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2.王太子と王太子妃

15.星の瞬く瞳 △

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 ハロルドの緑の瞳が自分を映すさまをマリッサは呆然と見つめていた。あれほど見てほしいと願っていたのに、望みが叶ってしまうと嬉しさと驚きとで何も言えない。
 そんなマリッサを机の向こうから目に焼き付けていたらしいハロルドは、ふと微笑んで立ち上がる。彼はマリッサから目を離さないまま歩み寄ってきた。

「……話にはきいていたけど……本当に、とても綺麗な瞳だ……」

 吐息がかかるほど近くで顔を覗き込み、彼はそう囁いた。

 マリッサもハロルドの緑の瞳を正面から見るのは初めてだった。
 いつもは横顔や、あるいは下向きになった瞳ばかりだったので、せっかくだから「ハロルドの瞳もとても綺麗だ」と言いたいのだが、口は話し方を忘れてしまったようで、言葉がまったく出てこない。

「僕が知ってる瞳の青によく似ている。でも、僕が知っている瞳よりずっと美しいよ。青の中で白い光が輝いていて、まるで星の瞬きみたいだ……」

 言ってからハロルドは、しまった、と言いたげな表情を見せる。

「あ、『海の瞳』だったね。海と白波の象徴なんだっけ。ごめん」
「ううん。星の瞬きって、素敵な言葉。空に近いこの国の人らしくて、私はとても好きだわ」

 ようやく出たのは小さな小さな声だったが、彼の顔はマリッサのすぐ目の前にある。どんな小さくとも十分に届く距離だ。
 それに、と続けてから少し迷った後で、マリッサは思い切って続ける。

「……あなたが私を見て、そんな特別な表現をしてくれたんだもの……すごく、嬉しい」
「マリッサ……」

 優しい表情と声で名を呼んだハロルドが様子を変えた。彼の口角と眉が下がり、瞳は不安そうに揺らめく。

「離宮にいる間、僕はたくさんのことを考えたんだ。自分自身のことや、クレアのこと。そして君のことだ。僕は君に酷いことをした」

 マリッサの瞳を見つめながら、ハロルドは話を続ける。

「君の言った通りだ。本当は僕もクレアと兄のことは分かっていた。諦める必要があることもずっと理解していたんだ。だけどクレアを前にして冷静ではいられなくなった。溢れだした気持ちに抗えなくなったんだ」

 ハロルドは視線を床へ落とす。

「だからあの夜、僕を引きとめてくれてありがとう。……そうして、本当にごめん。どれほど謝罪しても君の心を傷つけてしまった事実は変わらない。だからこの後は、マリッサの本心を聞かせてほしい」
「本心?」

 怪訝な声を叱責か、あるいは冷淡さを含んだものとして受け取ったのだろう。ハロルドはきゅっと唇を噛み、こくりと唾を飲むと、覚悟を秘めた視線をマリッサに向ける。

「僕が君にしたことは、愛想をつかされても仕方のないことだ。だから、君が国へ戻ると言うのなら――」
「馬鹿ね、ハロルド」

 眉を寄せたマリッサは、ぴしりとした声を出す。

「私があなたの元へ嫁いだのは半年前よ。その間、確かにあなたは他の女性を見ていたけど――でも私たちはこれから何十年も一緒にいるの。その中の半年だもの、長くなんてないわ」
「……マリッサ」
「あなたは国王になるのだもの。跡継ぎのことを考えるのなら、愛妾を置くのだって仕方ないかもしれない……」

 口では言ってみせるが、本当は他の女性など置いて欲しくはない。

「……だけどその時も、私のことをちゃんと見るって約束して。そうしたら、ずっと一緒にいるわ」

 無理にも微笑んでおどけたように言うと、ハロルドがマリッサの手を取ってきゅっと握る。

「愛妾、か。……確かに今までの僕の様子からするとそう思われても当然だと思う。でも今の僕は、君以外の女性は考えられない。クレアも、含めて」
「……ハロルド……」

 ハロルドが笑みを見せた。今までの笑みとはまるで違う、光り輝くような笑みだ。

「僕ひとりでは正しい道をきっと見つけられなかった。今、こんなに清々しい気分でいられるのも君がいてくれたおかげだ。だから――僕の妃、マリッサ。どうかこれからも僕の傍に居てほしい。これからも僕が道を間違えそうになったら導いてほしいんだ」
「私も正しい道が分かるような立派な人間じゃないわ。迷うし、立ち止まるし、ずるいことだって考えるもの。……だから、道を間違えたなら、ふたりで一緒に探しましょう」

 ハロルドがうなずく。真摯な瞳に見つめられてマリッサの胸が高鳴った。普段は特に何とも思わないのに、今は手袋の薄い布が邪魔だった。彼の体温に直接触れたくて仕方ない。

(……ううん……手袋だけじゃなくて……)

 マリッサの奥の方が疼く。

(……ああ……私、なんだか、変……)

 息が早くなる。何かを望むかのように唇をわずかに開けると、ハロルドの様子が変わる。
 真摯な光を宿していた瞳が猛々しくなり、その姿を見てマリッサの鼓動が大きな音を立て――気が付くとマリッサの顎は、大きな手にすくい上げられていた。

 初めての口付けの印象は「驚くほど熱い」だった。温かいばかりだと思っていた唇が、重ねるとこんなにも熱を持つものだとマリッサは思いもしなかった。その熱さをもっと深く感じたくて目を閉じると、世界は熱でいっぱいになる。
 あまりにも心地良くて体が溶けてしまいそうだと思ったその時、小さなうめきを漏らしてハロルドがマリッサから離れた。

 マリッサの心を少しの落胆と大きな恐怖がおそう。何か粗相をして嫌われたのかと思ったが、熱っぽい瞳をした彼の様子は負の感情からは程遠い。

「……困ったな」

 眉を寄せてため息をついたハロルドは、首をかしげるマリッサに向けて照れたような笑みを見せた。

「この後にはまだ予定があるんだ。……その……マリッサ。今日の夜、会いに来てもいいかな」
「もちろんよ」

 間髪入れずに答えると、微笑む彼は今度は短い口付けをしたあとで「なるべく早く来るよ」と囁いて立ち去る。その後ろ姿は、いつも背筋の伸びたハロルドにしては珍しく、前屈みだった。
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