【完結】【R-18】王太子は兄の妻に恋をして、王太子妃は夫からの愛をこいねがう

きしま あかり

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2.王太子と王太子妃

6.王太子の部屋

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 8日目の朝にマリッサは動いた。自室で待つのを止め、ハロルドの部屋まで行こうと決めたのだ。

 今までマリッサはハロルドの元を訪ねたことはなかった。嫌われている王太子妃なのだから、ハロルドが「会ってもいい」と思った時に来てくれたらそれで十分なのだと、ずっと自分に言い聞かせていた。

 しかしこの考えが間違いだったのかもしれないと今になって思う。

 何しろマリッサはハロルドのことが分からない。好きなものは何か。どういったものが苦手なのか。余暇は何をして過ごしているのか。――どうしてマリッサの寝室に来てくれなくなったのか。クレアというのが誰で、ハロルドにとってどういう意味を持つ人物なのかも。何ひとつとして。

(私はハロルドに嫌われている。でも、王太子妃であることには変わりがないわ。だからもう少し夫に対しての遠慮をなくしたって……部屋まで会いに行ったって、いいはず)

 王宮の内部に関しては頭に入っている。マリッサは部屋を出ると、護衛の女性騎士や侍女たちを引き連れて今まで踏み入れたことの無い場所を進み始めた。
 普段は現れないはずの王太子妃を人々がぽかんと見つめ、慌てて廊下の端へ寄って礼をとる。彼らに目もくれず、マリッサは歩み続けた。

 目的の部屋の前には護衛と使用人が立っていた。彼らもマリッサがここへ来るとは夢にも思ってもいなかったのだろう、女性たちの一団を目にして唖然とした様子だった。しかしそれも一瞬のこと。全員がすぐに背筋を伸ばし、きちんと頭を下げた。

「王太子妃殿下。いかがなさいましたか」
「ハロルドへ朝の挨拶をしたいの。取り次いでくれるわね?」

 お待ちください、と言いおいて部屋に入った使用人はすぐに戻ってくると、もう一度丁寧に頭を下げる。

「申し訳ございませんが、王太子殿下はお会いになれないそうです」

 後ろに立つ護衛の女性騎士たちと、更に後ろで控えた侍女たちの息をのむ気配を感じたが、マリッサは使用人の答えを予想していた。

「会えない理由は聞いているかしら?」
「……王太子殿下は、ただいま大変にお忙しく」
「忙しい? 妻に会うたったひと時の時間も作れないほど忙しいのね。――異な事」

 扇を広げて口元を隠し、マリッサは小さく笑う。

「今は朝食を終えた頃合いではないの? 政務を始めるにはまだ時間があるはずよ」
「ですが――」
「言い訳は無用。そこをどきなさい」

 マリッサがぴしりと言い切ると、護衛の女性騎士たちが使用人をつかむ。さすがに扉脇で控えたハロルドの護衛も動くが、今度は彼らをマリッサの侍女たちが取り囲んだ。
 もしもこれがただの侵入者であれば、ハロルドの護衛たちは腰の剣を振るうのに躊躇はなかったはずだ。しかし相手は丸腰の侍女であり、その主である王太子妃も共にいる。王太子から与えられている命令と、目の前にいる妃への遠慮とで板挟みになったらしく、ハロルドの護衛たちはほんの少し動きが止まった。

 その機をマリッサは逃さなかった。足を踏み出すと、動きを察知した近くの侍女が駆け寄って扉を開く。

「お待ちください!」

 使用人が叫ぶが、もちろんマリッサは止まるつもりがない。

「どうか――殿下!」

 使用人のその叫びは、どちらの殿下へ向けられたものだったのだろうか。マリッサが室内に入ると、正面の椅子に掛けていたハロルドが驚いた様子で立ち上がる。続いて、背を向けて座っていたもうひとりもゆっくりと立ち上がり、扉の方を向いて頭を下げた。

 どうやらふたりは香草茶を楽しんでいたようだ。部屋には花の香りが漂っており、間に置かれた机の上には茶器と茶菓子、それに小さな瓶がひとつ置かれている。
 朝食が終わったこの時間に茶を飲んでいるということは、ふたりは食事の時間を共に過ごしたのかもしれない。先日の、朝食の約束をした直後に打ち捨てられたことを思い出してマリッサの胸がずきりとするが、目にした人物への衝撃の前にはそんな痛みなど些細なものでしかなかった。

 ハロルドと机を囲んでいた相手は女性だった。

 頭を下げる前の一瞬で見ただけだが、彼女の年齢は歳は20代の半ば頃だと思われた。
 鮮やかな金の髪を結い上げた彼女の顔はとても整っていて、男性はもちろんのこと、女性の目も釘付けにするであろうことは想像に難くない。そして、そんな彼女の腹部は細い体に似つかわしくない膨らみを見せていた。――新たな命が宿っているのだ。

(子。……一体、誰との……?)

 誰かが訪ねてくるには早い時間に、子を宿した女性が王太子と机を囲んでいる。導き出されるのは嫌な考えでしかなかったが、それでも彼女が身重の体で頭を下げ続けているのは不憫だった。

「そこの方。楽にして構いません」
「ありがとうございます」

 軽やかな鈴の音のような声で言い、女性は頭を上げる。その瞳を見てマリッサは言葉を失った。

 彼女の瞳はマリッサと同じく、海を思わせる鮮やかな青色をしていた。
 この国には青の瞳を持つ者は多く生まれる。マリッサも青の瞳の人物は何人も見た。しかし、ここまでマリッサに近い青の瞳をみるのは初めてだった。

(この人は、誰?)

 閉じた扇を握り締め、マリッサは微笑みを浮かべる。余裕のあるところを見せたつもりだが、本当にできているかどうか自信はなかった。

「良い朝ね、王太子のお客人」
「はい」

 マリッサの言葉に応え、彼女は控えめな笑みを浮かべる。

「申し遅れました。私は、ネイヴィス公ロジャーの妻でクレアと申します。お会いできて光栄です、王太子妃殿下」

 ネイヴィス公ロジャーの名はマリッサも知っている。王太子ハロルドの母違いの兄だ。身分の低い母から生まれたために、順位の低かった王位継承権を返上して臣に下ったと聞いている。

 そして、もうひとつ。

「クレア……」

 その名もマリッサは知っていた。ハロルドが嬉しそうに「クレアが?」とあげた声は、今でも忘れられないのだから。
 果たして彼女とハロルドの関係は何なのか。どうして今、ここにいるのか。問いたいことはあったが、しかしマリッサが何かを言う前にクレアはもう一度、今度はハロルドに向かって頭を下げた。

「妃殿下がお越しになられましたので、私はここで失礼いたします。本日もありがとうございました、王太子殿下」
「あ……」

 片手をあげたハロルドは彼女を引き留めようとしたように見える。しかし小さなため息を吐いて肩を落とすと、不承不承といった調子でうなずいた。

「……分かった」

 王太子から承諾の言葉を得たクレアはゆっくり動き、机の上に置いてあった小瓶を取る。それを大事そうに胸に抱くと、扉の前でもう一度優雅な礼を見せて部屋から出て行った。
 直後は廊下で何かしらの声は聞こえていたものの、やがてそれも静まる。部屋の中に届く音がなくなった頃、視線を床に落とすハロルドがぼそりと言った。

「何で、来たんだ」

 低い声に含まれる明確な非難に気付いて、マリッサの体はすぅと冷えた。
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