだろう。

「なぁサクヤ。あの薬、どう思う?」

「そうね……ユウのお父さんの言うとおりだと思うんだけれど、いずれ助けてもらうことになると思うわ。具体的には明日明後日」

「具体的すぎる」

「ユウ、我慢できるの? 私が駄々をこねて生がいいって言っても。絶対に駄々をこねるわ。確定事項よ」

「いやでも薄い奴貰ったし」

「薄い薄くないじゃないの。興ざめなの。あれのメリットなんて中の精液が飲みやすいくらいしかないわ」

「心も体も一つになりたいのに、あんな隔てり」

 サクヤは吐き捨てるように言う。ストレスでも溜まっているのだろうか。いや、性欲か。
 ストレス自体もあるのだろうけど。

「ああ言われちゃ正直やりにくいんだよなぁ」

 わが親ながらなかなかに脅威だった。実際真面目に言われてしまうと自分たちが間違っていることを自覚させられる。子供の分際で子供を作ろうとしているのだから、間違いだろう。

「私は生がいい。孕まされたい。それでも薬があるならそれを使ってはしまうけれど。まだ早いことくらい、私だってわかっているから」

「俺だって、多分、孕ませたい。いつもサクヤの中に出すとき思ってる。本能なのかな」

「う、嬉しい。まさかユウからそんな言葉を聞けるなんて。むらむらする、すごく。今すぐ孕ませて?」

「明日までは我慢だろ。サクヤが言い出したんじゃないか」

 それに、不思議とそういう気分ではなかった。
 もっとも、始めてしまえばそんなもの消え去っていくだろうけど。

「こんなに明日が待ち遠しいなんて。ユウ、明日は甘えさせてね?」

「二日間、寝て起きてえっちするだけの爛れた日々を過ごしましょう? サユリには申し訳ないけれど」

 忘れたわけではないようだ。
 サクヤが少しでも元気になるように努力することにする。

「それにしても、今日は疲れた」

 気疲れしていた。
 椅子の背もたれに体重をかけ、頭を天井に向ける。
 見上げた天井はいつもと変わりない。
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