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1.弟と兄と兄の妻
3.朝靄にも溶けないもの(ロジャー)△
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朝靄の中、身支度を整えたロジャーは玄関の前で鳥の声を聞いていた。
やがてそこに小さな人工の音が加わわる。振り返ると、開いた離宮の扉から妻のクレアが出てきたところだった。
「ロジャー様」
微笑んだクレアが小走りに寄ってくる。彼女の髪はきちんとまとめ上げられ、顔にも化粧が施されている。この離宮へ来た時とは違って表向きの装いだ。
しかし、風が揺らす彼女のマントの中に見えたのは前開きの薄い衣と申し訳程度の下着だ。彼女はこの衣装で離宮まで来た。透ける肌に釘付けになりそうな視線をなんとか外し、ロジャーはクレアの瞳を見つめる。
「きちんとご奉仕はできたか?」
「はい。お休みを挟みながら朝までの間に3回、吐精に導くことができました。陛下にいただいた薬も飲みましたので、後の心配もありません」
「ならば良い。――しかし、休みながら3回か。お前は何回達した?」
「さあ……一夜で10回くらいでしょうか」
「10回。催淫薬まで使って入念な準備をしたというのに、その程度か」
「仕方ありませんわ、殿下は初めてなのですもの」
言って、クレアはくすりと笑う。
「ですが回数を重ねましたらきっとお上手になると思います。少しあなたに似ていましたから」
「似ていた?」
「ええ。仕草も、形も、持続も」
「それは興味深いな」
意識したつもりはなかったが、声色はほんの少し変わってしまった。自分でも分かるくらいなのだ、聡いクレアが気付かないはずはない。
マントから伸ばされた細い指が、慰めるようにロジャーの頬を撫でる。
「妬いていらっしゃいますの?」
すぐに否定ができなかったのは、心の底で燻るものがあるせいだ。いくら平静を装っていたとしても、愛しい妻を他の男に抱かせて平気でいられるはずなどない。
しかも、相手はハロルド。次期国王が約束された弟。
彼に不満があるわけではない。そもそもロジャーは王位に就きたかったわけではないし、捨て置かれたとはいえ母も父王から十分な財産は与えられている。
それでもたまに苛立ちを顔が覗かせるのは、何の不自由もなく日の当たる道を行けるハロルドへに対して、やはり嫉妬のようなものがあるためなのだろう。
――分かってはいるのだが。
口を引き結んで風にそよぐ草を見ていると、頬にある優しい手がそっと力を入れる。抵抗せず顔を向けた先には、柔らかな微笑みがあった。
「ハロルド殿下に対して持っておりますのは弟のような気持ち。私が愛しておりますのは、ロジャー様ただおひとりです」
「クレア……」
「それともロジャー様は、私がお嫌になりまして?」
「まさか」
体ごと向き直り、ロジャーはクレアの背に両腕をまわす。
「お前は私のために今回のことを引き受けたのだろう? 父王陛下の話を断って私の立場を悪くさせることがないよう、気を使ってくれた。そんなお前には感謝しかない。――それに」
言って、ロジャーは右の人差し指で細い顎をそっと上げさせる。壊れ物を扱うような手つきで、そっと。
「誰に抱かれようと関係ない。他の男に心を移したならともかく、私を想ってくれている限り、私はお前を嫌いになったりしない」
「ロジャー様……」
名を呼ぶ優しい声を聞きながら、ロジャーは口付けをしようと顔を寄せる。そのときようやく、妻の青い瞳の奥に宿る熱に気が付いた。その熱が移ったかのように中心の温度が上がる。
平静を保つため深めの息を吸い、口付けを止める。代わりに親指でそっと彼女の唇をなぞった。
「疲れたろう? 屋敷に戻ったら休むといい」
わざと言うと、返答の代わりに彼女の太ももが動き、ふくらみ始めているそこを摩った。ロジャーの口から小さなうめき声が漏れると、クレアの赤い唇の端がわずかに上がる。
「ロジャー様はそれで構いませんの?」
「……お前のために言ったのに、挑発するのか?」
「途中で休みましたから、私は平気です」
「ふふ。ならば今日は覚悟するんだな」
宣言すると、微笑むクレアが胸にもたれかかってきた。彼女を抱きしめようとした時、ロジャーは刺すような視線を感じて顔を上げる。しかし、窓にかかるカーテンはどれもきっちり閉まったままだ。
「……クレア。殿下はどうした?」
「出てくるときは眠っておいででした。おそらく、今もかと」
「……そうか」
車輪のガラガラという音が近づいてきた。屋敷から迎えの馬車が来たのだ。そちらへ向けて手を挙げたロジャーは、クレアの肩を抱いて移動しようと離宮に背を向ける。
やはり、背後から鋭い視線を感じた。
敵意すら混ざるようなこれが誰のものかは考えるまでもなかった。優越感が湧き上がり、立ち止まったロジャーは傍らの細い腰をぐいと引き寄せる。熟れた果実のような唇へやや乱暴に口付けながら、胸の内でほくそ笑んだ。
――朝日が昇った今、クレアはもうお前のものではない。
眠れないままだったこの一夜を、自分がどんな思いで過ごしたのか。その一端だけでも理解させるために彼の目の前で愛の深さをもっと見せてやりたいと思ったが、残念ながら馬車が到着する方が早そうだ。
仕方ない、と心の中で呟いたロジャーは唇を離し、彼女の耳をそっと噛む。周囲に高い声が響いた。もしかすると、上の方の窓まで届くくらいの。
「嫌ですわ。何をなさいますの」
「早く帰りたいと思ってね。クレアも帰りたいだろう?」
「ええ、でも……」
頬を染めて何かを言いかけるクレアの声を聞きながら、ロジャーはさりげなく顔を上に向ける。どの部屋もきっちりカーテンが閉じられている中、1部屋だけわずかな隙間があった。
ほんの少し溜飲を下げたロジャーは、最後にもう一度妻と口付ける。以降は振り返ることなく馬車に乗り込み、朝靄に煙る離宮を後にした。
やがてそこに小さな人工の音が加わわる。振り返ると、開いた離宮の扉から妻のクレアが出てきたところだった。
「ロジャー様」
微笑んだクレアが小走りに寄ってくる。彼女の髪はきちんとまとめ上げられ、顔にも化粧が施されている。この離宮へ来た時とは違って表向きの装いだ。
しかし、風が揺らす彼女のマントの中に見えたのは前開きの薄い衣と申し訳程度の下着だ。彼女はこの衣装で離宮まで来た。透ける肌に釘付けになりそうな視線をなんとか外し、ロジャーはクレアの瞳を見つめる。
「きちんとご奉仕はできたか?」
「はい。お休みを挟みながら朝までの間に3回、吐精に導くことができました。陛下にいただいた薬も飲みましたので、後の心配もありません」
「ならば良い。――しかし、休みながら3回か。お前は何回達した?」
「さあ……一夜で10回くらいでしょうか」
「10回。催淫薬まで使って入念な準備をしたというのに、その程度か」
「仕方ありませんわ、殿下は初めてなのですもの」
言って、クレアはくすりと笑う。
「ですが回数を重ねましたらきっとお上手になると思います。少しあなたに似ていましたから」
「似ていた?」
「ええ。仕草も、形も、持続も」
「それは興味深いな」
意識したつもりはなかったが、声色はほんの少し変わってしまった。自分でも分かるくらいなのだ、聡いクレアが気付かないはずはない。
マントから伸ばされた細い指が、慰めるようにロジャーの頬を撫でる。
「妬いていらっしゃいますの?」
すぐに否定ができなかったのは、心の底で燻るものがあるせいだ。いくら平静を装っていたとしても、愛しい妻を他の男に抱かせて平気でいられるはずなどない。
しかも、相手はハロルド。次期国王が約束された弟。
彼に不満があるわけではない。そもそもロジャーは王位に就きたかったわけではないし、捨て置かれたとはいえ母も父王から十分な財産は与えられている。
それでもたまに苛立ちを顔が覗かせるのは、何の不自由もなく日の当たる道を行けるハロルドへに対して、やはり嫉妬のようなものがあるためなのだろう。
――分かってはいるのだが。
口を引き結んで風にそよぐ草を見ていると、頬にある優しい手がそっと力を入れる。抵抗せず顔を向けた先には、柔らかな微笑みがあった。
「ハロルド殿下に対して持っておりますのは弟のような気持ち。私が愛しておりますのは、ロジャー様ただおひとりです」
「クレア……」
「それともロジャー様は、私がお嫌になりまして?」
「まさか」
体ごと向き直り、ロジャーはクレアの背に両腕をまわす。
「お前は私のために今回のことを引き受けたのだろう? 父王陛下の話を断って私の立場を悪くさせることがないよう、気を使ってくれた。そんなお前には感謝しかない。――それに」
言って、ロジャーは右の人差し指で細い顎をそっと上げさせる。壊れ物を扱うような手つきで、そっと。
「誰に抱かれようと関係ない。他の男に心を移したならともかく、私を想ってくれている限り、私はお前を嫌いになったりしない」
「ロジャー様……」
名を呼ぶ優しい声を聞きながら、ロジャーは口付けをしようと顔を寄せる。そのときようやく、妻の青い瞳の奥に宿る熱に気が付いた。その熱が移ったかのように中心の温度が上がる。
平静を保つため深めの息を吸い、口付けを止める。代わりに親指でそっと彼女の唇をなぞった。
「疲れたろう? 屋敷に戻ったら休むといい」
わざと言うと、返答の代わりに彼女の太ももが動き、ふくらみ始めているそこを摩った。ロジャーの口から小さなうめき声が漏れると、クレアの赤い唇の端がわずかに上がる。
「ロジャー様はそれで構いませんの?」
「……お前のために言ったのに、挑発するのか?」
「途中で休みましたから、私は平気です」
「ふふ。ならば今日は覚悟するんだな」
宣言すると、微笑むクレアが胸にもたれかかってきた。彼女を抱きしめようとした時、ロジャーは刺すような視線を感じて顔を上げる。しかし、窓にかかるカーテンはどれもきっちり閉まったままだ。
「……クレア。殿下はどうした?」
「出てくるときは眠っておいででした。おそらく、今もかと」
「……そうか」
車輪のガラガラという音が近づいてきた。屋敷から迎えの馬車が来たのだ。そちらへ向けて手を挙げたロジャーは、クレアの肩を抱いて移動しようと離宮に背を向ける。
やはり、背後から鋭い視線を感じた。
敵意すら混ざるようなこれが誰のものかは考えるまでもなかった。優越感が湧き上がり、立ち止まったロジャーは傍らの細い腰をぐいと引き寄せる。熟れた果実のような唇へやや乱暴に口付けながら、胸の内でほくそ笑んだ。
――朝日が昇った今、クレアはもうお前のものではない。
眠れないままだったこの一夜を、自分がどんな思いで過ごしたのか。その一端だけでも理解させるために彼の目の前で愛の深さをもっと見せてやりたいと思ったが、残念ながら馬車が到着する方が早そうだ。
仕方ない、と心の中で呟いたロジャーは唇を離し、彼女の耳をそっと噛む。周囲に高い声が響いた。もしかすると、上の方の窓まで届くくらいの。
「嫌ですわ。何をなさいますの」
「早く帰りたいと思ってね。クレアも帰りたいだろう?」
「ええ、でも……」
頬を染めて何かを言いかけるクレアの声を聞きながら、ロジャーはさりげなく顔を上に向ける。どの部屋もきっちりカーテンが閉じられている中、1部屋だけわずかな隙間があった。
ほんの少し溜飲を下げたロジャーは、最後にもう一度妻と口付ける。以降は振り返ることなく馬車に乗り込み、朝靄に煙る離宮を後にした。
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