上 下
43 / 63
4章

2.

しおりを挟む

 
 鈴が雪に呼び止めれられる数十分前。

 至急話したいことがあると言って正成に呼ばれた織之助は、慣れた手つきで社長室のドアを開けた。
 社長室には士郎がいて、正成はまだ来ていないようだった。
 その士郎がぱちりと瞬きをして織之助を捉え――「織之助」と神妙な声で呼んだ。

「……なんだ」

 珍しく真面目な顔つきの士郎に自然と緊張感が生まれる。
 普段は調子のいい男だが、へらへらとした笑みを潜めるとそれなりに威圧感が出る。
 正成とはまた違うオーラを持つ士郎を織之助はまっすぐに見た。
 視線を受け止めた士郎はすうっと息を吸い、真剣な表情のまま口を開く。

「おまえ、鈴に手ェ出したな」
「……は?」

 真面目なトーンで訊かれた内容がまったく予想外のもので、思わず眉を寄せた。

「あー! 否定しない!」

 織之助を指差して士郎が叫ぶ。「うるさい」と言った声はたぶん士郎に届いていない。
 ――否定しなかったというよりは、呆気に取られていたのが正解なんだが。
 とはいえ、士郎の言っていることはあながち間違いでもない。かといって肯定するのはなんとなく癪に障るのであえて何も言わないでおく。
 そんな織之助に気づいているのかいないのか、士郎はなにやら興奮した様子でまくしたてた。

「絶対そうだと思った! 鈴めっちゃかわいくなってんだもん。なんか腰のあたりが色っぽくなってんだもん!」
「……おまえはどこを見てるんだ」

 織之助がため息を吐く。
 勘がするどいのは結構なことだが、その視点がやや気に食わない。

(なんだ腰が色っぽいって)

 そんな目で鈴を見るな、と言いかけた口は、ガチャリというドアの開く音によって止められた。
 ノックなしに社長室に入ってくるのは一人しかいない。
 士郎はその姿を確認するや否や、飛びつく勢いで正成の元に走った。
 
「正成! 正成ー!」
「何事だ……」

 その勢いに圧倒されて正成が怪訝な顔をする。
 もちろんそれに怯む士郎ではなく。

「鈴が食われた! 鈴が織之助に食われたぞ!」
「は……? は⁉︎」

 士郎の発言を噛み砕いて、正成が目を剥いた。

「士郎、その言い方やめろ」

 下品な言い方に苦言を呈すも、その声は士郎どころか正成にも届いていないようだった。

「織之助! おまえ、今の話は本当か⁉︎」

 ツカツカと焦ったように距離を詰める正成に思わず後ずさる。
 前世でも似たような展開があった――というのは三人共通の認識だったらしい。
 まずそれを持ち出したのは正成である。

「いつかみたいに鈴を守るための嘘だとかなんだとか言わないな……⁉︎」
「そういえばそんなこともあった……!」

 士郎が思い出したように手を叩き、それから「いや」と短く否定をした。

「今回はガチだろ。じゃなきゃ鈴のあの顔の説明がつかねえ」

 一人で勝手に納得して頷く士郎を横目に、正成は強い眼光で織之助を見たまま逸らさない。
 ――いずれ言おうとは思っていた。
 けれど、なんというか。

(……変に気恥ずかしいな)

 過去からのあれこれを知られているから余計。
 恋愛下手だとか、拗らせてるだとか、散々からかわれたのも苦い記憶としてしっかり残っている。
 
 正成と士郎の二人からまっすぐ視線を向けられて、織之助はなんとなくいたたまれない気持ちになった。

「まあ……そういうことです」

 観念して肯定した瞬間、社長室がシン……と静まり返る。
 あれだけ騒がしかった士郎と正成がぴくりとも動かない。織之助はこの部屋で備え付けられた時計の音を初めて聞いた。
 それから五秒ほど経って、ようやく士郎が息を吐く。

「……う、わ……」

 呻きにも似た声が士郎の口から漏れ、正成も「織之助……」と一字一句噛み締めるように言葉を出した。
 大きく呼吸をしながら、士郎がいつもより早いスピードでまばたきをしている。
 くりっとした瞳が潤んでいるのは見間違いじゃない。

「待って、俺泣いてない? 大丈夫? まだ涙こぼれてない?」
「大丈夫だ、ギリギリ」
「よかったー。泣くのは結婚式まで取っとかないと……、って正成」
「泣いてない」

 言いつつ正成が目元を雑に指で拭った。

「正成様……」

 思わず驚いて名前を呼んでしまう。
 泣かせるほどのことだったか。
 すん、とちょっと赤らんだ鼻を鳴らした正成は、ぽつりぽつりと感慨深げに言葉を紡いだ。

「いや……、織之助が引くくらい拗らせてるからどうなることかと思ってたんだ」
「え」

(引くほど……?)

 拗らせてるとは再三言われてきたが、まさか引かれているとは思わなかった。それも正成に、だ。
 予期しない角度からの攻撃にショックで動けなくなった織之助を置いて、士郎は正成の言葉にうんうんと頷いている。

「ほんとになあ。よかったよ……俺も前世のときからずっと心配で……やばい、泣く」

 言葉途中で感極まったらしい士郎が手で顔を覆ったところで、三度ほどドアがノックされた。

「おはようございまーす。……え、士郎さん泣いて……?」

 正成が許可を出す前にドアを開けて入ってきたのは雪である。
 一番ドアの近くにいた士郎の目元が赤くなっていることに気づいて、驚いたように目を瞬かせた。

「雪広ぉ……!」
「雪です。……なんですかこれ?」

 縋りつきそうな士郎を冷静に流した雪が正成と織之助に助けを求める。
 さらりとそれに応えたのは正成だった。

「放っておいていい。調査の報告をしに来たんだろう」
「そーですけど……」

 いまいち納得がいかなかったらしい。雪は少し考え込むようにして三人をそれぞれ見渡し――

「あ、もしかして鈴絡みでなにかありました?」

 人差し指を立てた雪に、士郎が我が意を得たりとばかりに食いついた。

「そうなんだよ! ついに!」
「えっ! ついに!」

 主語がないのに伝わっている様子に織之助が眉を顰めた。

「……なんでそれだけでわかるんだ」

 怪訝そうな織之助に近寄った雪は質問を無視して、その肩をバシバシと叩いた。

「織之助さん遅いですよー。あれで案外鈴モテるんですから」
「かわいいもんなー。年上に可愛がられる感じ」

 肩を叩く手を振り払った織之助ではなく、なぜか士郎が頷いて応えた。

「そうですそうです。実際開発部にいたとき、先輩に告白されたりとかしてましたよ」
「あー、やっぱ?」

 なぜかわかったふうの士郎に腹が立つ。
 
(鈴がモテるのは前世から知ってる)

 ころころ変わる表情はわかりやすくてかわいいし、なにより鈴は人の懐に入るのがうまい。
 本人は無自覚だろうが、ついつい世話を焼きたくなる――そんな雰囲気を持っている。

(やっぱりもう少しわかりやすく牽制しておくか)

 織之助が心の中でひっそりと思っていると、正成がパチンと手を打った。
 
「無駄話はそこらへんにしろ」
「ええー、正成もノッてたくせに」
「うるさい。で、雪。なにかあったから報告に来たんだろう」

 士郎の文句を軽くいなして、雪のほうを向く。
 視線を受けた雪は今までの明るい表情を消し、神妙に口を開いた。

「そうなんです。実は――」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一夜限りのお相手は

栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

隠れ御曹司の愛に絡めとられて

海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた―― 彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。 古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。 仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!? チャラい男はお断り! けれども彼の作る料理はどれも絶品で…… 超大手商社 秘書課勤務 野村 亜矢(のむら あや) 29歳 特技:迷子   × 飲食店勤務(ホスト?) 名も知らぬ男 24歳 特技:家事? 「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて もう逃げられない――

【完結】maybe 恋の予感~イジワル上司の甘いご褒美~

蓮美ちま
恋愛
会社のなんでも屋さん。それが私の仕事。 なのに突然、企画部エースの補佐につくことになって……?! アイドル顔負けのルックス 庶務課 蜂谷あすか(24) × 社内人気NO.1のイケメンエリート 企画部エース 天野翔(31) 「会社のなんでも屋さんから、天野さん専属のなんでも屋さんってこと…?」 女子社員から妬まれるのは面倒。 イケメンには関わりたくないのに。 「お前は俺専属のなんでも屋だろ?」 イジワルで横柄な天野さんだけど、仕事は抜群に出来て人望もあって 人を思いやれる優しい人。 そんな彼に認められたいと思う反面、なかなか素直になれなくて…。 「私、…役に立ちました?」 それなら…もっと……。 「褒めて下さい」 もっともっと、彼に認められたい。 「もっと、褒めて下さ…っん!」 首の後ろを掬いあげられるように掴まれて 重ねた唇は煙草の匂いがした。 「なぁ。褒めて欲しい?」 それは甘いキスの誘惑…。

副社長氏の一途な恋~執心が結んだ授かり婚~

真木
恋愛
相原麻衣子は、冷たく見えて情に厚い。彼女がいつも衝突ばかりしている、同期の「副社長氏」反田晃を想っているのは秘密だ。麻衣子はある日、晃と一夜を過ごした後、姿をくらます。数年後、晃はミス・アイハラという女性が小さな男の子の手を引いて暮らしているのを知って……。

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

処理中です...