上 下
18 / 21
2.王太子と王太子妃

15.星の瞬く瞳 △

しおりを挟む
 ハロルドの緑の瞳が自分を映すさまをマリッサは呆然と見つめていた。あれほど見てほしいと願っていたのに、望みが叶ってしまうと嬉しさと驚きとで何も言えない。
 そんなマリッサを机の向こうから目に焼き付けていたらしいハロルドは、ふと微笑んで立ち上がる。彼はマリッサから目を離さないまま歩み寄ってきた。

「……話にはきいていたけど……本当に、とても綺麗な瞳だ……」

 吐息がかかるほど近くで顔を覗き込み、彼はそう囁いた。

 マリッサもハロルドの緑の瞳を正面から見るのは初めてだった。
 いつもは横顔や、あるいは下向きになった瞳ばかりだったので、せっかくだから「ハロルドの瞳もとても綺麗だ」と言いたいのだが、口は話し方を忘れてしまったようで、言葉がまったく出てこない。

「僕が知ってる瞳の青によく似ている。でも、僕が知っている瞳よりずっと美しいよ。青の中で白い光が輝いていて、まるで星の瞬きみたいだ……」

 言ってからハロルドは、しまった、と言いたげな表情を見せる。

「あ、『海の瞳』だったね。海と白波の象徴なんだっけ。ごめん」
「ううん。星の瞬きって、素敵な言葉。空に近いこの国の人らしくて、私はとても好きだわ」

 ようやく出たのは小さな小さな声だったが、彼の顔はマリッサのすぐ目の前にある。どんな小さくとも十分に届く距離だ。
 それに、と続けてから少し迷った後で、マリッサは思い切って続ける。

「……あなたが私を見て、そんな特別な表現をしてくれたんだもの……すごく、嬉しい」
「マリッサ……」

 優しい表情と声で名を呼んだハロルドが様子を変えた。彼の口角と眉が下がり、瞳は不安そうに揺らめく。

「離宮にいる間、僕はたくさんのことを考えたんだ。自分自身のことや、クレアのこと。そして君のことだ。僕は君に酷いことをした」

 マリッサの瞳を見つめながら、ハロルドは話を続ける。

「君の言った通りだ。本当は僕もクレアと兄のことは分かっていた。諦める必要があることもずっと理解していたんだ。だけどクレアを前にして冷静ではいられなくなった。溢れだした気持ちに抗えなくなったんだ」

 ハロルドは視線を床へ落とす。

「だからあの夜、僕を引きとめてくれてありがとう。……そうして、本当にごめん。どれほど謝罪しても君の心を傷つけてしまった事実は変わらない。だからこの後は、マリッサの本心を聞かせてほしい」
「本心?」

 怪訝な声を叱責か、あるいは冷淡さを含んだものとして受け取ったのだろう。ハロルドはきゅっと唇を噛み、こくりと唾を飲むと、覚悟を秘めた視線をマリッサに向ける。

「僕が君にしたことは、愛想をつかされても仕方のないことだ。だから、君が国へ戻ると言うのなら――」
「馬鹿ね、ハロルド」

 眉を寄せたマリッサは、ぴしりとした声を出す。

「私があなたの元へ嫁いだのは半年前よ。その間、確かにあなたは他の女性を見ていたけど――でも私たちはこれから何十年も一緒にいるの。その中の半年だもの、長くなんてないわ」
「……マリッサ」
「あなたは国王になるのだもの。跡継ぎのことを考えるのなら、愛妾を置くのだって仕方ないかもしれない……」

 口では言ってみせるが、本当は他の女性など置いて欲しくはない。

「……だけどその時も、私のことをちゃんと見るって約束して。そうしたら、ずっと一緒にいるわ」

 無理にも微笑んでおどけたように言うと、ハロルドがマリッサの手を取ってきゅっと握る。

「愛妾、か。……確かに今までの僕の様子からするとそう思われても当然だと思う。でも今の僕は、君以外の女性は考えられない。クレアも、含めて」
「……ハロルド……」

 ハロルドが笑みを見せた。今までの笑みとはまるで違う、光り輝くような笑みだ。

「僕ひとりでは正しい道をきっと見つけられなかった。今、こんなに清々しい気分でいられるのも君がいてくれたおかげだ。だから――僕の妃、マリッサ。どうかこれからも僕の傍に居てほしい。これからも僕が道を間違えそうになったら導いてほしいんだ」
「私も正しい道が分かるような立派な人間じゃないわ。迷うし、立ち止まるし、ずるいことだって考えるもの。……だから、道を間違えたなら、ふたりで一緒に探しましょう」

 ハロルドがうなずく。真摯な瞳に見つめられてマリッサの胸が高鳴った。普段は特に何とも思わないのに、今は手袋の薄い布が邪魔だった。彼の体温に直接触れたくて仕方ない。

(……ううん……手袋だけじゃなくて……)

 マリッサの奥の方が疼く。

(……ああ……私、なんだか、変……)

 息が早くなる。何かを望むかのように唇をわずかに開けると、ハロルドの様子が変わる。
 真摯な光を宿していた瞳が猛々しくなり、その姿を見てマリッサの鼓動が大きな音を立て――気が付くとマリッサの顎は、大きな手にすくい上げられていた。

 初めての口付けの印象は「驚くほど熱い」だった。温かいばかりだと思っていた唇が、重ねるとこんなにも熱を持つものだとマリッサは思いもしなかった。その熱さをもっと深く感じたくて目を閉じると、世界は熱でいっぱいになる。
 あまりにも心地良くて体が溶けてしまいそうだと思ったその時、小さなうめきを漏らしてハロルドがマリッサから離れた。

 マリッサの心を少しの落胆と大きな恐怖がおそう。何か粗相をして嫌われたのかと思ったが、熱っぽい瞳をした彼の様子は負の感情からは程遠い。

「……困ったな」

 眉を寄せてため息をついたハロルドは、首をかしげるマリッサに向けて照れたような笑みを見せた。

「この後にはまだ予定があるんだ。……その……マリッサ。今日の夜、会いに来てもいいかな」
「もちろんよ」

 間髪入れずに答えると、微笑む彼は今度は短い口付けをしたあとで「なるべく早く来るよ」と囁いて立ち去る。その後ろ姿は、いつも背筋の伸びたハロルドにしては珍しく、前屈みだった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

5分前契約した没落令嬢は、辺境伯の花嫁暮らしを楽しむうちに大国の皇帝の妻になる

西野歌夏
恋愛
 ロザーラ・アリーシャ・エヴルーは、美しい顔と妖艶な体を誇る没落令嬢であった。お家の窮状は深刻だ。そこに半年前に陛下から連絡があってー  私の本当の人生は大陸を横断して、辺境の伯爵家に嫁ぐところから始まる。ただ、その前に最初の契約について語らなければならない。没落令嬢のロザーラには、秘密があった。陛下との契約の背景には、秘密の契約が存在した。やがて、ロザーラは花嫁となりながらも、大国ジークベインリードハルトの皇帝選抜に巻き込まれ、陰謀と暗号にまみれた旅路を駆け抜けることになる。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...