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2.王太子と王太子妃
4.海の瞳と誓い
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(……いつかハロルドが、あの絵のように私を見てくれる日は来るのかしら……)
14歳の時にマリッサとハロルドの婚約が成立してから、両国の間ではたびたび絵や手紙の交換が行われた。
マリッサが初めてハロルドの絵を見たのも14歳だった。
あれはハロルドから「婚約してくださってありがとう」と書かれた手紙が届いた時のことだ。マリッサへのたくさんの贈り物と一緒にあったのだ、ハロルドの肖像画だった。
見事な彫刻の施された額に入っていたのは、淡い金の髪を陽に透かして薄い緑の瞳を輝かせる少年。だったのだが、その少年は剣を持っているというのに少女と見間違えそうなほど可憐だった。
「まあ! とっても可愛らしい子!」
思わずそう声をあげ、父や母から苦笑されたのを覚えている。
しかし時を追うごとに絵からは可愛らしさが消えて行った。最も新しいものには「可愛らしさ」など欠片もなく、ただ凛々しさばかりがある。高鳴る胸を押さえるマリッサは、絵の中から見つめてくるハロルドから目が離せなくなってしまっていた。
(……なんて素敵なの……こんな瞳で見つめられたら、私はきっと何も話せなくなってしまうわ)
すっかり見知った字で書かれた手紙には「国であなたをお待ちしています」「共に手を取り合って生きて行けるよう励みたいと思っています」といったことが書いてある。
(私も早くあなたに会いたい。あなたの国で一緒に生きて行けるよう、頑張るわ)
新たな故郷となる国の言葉や歴史などを学びながら結婚式の日を指折り数えていたマリッサだったが、当時はその結婚式の日から絶望するなど夢にも考えていなかった。
実際に会ったハロルドは肖像画よりも華奢だったが、凛々しさはそのままだった。ただ、遠くを見ているような瞳は、結婚式の日だというのにどこか寂しそうに見えた。それは『今が寂しい』というより、彼が傍らに置いてずっと育ててきた感情のように思えた。
(過去に何かあったのね?)
婚礼衣装に身を包んだマリッサは、1歩1歩彼に近づきながら心の中で呼びかける。
(大丈夫よ。これからは寂しい思いなんてさせない。私があなたと一緒にいる。この国やあなたの幸せを願いながら、ずっと傍にいるもの)
しかし、ハロルドはマリッサを見た直後に息をのんで顔を背けた。明らかな拒絶を示した彼の表情は、半年経った今でもマリッサの心をえぐり続ける。
何がいけなかったのだろうとマリッサは必死に自分の行いを振り返り、そして気が付いた。
もしかするとハロルドは褐色の肌に戸惑いを隠せなかったのかもしれない。あるいはこの、銀色の髪を奇妙に思ったのかもい。
どちらもマリッサの故郷ではありふれた色だったが、この国では珍しい色だ。馴染みがなくて尻込みをしてしまうのだって無理もない。
(でも)
マリッサは、瞳の色をハロルドに間近で見てほしかった。
海と同じ、青い青い色の瞳を。
生国では青の瞳を持って生まれるものがほとんどいない。逆にこの国で青い瞳は珍しくないと聞いていたが、そんな中でもマリッサの瞳は特別なはずだった。事実、嫁いでから会った人々にもよく言われた。
「王太子妃殿下の瞳は本当にお美しい。青の瞳を見慣れた我々ですら見惚れてしまいます。中で光が輝いていて、まるで宝石のようですね」
皆の言う通り、マリッサの瞳は特別だ。晴れた日の海のようなとろりとした青の中に、白波のような輝きがときおり瞬く珍しい瞳。故国では『海の瞳』と呼ばれるもので、王家の血を引く者の中で稀に見られる。
海の瞳を持つ者は“海”に愛された者であり、海からもたらされる恵みや豊かさの象徴でもあった。
「いいかい、マリッサ。お前は海に愛された者。よっていずれ、他の国へと行くのだ」
王宮の物見台で海を示しながら、父王はマリッサに向けて幾度も繰り返した。
「我々は海の恩恵に与って生きている。しかし過ぎた恵みまで抱え込むのは海の神のご意思に反するからね」
目の前にあるからといってすべてを取りつくしてはならない。そうすれば恵みは再び巡り着て、必要なときにまた得られる。それがマリッサの故国に伝わる教えだ。
海の瞳を持つ者が心から願えば、人や地は豊かになる。そう信じられている。だからこそ海の瞳を持って生まれた者は、恵みを分け与えるため他国へ嫁・婿に出るのがならわしだった。
「お前は、いずれ他国へ嫁ぐことになる。嫁いだ国こそを真の故郷とし、国と夫の幸せを願いながら生きるのだよ。――それが、海の瞳を持つ者の宿命だ」
そう言われ続けたためだろうか、マリッサにとってあの国は“生まれた場所”ではあったが“自分の居場所”ではないような気がずっとしていた。14の歳に嫁ぎ先が決まってからは、早く『真の故郷』へ行きたくて仕方がなかった。だからようやくこの国へ来た時、マリッサは言い知れぬほどの幸福に包まれた。
(ここが私の国。私が本当に居るべき場所)
青い海は見えず、波の音も聞こえない。
代わりに青い空が近くにあり、爽やかな葉擦れの音が良く響く。
(私はこの国の王妃になる。夫ハロルドの力になる。国とハロルドの幸せを心から願って生きていく)
誓いはいつも胸の中にある。だが、マリッサはハロルドに嫌われている。国はともかく、自分を嫌うハロルドの幸せをどう願えば良いのか、今のマリッサには見当もつかなかった。
14歳の時にマリッサとハロルドの婚約が成立してから、両国の間ではたびたび絵や手紙の交換が行われた。
マリッサが初めてハロルドの絵を見たのも14歳だった。
あれはハロルドから「婚約してくださってありがとう」と書かれた手紙が届いた時のことだ。マリッサへのたくさんの贈り物と一緒にあったのだ、ハロルドの肖像画だった。
見事な彫刻の施された額に入っていたのは、淡い金の髪を陽に透かして薄い緑の瞳を輝かせる少年。だったのだが、その少年は剣を持っているというのに少女と見間違えそうなほど可憐だった。
「まあ! とっても可愛らしい子!」
思わずそう声をあげ、父や母から苦笑されたのを覚えている。
しかし時を追うごとに絵からは可愛らしさが消えて行った。最も新しいものには「可愛らしさ」など欠片もなく、ただ凛々しさばかりがある。高鳴る胸を押さえるマリッサは、絵の中から見つめてくるハロルドから目が離せなくなってしまっていた。
(……なんて素敵なの……こんな瞳で見つめられたら、私はきっと何も話せなくなってしまうわ)
すっかり見知った字で書かれた手紙には「国であなたをお待ちしています」「共に手を取り合って生きて行けるよう励みたいと思っています」といったことが書いてある。
(私も早くあなたに会いたい。あなたの国で一緒に生きて行けるよう、頑張るわ)
新たな故郷となる国の言葉や歴史などを学びながら結婚式の日を指折り数えていたマリッサだったが、当時はその結婚式の日から絶望するなど夢にも考えていなかった。
実際に会ったハロルドは肖像画よりも華奢だったが、凛々しさはそのままだった。ただ、遠くを見ているような瞳は、結婚式の日だというのにどこか寂しそうに見えた。それは『今が寂しい』というより、彼が傍らに置いてずっと育ててきた感情のように思えた。
(過去に何かあったのね?)
婚礼衣装に身を包んだマリッサは、1歩1歩彼に近づきながら心の中で呼びかける。
(大丈夫よ。これからは寂しい思いなんてさせない。私があなたと一緒にいる。この国やあなたの幸せを願いながら、ずっと傍にいるもの)
しかし、ハロルドはマリッサを見た直後に息をのんで顔を背けた。明らかな拒絶を示した彼の表情は、半年経った今でもマリッサの心をえぐり続ける。
何がいけなかったのだろうとマリッサは必死に自分の行いを振り返り、そして気が付いた。
もしかするとハロルドは褐色の肌に戸惑いを隠せなかったのかもしれない。あるいはこの、銀色の髪を奇妙に思ったのかもい。
どちらもマリッサの故郷ではありふれた色だったが、この国では珍しい色だ。馴染みがなくて尻込みをしてしまうのだって無理もない。
(でも)
マリッサは、瞳の色をハロルドに間近で見てほしかった。
海と同じ、青い青い色の瞳を。
生国では青の瞳を持って生まれるものがほとんどいない。逆にこの国で青い瞳は珍しくないと聞いていたが、そんな中でもマリッサの瞳は特別なはずだった。事実、嫁いでから会った人々にもよく言われた。
「王太子妃殿下の瞳は本当にお美しい。青の瞳を見慣れた我々ですら見惚れてしまいます。中で光が輝いていて、まるで宝石のようですね」
皆の言う通り、マリッサの瞳は特別だ。晴れた日の海のようなとろりとした青の中に、白波のような輝きがときおり瞬く珍しい瞳。故国では『海の瞳』と呼ばれるもので、王家の血を引く者の中で稀に見られる。
海の瞳を持つ者は“海”に愛された者であり、海からもたらされる恵みや豊かさの象徴でもあった。
「いいかい、マリッサ。お前は海に愛された者。よっていずれ、他の国へと行くのだ」
王宮の物見台で海を示しながら、父王はマリッサに向けて幾度も繰り返した。
「我々は海の恩恵に与って生きている。しかし過ぎた恵みまで抱え込むのは海の神のご意思に反するからね」
目の前にあるからといってすべてを取りつくしてはならない。そうすれば恵みは再び巡り着て、必要なときにまた得られる。それがマリッサの故国に伝わる教えだ。
海の瞳を持つ者が心から願えば、人や地は豊かになる。そう信じられている。だからこそ海の瞳を持って生まれた者は、恵みを分け与えるため他国へ嫁・婿に出るのがならわしだった。
「お前は、いずれ他国へ嫁ぐことになる。嫁いだ国こそを真の故郷とし、国と夫の幸せを願いながら生きるのだよ。――それが、海の瞳を持つ者の宿命だ」
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