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2章

4.

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 織之助たちが挨拶を終えて正成と鈴の元へ戻ってきた頃、ようやく徳川の周りが落ち着きつつあった。

「……行くか」
「はい」

 真剣な顔で告げた正成に、織之助が頷く。
 妙に緊迫した空気を感じ取って自然と心音が速まった。
 ――私が覚えてないだけで、前世で徳川さまと何かあったんだろうか。
 キュッとタイを締め直した織之助の横顔をじっと見る。気づいた織之助は小さく目尻を緩めて応えたが、やはりその顔には緊張が滲んでいた。



「徳川さん」
「おおっ、桐野くんか」
「ご無沙汰しております。今回はご招待ありがとうございます」

 外向きの笑顔を張りつけた正成が徳川に軽く頭を下げる。
 声をかけられた徳川は目元に皺を寄せ上機嫌で正成に向かった。

「最近きみの会社の成長っぷりは目を見張るものがあるからな。来てくれて嬉しいよ」
「いえ、弊社など徳川ホールディングスの足元にも及びません」
「はっはっはっ。パウロニアグループが我が徳川グループに入ってくれればより盤石になるんだがなあ」
「ははは」

 正成が笑って誤魔化すと徳川はそれ以上追求することはせず、代わりに目線を正成からずらした。
 値踏みするような視線に晒されて背筋がヒヤリとする。
 まさに――ヘビに睨まれたカエル。
 正成も他者を圧倒するオーラを持っているが、それとはまた違う権力者の威圧感。一対一で向かい合ったらその場にへたり込んでしまいそうな怖さ。
 目があったのは一瞬だったはずなのに、胃の中がひっくり返りそうなほど緊張している。

「ところで、桐野くんが連れているかわいい子は?」

 目を細めた徳川が視線を正成に戻して訊いた。
 瞬間、正成と織之助の顔が強張ったのは気のせいだろうか。

「秘書の……土屋です」

 不自然にならない程度に前へ出て鈴を隠した正成の表情は見えない。
 ただ声がいつもより少し硬いのは、付き合いの長い鈴や織之助にはよく感じ取れた。

「そうかそうか。いやあ、奥さんかと思ってしまったが……二人ともまだ独身かな」
「ええ。お恥ずかしい話なかなかいいご縁がなく……」

 正成が苦笑し、織之助も同意するように首を一度縦に振った。
 それを見て鷹揚に頷いた徳川が再び鈴に視線を向ける。

「秘書のお二人もかね」
「はい」

 古賀は不思議なほどはっきり答えたが、正成にしゃべるなと釘を刺された鈴はどうしていいかわからない。
 視線だけで正成を窺うと気づいたらしい正成が鈴をそっと引き寄せた。
 そして、見たことないくらい優しい目で鈴の顔を覗き込む。

「土屋は心に決めた相手がいるようで――……私もですが」
「!」

 それはまるで正成と鈴が想い合っているとも受け取れる動作だった。
 ぎょっとしたのは鈴ではなく織之助である。
 鈴は驚きはしたものの、すぐにパーティー中に正成と交わした会話を思い出して腑に落ちた。

(……伊都さまのことか)

 自分も、正成も、同じように前世と同じ相手を想っている同志――ということだろう。
 納得してひとつ頷く。途端、織之助の顔が静かに強張った。

「……なるほど、そういうことだったか。いやそういうことなら仕方ない」

 徳川が少々残念そうに笑いを交えて首を横に振った。
 そこに突っ込んだのは正成である。

「仕方ない、とは?」
「わしの息子の一人をどうかと思ったんだがなあ。桐野くんの見込んだ秘書なら間違いないだろうからな」

 何気ないそのひと言に空気がひりついた。――主に正成と織之助の辺りが。
 それに気づいているのかいないのか、徳川は調子を変えず言葉を続ける。

「いやしかし、こんな素敵なお嬢さんがフリーなわけもない」
「ええ。……そういえば徳川さん、最近大阪のほうで――」
 
 強引に話を逸らした正成にほっと息を吐く。
 息を吐いて――無意識に握っていた手のひらがひどく汗をかいていることに気がついた。

(こんなに汗をかくほど緊張してた……かな)

 ただならぬ威圧感を前に怯んだのも、緊張していたのも事実だが、どうもなにかおかしい。
 徳川を初めて見たときに感じた苦手意識。正成と織之助の異様に緊迫した空気。

(なにか、大事なことを忘れているような)

 鈴がぐっと眉間に皺を寄せる。

「――では、またいずれ」
「ああ。近々」

 正成が切り上げ、徳川が満足そうに唇を歪ませた。
 小さく「行くぞ」と声をかけられて、先を歩き始めた正成の背中を追う。
 最後にちらりと徳川を振り返ると――なにか意味深な瞳と目があった。瞬間、背筋をぞわぞわっと悪寒が走る。

(……なにこれ)

 慌てて目を逸らしたものの、はやる心臓は誤魔化せない。
 大きくなった違和感を胸に抱きながら、鈴はそっと正成の半歩後ろについた。




     ◇ ◇ ◇ ◇





「これでひとまず鈴をあの狸に会わせることはできた」

 低い声で正成がつぶやく。それに合わせて織之助が重々しく頷いた。
 鈴と古賀はそれぞれ車の手配等をしていて席を外している。
 先ほどまでの喧騒が嘘のように静かなホテルのロビーで、正成と織之助は向かい合ってソファーに座り秘書二人を待っていた。

「牽制もできたはずだ。打てる先手は打った」
「はい」

 長く息を吐きつつ正成が背もたれに寄りかかる。
 反対に織之助は長い足に肘を置いて前傾姿勢をとった。その表情が苦い。

「不服そうだな、織之助」
「いえ。そんなことは」
「そうか」

 笑いを忍ばせつつも深くは踏み込まず、正成が視線を窓の外へ向ける。織之助も倣って外を見た。
 どうやら車の手配が済んだらしい。腕を通さず羽織ったジャケットを落ちないように押さえながら、早足でこちらに戻ってくる鈴の姿がガラス越しに目に入る。

「――手放すなよ」
「……はい」

 剥き出しの肩を隠すように羽織らせたジャケットは織之助のものだった。

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