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4章
4.
しおりを挟む徳川が何か企んでいる――というのに早いうちから気がついたものの、何をすることもできずに一週間二週間と過ぎた頃。
それは、最悪の展開を迎えた。
「――不当請求、と言いましたか」
正成の厳しい声が応接室に響く。
パウロニアよりひとまわり大きい徳川ホールディングスの応接室には徳川と正成、そして織之助の三人しかいない。
徳川から緊急の話があると言われて呼びされたのが昨日。織之助は無理やりスケジュールを空けて、なんとか同席することができた。今回、秘書たちは別室で待機している。
正真正銘三人だけの空間である。
そんな中で告げられた不穏な単語に、正成は思いきり眉を寄せた。
「ええ。ウチへの請求の一部が不当であるという話を聞きましてな」
わざとらしいほど悲しげな表情の徳川が目を伏せる。
その演技見え透いた演技に虫唾が走ってしょうがない。
「はは……まさか。嘘もいいところだ」
「おや。信じておられない」
ニコリともせず声だけで笑い飛ばした正成に、徳川は片眉を上げた。
「信じられるはずがないでしょう。そんなことありえない」
「――こちらを見ても?」
机に置かれたのは二枚のプリントだった。
一枚は請求書と納品書をコピーしたもので、もう一枚にその詳細が書かれている。
「中身を見ていただくとわかると思うが、結構な額の請求をパウロニアさんからされていましてねえ」
ざっと目を走らせて内容を確認する。どうやら過去の取引における請求額がおかしい、ということらしい。
記載されている単価と納品数を計算しても、特に総請求額は相違がないように思えるが――……いや。
「単価が高い」
つぶやいた織之助に、徳川は満足げに頷いて二枚目を指差した。
そこには正しい単価が書かれてあり、金額の差がひと目でわかる。
「勇気ある方が通告してくれたおかげで気付けたのだが――いやしかし、これは大問題ですぞ」
通告したのはいったい誰だ、と聞きかけて止まる。
言い方からしてパウロニア側の人間だろう。そうなると徳川が口を割るはずがない。できるだけこちら側で泳がせて状況を探ろうとするはずだ。
奥歯を噛んだ織之助の隣で、正成が冷静に声を発した。
「なぜ、警察に突き出さないのです」
「取引しようと思ってな」
ぎらりと徳川の瞳が嫌に光る。
最悪の展開だ。
――こんな不当請求あったはずがない。
正成も織之助も、徳川が絡む取引はほかと比べ物にならないくらい慎重を期していた。
見せる資料のひとつに至るまでの最終承認はどちらかが行っていたし、不当請求できる隙など社員に与えなかった。
だが目の前には不当請求の証拠があり、それを否定できるものがこちらにはない。
不躾な視線が徳川から正成に注がれた。
「完全に我が社の傘下に着くというのなら、この事実は黙っていよう」
「それは……!」
「もしくは」
もったいぶるように間を取った徳川に悪寒が背筋を走る。
「秘書の土屋さんとやらを息子の嫁にしたい」
徳川がにやりと下瞼を持ち上げて皺を刻んだ。
その下品な笑い方が腹立たしさを増幅させる。
「……前者はわかります。ですが後者は会社と関係ないでしょう」
口を挟んだのは織之助だった。
怒りで震えそうになる拳を抑えつけて、努めて冷静に訊く。
そう言われるのを予想していたのか、徳川は特に顔色を変えることなく答えた。
「桐野くんと土屋さんは古い知り合いだと聞いている。入社一年目で社長秘書に抜擢されたのもその縁故によるものだろう」
とんとん、と徳川の指が二回机を叩いた。
「そんな彼女と息子が婚姻を結ぶ……。信吉、ひいては徳川のことを邪険にはできなくなるのではないか?」
(暴論だ)
政略結婚的な意味合いを持たせたいのかもしれないが、鈴と正成に血縁関係はない。ただの昔馴染みというだけだ。
そもそも徳川をないがしろにしたことなど一度もないだろう。
「邪険に扱うなど――」
「三つも選択肢を与えてやったぞ?」
正成の反論に徳川が被せて言葉を奪った。
立場が弱いだけに取り返せず、徳川が続ける話を聞くしかできない。
「大人しく会社を買収されるか、不当請求を公にし刑事罰を受けるか――、息子と土屋さんが婚姻を結ぶか」
――ああ、くそ。
これじゃあ前世と同じじゃないか。
「一週間猶予を与える。それまでよくよく悩まれるが良い」
そう言って、徳川は高笑いが聞こえてきそうなほど笑みを深めた。
◇ ◇ ◇ ◇
「まずは事実確認からだ」
「はい」
会社に戻るや否や、正成は過去の徳川との取引データをひっくり返した。
「絶対どこかに無実を証明できるものが転がっているはず」
「顧問弁護士には連絡しておきます」
「ああ。雪にも頼む」
「わかりました」
できるだけ内密に事を進めなくてはいけない。
徳川との取引を改ざんできる人物なんて限られている。どこに敵が潜んでいるかわからないのだ。
本当に信頼できる相手にしか、調査を頼めない。
「――徳川の思いどおりになんぞ、させてたまるか」
正成が視線を尖らせた。
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